ハリウッドの黒人社会25 オバマ政権時代のハリウッドの黒人映画3
これまで2回に渡り、オバマ政権時代のハリウッドの黒人映画の2つのタイプについて見てきました。この2つのタイプには、黒人の闘争の歴史を公平な視点から見たものと、それを黒人による復讐という観点から描いたものとがあります。
この時間は、さらに2つのタイプについて見ていきます。この2つのタイプは、「社会的な現実主義」というカテゴリーに入ります。一つは、アメリカの現代社会において、黒人が生きていく上での問題を語り、もう一つは、黒人の生活が白人と共に普通のものであることを示そうとしています。
社会を現実的に捉えた映画では、黒人の社会的な状況や白人との人種的な関係が批判的に捉えられています。このような現実主義は、黒人の現代世界の生き方に関係するものであって、歴史や過去とは関係がありません。黒人が直面している新たな問題、あるいは生活している新たな状況が、このような映画の主なテーマになっています。黒人の現代的な文化は、こうした映画の物語の中で、長所と短所と共に描かれています。
社会を現実的に捉えた映画では、アメリカの現代社会における黒人の問題が取り上げられています。この種の映画では、人生において問題に直面している黒人への社会の見方、統治体制や市民団体の彼らの扱い方が描かれています。これらの映画では、黒人が抱える問題が取り上げられ、黒人の若者の間で悪い行いが見られる根源や理由が、解決策や同情的な見方によって分析されています。
2013年のフルートベール駅では、このタイプの映画に入ります。この映画は、麻薬を売っていた黒人の青年が更正する姿と共に、彼が抱える職業や経済の面での問題、特に彼とその仲間たちに対する警察の暴力が描かれています。警察は、公共の場での秩序や安全を確保すべきであるはずが、抗争が疑われる黒人の若者たちに遭遇し、暴力的な態度で接し、主人公の黒人が警察に撃たれて死亡します。
映画「フルートベール駅で」は、まず、貧困街に住む黒人の状況を示し、彼らによる慣例に反した行いを、黒人の社会的、経済的な状況に関連付けています。しかし、白人の警官は、人種差別的な見方によって、黒人に暴力を振るうことが許されています。アメリカの現代社会では、警官が奴隷を鞭でたたく主人の代わりになっています。これは、黒人がアメリカ社会の日常生活の中で抱える問題であり、アメリカ初の黒人大統領であるオバマ大統領も、選挙での公約に反し、この社会問題を解決することができませんでした。
この他、「フルートベール駅で」と同じタイプの映画には、2009年のプレシャスや、2016年のムーンライトがあります。
映画「プレシャス」のテーマは、黒人社会における家庭の暴力や同性愛です。この映画の主人公は、アメリカ社会の黒人に対する暴力や家庭の問題によって孤独を感じ、空想の世界に逃げ場を求めます。映画「プレシャス」は、この問題を黒人に対する侮辱的なアプローチからではなく、同情的な視点から捉えています。この映画は、家庭の問題や精神的な問題を抱える黒人の、生きる技術を高める上での、政府や市民団体、個人の助けを描いています。
映画「ムーンライト」も、アメリカの現代社会における黒人の問題を扱っています。この映画は、同性愛者の黒人の人生を描いたもので、文化、家族、学業、経済、雇用の点で問題を抱える、貧困街に住む黒人の少年時代、青年時代、そして大人になった後の3段階となっています。
「ムーンライト」は、この映画の黒人の登場人物が、教育を受けられず、肉体的、思想的な成長に必要な条件や可能性が整っていなかったために、悪い社会習慣へと傾いていく様子を示しています。彼は、家庭でも学校でも、また保護施設でも更正できません。このような子供を支援するはずの市民団体は、この映画には出てきません。黒人の子供たちを助ける社会的な組織が存在しないことは、黒人が生きていく上での現実であり、社会条件に端を発しています。市民団体が、黒人の生活状況に注目していないため、黒人は非道徳的な行いや社会に反する行動へと向かいます。
ムーンライトに出てくる黒人は、他人から注目されなかったり、悪用されたりしたときに、やむを得ずに麻薬の密売などの違反行為を選択します。このような黒人に支援の手を差し伸べる機関はなく、彼は法を守らない人間になります。明らかに、このような法に反する行動の責任の大部分は、アメリカに、貧困街で多くの家庭の問題を抱える黒人の子供のために、こうした問題に対処する機能的な市民団体や教育機関が存在していないことにあります。
「ムーンライト」が黒人の問題を扱っていることにより、この映画は、世論の予想に反し、一部のアナリストによれば、トランプ大統領の差別的な発言を受けて、2017年のアカデミー賞作品賞を受賞しました。これは、トランプ大統領と彼の支持者に対し、黒人は本質的に悪い人たちなのではなく、統治体制や社会的な機関が、彼らの経済的な問題の解消や教育に取り組まないために、黒人社会に法に反する行動が生まれているというメッセージを含むものでした。
この他、社会を現実的に捉えた映画は、白人の傍らにおける黒人の生活を通常のものとして描いています。とはいえ、このような映画の数は、他のカテゴリーの映画に比べて非常に少なくなっています。この種の映画は、黒人と白人を互いに近づけようとしています。また、黒人と白人が平和的に共存しているように示し、彼らの良好な関係や協力を強調しています。
このようなアプローチによる、オバマ政権時代に制作された映画には、2009年の「しあわせの隠れ場所」と、2015年の「クリード、チャンプを継ぐ男」があります。
しあわせの隠れ場所では、黒人と白人が互いを必要としており、第一級の市民、一人の人間としての黒人との交流のモデルが描かれています。この映画は、黒人と白人の間の対立をなくし、その関係を自然なものであるように描こうとしています。
「しあわせの隠れ場所」は、黒人がさまざまな面で劣っているのは、アメリカにおける社会、教育、経済面での不平等な構造にあると見なし、それらの問題が解決されれば、黒人も白人のように、また実際、あらゆる別の市民と同じように暮らし、失敗したり、進歩したり、自分と社会のために貢献したりできるとしています。この映画は、少しずつ段階を踏んで、黒人と白人の境界は存在しないかのように示そうとしています。
ここまで、オバマ政権時代のハリウッドの黒人映画について、大まかに4つのカテゴリーを見てきました。とはいえ、これらの映画の一部は、オバマ大統領が誕生する前にも存在し、基本的に、そのルーツは何年も前にさかのぼります。しかし、お話した4つのカテゴリーは、この時期に特に顕著になったジャンルとなっています。
これら以外にも、この時期のハリウッド映画には、2種類のカテゴリーが存在します。一つは、黒人の大衆に好まれる作品であり、その例には、2015年のドープ、2016年のバーバーショップ3リニューアル、同じく2016年のパージなナイトブラックさん家の史上最悪の12時間があります。これらの映画は、一般受けする内容になっており、その主人公は黒人です。
オバマ政権時代に制作された、人種差別をテーマにした商業的な映画の別のジャンルは、驚くような出来事の物語に、黒人の高い能力を用いているものです。このようなジャンルの映画には、2009年の完全なる報復や、2015年のザ・ウォーカーがあります。
これと同様の映画には、1995年のセブン、1999年のグリーンマイル、2000年のシャフトがあります。このジャンルの映画では、黒人は一般にヒーローとしての役割を担っており、肉体的、人種的に、魅力的な人物として描かれています。