光の彼方への旅立ち、ルクマーン章(8)
コーラン 第31章ルクマーン章 ログマーン 第29節~第34節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第29節
「神が夜を昼の中に、昼を夜の中に入り込ませ、太陽と月を支配し、それぞれが決められたときまで動くのを見なかったのか? まことに神はあなた方が行うことを知っておられる。」 (31:29)
(29)أَلَمْ تَرَ أَنَّ اللَّهَ يُولِجُ اللَّيْلَ فِي النَّهَارِ وَيُولِجُ النَّهَارَ فِي اللَّيْلِ وَسَخَّرَ الشَّمْسَ وَالْقَمَرَ كُلٌّ يَجْرِي إِلَى أَجَلٍ مُسَمًّى وَأَنَّ اللَّهَ بِمَا تَعْمَلُونَ خَبِيرٌ
第30節
「これは、神が真理であり、彼らが神以外に求めるものが偽りであることを証明している。真に神は、崇高で偉大な方であられる」(31:30)
(30)ذَلِكَ بِأَنَّ اللَّهَ هُوَ الْحَقُّ وَأَنَّ مَا يَدْعُونَ مِنْ دُونِهِ الْبَاطِلُ وَأَنَّ اللَّهَ هُوَ الْعَلِيُّ الْكَبِيرُ
前回の番組では、創造世界における神の知識と力の大きさについて触れました。それは、最後の審判で人間を再び蘇らせることができるという、神の無限の力を示すものとなっています。この2つの節は、神の力のまた別の例に触れ、預言者と敬虔な人々に対し、次のように語っています。
「一年のうちで、四季が巡るのとともに、夜と昼が長くなったり短くなったりするのは、神が地球を支配していることのしるしである。実際、神の賢明な措置により、この昼と夜の長さの変化が起こっている」
この節は続けて、次のように語っています。「地球が神に支配されているだけでなく、地球上の生物の存続に大きな影響を及ぼす太陽や月も、人間から動植物に至るまで、地上の生物が生きるために必要な条件を適切な形に整えている。しかし、このような条件が常に残るわけではない。神が望む限り、残るのであって、神の意志で最後の審判が行われるとき、世界の秩序は崩壊する」
第29節と30節の教え
- 神を知る方法のひとつに、創造世界の秘密や自然について研究するというものがあります。コーランはこの方法を強調しています。
- 世界の秩序や天体の動きは一定の期間を持っています。現在の世界には終わりがあり、神の知識においてはそれが明らかにされています。
- 神は不変の真理であり、創造世界は神によって生まれています。神以外のものはすべて、不安定ではかないものなのです。
第31節
「汝は見ないのか? 神の恩恵によって船が海を走るのを。こうして神は自らの一部のしるしをあなた方に示そうとしている。明らかに、その中には、感謝して耐え忍ぶ者たちへのしるしがある。」(31:31)
(31)أَلَمْ تَرَ أَنَّ الْفُلْكَ تَجْرِي فِي الْبَحْرِ بِنِعْمَتِ اللَّهِ لِيُرِيَكُمْ مِنْ آيَاتِهِ إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآيَاتٍ لِكُلِّ صَبَّارٍ شَكُورٍ
第32節
「またいつでも影を落とす雲のような波に巻き込まれるたびに、彼らは純粋な心で神を求める。
だが陸に届けられ、救いを得ると、一部の人は中庸の道を取り、一部は逸脱の道を取る。感謝せず、約束を破る人間を除いては、誰も我々のしるしを否定しない」(31:32)
(32)وَإِذَا غَشِيَهُمْ مَوْجٌ كَالظُّلَلِ دَعَوُا اللَّهَ مُخْلِصِينَ لَهُ الدِّينَ فَلَمَّا نَجَّاهُمْ إِلَى الْبَرِّ فَمِنْهُمْ مُقْتَصِدٌ وَمَا يَجْحَدُ بِآيَاتِنَا إِلَّا كُلُّ خَتَّارٍ كَفُورٍ
