6月 17, 2018 22:21 Asia/Tokyo
  • コーラン第76章アル・インサーン章人間
    コーラン第76章アル・インサーン章人間

今回は、コーラン第76章アル・インサーン章人間についてお話しましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・インサーン章にはこの他にもさまざまな呼び方があり、それらは章の最初に出てくる言葉に由来しています。

 

アル・インサーン章では、人間の精液からの創造、導きと意志の自由、神の導きに抵抗する人々への責め苦、善を行った人への報奨、コーランの重要性とその戒律の実践方法、自己形成、人間の自由な意志決定の中での神の意志による支配といった事柄について述べられています。この章はメディナで下され、全部で31節あります。

 

アル・インサーン章は、まず、人間の創造と、それがどのように形作られたかについて触れています。この創造に注目することは、神、最後の審判、復活に注目することのきっかけになるからです。神はアル・インサーン章の第2節で次のように語っています。

 

「我々は人間を混ぜ合わさった精液から創造し、人間を試す。そして我々は人間に、聴覚と視覚を与えた」

 

コーランは数多くの章の中で、人間をどのように創造したかについて述べており、それはコーランが奇跡であることを示すひとつの問題と見なされています。コーランの節によれば、神は初めに人間を泥から創造しました。それから精液を血の塊としました。その後、肉の塊にしました。それから骨となり、骨を肉で覆い、神の魂を吹き込むことによって、人間となったのです。

 

人間の創造の過程が述べることで、コーランは人間に、全知全能の創造主による驚くべき創造の複雑さ、繊細さを見つめ、神の知識と力を悟るようにと教えています。アル・インサーン章はこの後、人間が責務と試練の段階に達することに触れ、この試練は知識がなくては不可能であるため、第2節の終わりで、人間に、知識を得るための手段である聴覚と視覚が与えられたとしています。アル・インサーン章の第3節は、人類の導きについて語り、神は現世と来世の幸福の道を人間に示し、人間は、神に感謝し、この導きを受け入れるのも、感謝をせずに反抗するのも自由であり、自分の選択による結果を見ることになるとしています。

 

イマームアリーとその妻ファーティマは、子供たちが病気になったとき、子供たちの病気が治ったら、3日間の断食を行うと神に誓いました。その後、願いが叶って2人の病気が治ったため、2人は断食を実行しましたが、毎晩、恵まれない人、孤児、捕虜が食事を恵んでくれと彼らの家の扉をたたきました。彼らは断食をしていたためにやせ細っていましたが、それでも食事を恵んでやりました。彼らが断食を終えた後、預言者はそのような状態を見て非常に悲しみました。そのとき、アル・インサーン章の節が下されたのです。

 

コーランの包括的な目的は、人間を完成へと導くことです。そのため、アル・インサーン章は、神が善を行う人たちに与えてくださる報奨と、彼らが何をしたために、そのような報奨を受け取ることになったのかについて述べ、モデルを提示することで、人々に善良な人たちと同じ道を歩ませようとしています。コーランの節は、善を行った人たちは、神の楽園で、神の特別な僕たちのみが口にする、よい香りのする飲み物を飲み、いつでも好きなときに、それをあらゆる場所から流すことができるとしています。そのような恩恵や地位に達することができる理由について、アル・インサーン章の第7節と8節にはこのようにあります。

 

「彼らは自らの誓いを守り、その悪と責め苦が広がる日を恐れている。大好きな食事を恵まれない人や孤児、捕虜に与える」

この2つの節は、最高の寛容さを示しており、イマームアリーやファーティマが他人に食事を与えたのは、ちょうど彼ら自身が強く食事を必要としていたときであること、また、食事を与えることには幅広い意味があり、恵まれない人、孤児や捕虜が含まれることを指摘しています。この節は、最高の行いのひとつが、恵まれない人に食事を与えることであって、イスラム教徒だけでなく、多神教信仰に陥った捕虜たちも、このイスラムの指示に含まれ、彼らに食事を与えることは、敬虔な人間の優れた行いのひとつと見なされていることを示しています。

 

 

敬虔な人間は、自らの純粋な心で行動し、このように語ります。アル・インサーン章の第9節と10節を見てみましょう。

 

「私たちは、神のためだけにのみ、あなた方に食事を与える。また、あなた方からは報奨も感謝も必要ない。私たちは私たちの神のみを恐れる。その日は辛く厳しい日である」

 

 

コーランはその後、アル・インサーン章の第11節から22節までで、来世で善良な人々や敬虔な人々が享受することになる恩恵について述べています。

 

 

アル・インサーン章の一部は、預言者ムハンマドに語りかけ、耐え忍ぶようにと呼びかけています。その後、預言者に対し、4つの重要な指示を与えています。その指示とは、宗教を広め、神の戒律を実践する上で忍耐強くあること、罪を犯した人や不信心者に追従しないこと、早朝や夜に神の名を唱えること、夜の一部を神に頭を垂れ、夜には神の清らかさを讃えることです。

 

これらの指示は、計画としてイスラムの預言者ムハンマドに述べられていますが、実際は、人類社会を精神的、人間的に指導しようとする全ての人のための手本となっています。彼らは、自らの使命や目的を完全に信じた上で、忍耐強くあり、多くの問題を恐れてはならない、ということを認識しておかなければなりません。また、指導者を逸脱させ、彼らの使命を果たさせないようにする、悪魔のささやきや敵の策略に対しても、欲に欺かれたり、脅迫におびえたりするのではなく、全力で抵抗しなければなりません。

 

このような指導者たちは、意志や精神力を強化するため、全ての段階において、朝に夕に神のことを思い起こし、頭を垂れる必要があります。特に、夜に礼拝を行い、神に語りかけることで、勝利と成功が実現され、もしどこかの段階で災難に巻き込まれたり、失敗に陥ったりしても、この原則によって、それらを償うことができます。イスラムの預言者ムハンマドの人生とその使命や導きは、この道を歩む人々にとっての明らかな手本となっているのです。

 

 

アル・インサーン章の第28節は、再び、人間の創造について触れ、次のように語っています。

 

「我々は人間を創造し、その存在の結びつきを強固にした。[また彼らに力を与えた。]我々は望むときにはいつでも、彼らの場所を別のグループに与える」

 

この節は、自らの力に高慢になるようにと、不信心者たちに警告を与えています。なぜなら、人間を創造し、人間に力を与えた神は、いつでも望むときに、人間を消滅させたり、別のグループを代わりに据えたりすることができるからです。さらに、神の本質的な性質は、人間の信仰や追従を必要としておらず、神が人間を導き、信仰を寄せるようにと強調しているのは、実際、神の慈悲によるものだということを明らかにしています。これらの節は概して、誰でも神に向かおうとする人に、正しい道を示すものとなっているのです。