コーラン第81章、タクウィール章、「崩れ去る時」
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コーラン第81章、タクウィール章、「崩れ去る時」
今回は、コーラン第81章、タクウィール章、「崩れ去る時」を見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
タクウィール章はメッカで下され、29節あります。
この章では主に、世界の終末における包括的で壮大な変化、そして、人間の精神にコーランが及ぼす影響とその崇高な位置づけについて述べられています。この章がタクウィール章と呼ばれているのは、タクウィールという言葉がこの章の第1節に出てくることによります。そして、タクウィールとはアラビア語で複雑に絡み合っていること、暗黒の暗闇の状態を意味します。
この章に出てくる、太陽が光を失うこと、天体が消え去ることといった内容は、この世の終末という恐るべき出来事を指しています。その瞬間には、恐怖感が最高潮に達し、最も価値のある財産を持って忘却にゆだねられてしまいます。また、通常では互いに散らばっている野生動物たちが集まり、まるで、野生動物が互いに身を寄せ合い、集まることで恐怖感を減らそうとしているようです。
アラブ民族の無明時代における、最も痛ましい現象は、女の子が生まれると、無価値な存在としてこれを生き埋めにしていたことでした。コーラン解釈の専門家によれば、当時妻が出産の時期を迎えると、夫は地面に穴を掘り、生まれた子供が女の子だった場合は生き埋めにし、男の子だった場合には生かして育てた、ということです。このような犯罪行為の原因は、無明時代の社会における1人の人間としての女性を無価値なものとして、その存在を恥ずべきものとみなす、当時の社会にはびこっていた無知、そして貧困にありました。
タクウィール章、第8節には、最後の審判の日にこうした大惨事や圧制が問いただされ、生き埋めにされた少女たちにどのような罪により殺されたとかが問われることが述べられています。コーランは、このような行為をこの上なく卑劣な行為だとしており、そのほかの問題を審議する前に、この問題を取り上げています。実際に、生き埋めにされた少女たちは、抑圧された存在としての象徴であり、無残に滅ぼされてしまう全ての存在物、そして蹂躙された権利について再び問いただされることになります。現在、一部の国では中絶が広まっていますが、この行為も人間を生き埋めにする行為の1つと見なせるかもしれません。
タクウィール章の第15節から18節は、4つの重要な誓いとともに、この節に秘められた真実や秘密を究明すべく考えるよう促しており、コーランの偉大さや正当性、有効性が強調されています。
“戻ってくる星、その軌道を運行して沈んでゆく星星に誓って”
数日間続けて天空を眺めれば、多数の星星が段階的に空に現れ、一斉に消えていくことに気がつくと思います。それらの間の間隔は変わることはなく、それは黒い布地に決まった間隔ごとに真珠が縫い付けられ、この布地を一方から上に上げ、一方で下に引くようなものです。もっとも、空に輝く星星は動いているものの、私たちからは遠く離れているため、私たちは星星の動きを実感できないのです。空に星が出てくる、また太陽が沈むという現象として私たちの目に映っているのは、地球の自転によるものです。タクウィール章のこの2つの節も、地球に住んでいる私たちから見て星が動き、それぞれの軌道にそってもとの位置に戻り、最終的に夜が白んでくるころに次第に見えなくなる、という現象について述べている可能性があります。
続いて、朝と夜に対する誓いが述べられるとともに、次のような記述が出てきます。「明らかに、この聖なる書物コーランは、偉大なる天使の言葉である」 大天使ジブラーイール(ガブリエル)は、神からのそうした預かりものを預言者たちにもたらしました。それは、唯一神以外の何者かにより造られたものではありません。ですから、決して預言者を疑ってはならないのです。彼は、気違いじみた人物などではなく、長年にわたりあなた方の間に暮らし、あなた方の語らいの相手であり続け、私たちは預言者は理性と勇気にあふれた、信頼できる人物として認識しています。預言者ムハンマドは、大天使ジブラーイールから啓示を受け取る際に誤りに陥ることはなく、これを寸分たがわない状態で受け取ります。即ち、彼はジブラーイールを明白な状態で見たことになります。このことから、決して彼を狂人的であるなど言うことはできないのです。