7月 15, 2018 18:17 Asia/Tokyo
  • 格闘技の達人

昔々のこと。一人の年老いた格闘家がおりました。

昔々のこと。一人の年老いた格闘家がおりました。

 

彼は、格闘技の技術、技にかけては他者の追随を許さず、年老いたとは言え、彼に匹敵する者はいない、と言われるほどの人物でした。彼は、これまでに多くの名高い勇者たちとの試合に臨み、その度に相手を地面にたたきつけて、格闘技の師匠という名声を欲しいままにしていたのです。この年老いた格闘家は、これまでに360もの重要な技を修得し、その一部を弟子たちにも伝授していました。彼は閑静な道場で若い格闘家を育成することに専念していて、今では自分が試合に臨むことはなくなっていました。しかし、全ての格闘家が彼に敬意を表し、彼を格闘技の師匠として一目置いていたのです。

 

年老いた格闘家は、自分が教える多くの弟子たちの中でも、特に一人の若者に特別な思い入れを抱き、目をかけていました。というのも、この若者の中に輝ける未来を見たからです。師匠たる彼は、この若者が近い将来、全ての格闘家のトップに立つだろうと確信していました。事実、この体格に恵まれた力持ちの若者は、日々、技に磨きをかけ、試合でも次々とライバルを打ち倒していったのです。

 

年老いた師匠は、彼が知っている限りの技と技術を、この若者に伝授することに決めました。若者は、そのことを知らされるとたいそう喜びました。なぜなら師匠から全ての技術を教えてもらえる人間など、まずいなかったからです。しかし、そのような師匠の期待も、やがて彼の思惑とは違ったものになっていきました。

 

「今や自分は師匠から全ての技術を伝授された」と思い込んだ若者に悪魔が囁いたのです。悪魔に誘惑された若者の全身は、悪魔の自尊心と高慢さに包まれました。若者は自らを、地上で最強、かつ最高の格闘家であると信じ込んでしまいました。確かにその日まで、この若者が誰かに負けたことはありませんでした。そのせいで、これほどのうぬぼれと高慢さにおぼれてしまったのです。

 

若い格闘家は、今や自分の力と技に絶大な自信を持ち、もはや師匠への敬意を忘れ、どこかへ出向く度にこのように吹聴していました。

「私は師匠よりも多くの技を知っている。私が師匠に敬意を表するのは、ただ、その階級、地位ゆえのことである。それがなかったら、彼は格闘において、確実に私の足元にも及ばないだろう」

 

こうしたある日のこと。若い格闘家は、大胆にも王様の前でこの同じ言葉を口にしました。王様は若者の高慢な言葉と態度、そのうぬぼれの強さをたいへん不愉快に思いました。そこで、「よし、それほどまでに言うのなら、この若者と師匠を対決させてやろう」と考えたのです。さっそく王様は側近たちに、この二人の試合を開催するよう準備を命じました。賢い王様は、この試合で、若者が年老いた師匠に敗北すること、それが彼にとってよい懲らしめになることを期待したのでした。

                            

 こうして試合当日がやってきました。大勢の人々が試合の会場となった広場に集まっていました。王様も姿を見せ、一段高いところにしつらえられた貴賓席に座りました。多くの格闘家たちも、その時代の最強と謳われた格闘家と、その最強の弟子との試合を一目見ようと、その場に足を運んでいました。若い格闘家は、誇らしげに力強い肉体を見せつけながら、リングに上がりました。一方、師匠である年老いた格闘家は、若者の丸太のように太い腕を一目見て冷静に考えを巡らせていました。事実、弟子のほうが腕力においては、自分を上回っていること、腕の力だけに頼ったとしたら、確実に自分は負けてしまうであろうことをよく理解していたのです。そこで、師匠たる彼は、弟子に勝つために頭を使う必要がありました。

                         

試合が始まりました。人々は熱狂的にそれぞれに声援を送り、果たして勝つのはどちらだろう、とかたずをのんで試合の行方を見守っていました。観客の若者たちは、若い格闘家が勝つに決まっていると思っていました。そしてまた、その場にいたほとんど誰もが、年老いた師匠の負けは確実だろうと予想していました。それでも心の中では、師匠が見事若者に勝利して、人々の心の中にある年老いた格闘家への敬意が打ち砕かれないようにと祈ってもいたのです。

 

そのときです。師匠が若者に襲い掛かりました。若者はその巧みな攻撃を防ぐことができず、何とか組み合ったかと思ったのも束の間、師匠は両腕で若者を頭の上まで持ち上げてから、地面に叩きつけました。観客席から一斉に歓喜の声が上がりました。人々は年老いた格闘家の勝利を目にして、驚きと歓喜に沸き返りました。王様も立ち上がって、勝者に大きな拍手を送ると、彼の方へと歩みより、固くその手を握りました。そして、勇者に相応しい服をこの格闘家に与えるよう側近に命じたのです。

 

その一方で王様は、自分の師匠への恩を忘れた高慢な若者を厳しくいさめました。

しかし、若者は王様に向かってこう弁解しました。

「私の師匠は、決して力で私に勝利したわけではありません。彼は私が知らない格闘の技を使って勝ったに過ぎない。彼はあの技を私に教えてくれませんでした」

 

年老いた格闘家は、ずっと前から、いつかこのような日が訪れることを知っていました。恩知らずな若者が、「自分は師匠よりも強い、自分は師匠を打ち負かすことができる」と主張し、彼との試合に臨む日が来るであろうことを。格闘家が師匠として、自分が知っている360の技のうち、若者に教えたのは359の技でした。そして最後の技は、自分のため、このような日のために取っておいたのです。

 

年老いた格闘家は、王様と大勢の観客が見守る中、傲慢な弟子に向かって言葉をかけました。

「なぜ私が、最後の技をおまえに伝授しなかったのか、その訳を教えてやろう。このような先人たちの言葉を聞いたことはないだろうか」

 

「友にそれほど力をつけてはいけない。いつの日か敵となり、あなたを打ち滅ぼす日がやってくる」

 

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