前の節に続き、この2つの節は、世界と人間における神の2つのしるしに触れ、次のように語っています。「船が水の上を走り、それによって荷物や人が運ばれることは、神の力のしるしのひとつである」
今日の世界には、自動車や列車、飛行機など、多くの移動手段が存在します。しかし、それでもなお、多くの商品が海を渡って届けられています。
海は、地球にあるさまざまな地点を結び付けています。海はやわらかいじゅうたんのように、人間の足の下に広げられており、陸や空よりも、人間に貢献しようとしているかのようです。
海という恩恵に触れた後、コーランは、神を求める人間の本能的な性質のしるしとして、海で起こる出来事のひとつを挙げ、次のように語っています。
「海で嵐が起こり、船が高波に襲われると、船に乗っている人々は死の危険が迫っていることを感じる。そのような状況の中で、船の人々は、誰かが自分を助けてくれる、という希望を失うが、おのずとある力の方へと引き寄せられる。それこそはそのような恐ろしい状況の中で、彼らを助ける力を持つもの、神である。そこで彼らは純粋な心で神に祈り、神のみに助けを求める」
しかし、感謝しない人間は、嵐が静まり、死の危険を無事に脱し、陸地にたどり着いたとき、それまで救いを求めていた神の存在を忘れ、さらには神を否定することさえします。一方で、多くの人は、そのような状況に陥ったとき、世界の創造主である神に助けを求め、危険が去った後にも、神の道を歩み続け、永遠に信仰心を持ち続けます。
第31節と32節の教え
- 創造物について簡単に見過ごさないようにしましょう。海や海に関する自然現象は皆、神のしるしであり、神を知るための方法です。
- 人間は本能的に神を求めます。しかし、物質的な要素がその本能を覆い隠します。しかし、人間がひとたび困難に見舞われ、その結果、物質的な救いの手段への希望が絶たれると、この覆いは脇に追いやられ、人間は神を純粋に注目するようになります。
- 信仰が永遠のものである人もいれば、信仰が一時的なものである人もいます。
第33節
「人々よ、あなた方の主に従いなさい。また、いかなる父親も子供の役に立たず、いかなる子供も父親の役に立たない日のことを恐れなさい。明らかに、神の約束は真理である。そこで、あなた方は現世の生活に欺かれてはならない。欺瞞的な悪魔は、神の絶対的な赦しであなた方を欺いてはならない。」 (31:33)
(33)يَا أَيُّهَا النَّاسُ اتَّقُوا رَبَّكُمْ وَاخْشَوْا يَوْمًا لَا يَجْزِي وَالِدٌ عَنْ وَلَدِهِ وَلَا مَوْلُودٌ هُوَ جَازٍ عَنْ وَالِدِهِ شَيْئًا إِنَّ وَعْدَ اللَّهِ حَقٌّ فَلَا تَغُرَّنَّكُمُ الْحَيَاةُ الدُّنْيَا وَلَا يَغُرَّنَّكُمْ بِاللَّهِ الْغَرُورُ
第34節
「明らかに、最後の審判のときを知るのは神のみである。神こそが雨を降らせ、母親の胎内にあるものを知っておられる。明日何を手に入れるか、どの土地で死ぬかは誰も知らない。明らかに、神はすべてを知っておられる」(31:44)
(34)إِنَّ اللَّهَ عِنْدَهُ عِلْمُ السَّاعَةِ وَيُنَزِّلُ الْغَيْثَ وَيَعْلَمُ مَا فِي الْأَرْحَامِ وَمَا تَدْرِي نَفْسٌ مَاذَا تَكْسِبُ غَدًا وَمَا تَدْرِي نَفْسٌ بِأَيِّ أَرْضٍ تَمُوتُ إِنَّ اللَّهَ عَلِيمٌ خَبِيرٌ
ログマーン章の最後の節となるこの2つの節は、人生において敬虔さを守るよう、人々に勧め、その理由を述べる中で次のように語っています。「家族がさまざまな問題の中で互いを助け合い、互いの問題を解決できる現世とは異なり、最後の審判では、誰も他人の問題を背負うことはできず、他人を助ける可能性はない。そこで、家族の関係や関心に高慢になってはならない。また、よい行いもせずに、神の慈悲にさずかれると考えるべきではない」
最後の審判で人間が相手にするのは、目に見えない世界のことをすべて把握している神です。神は、最後の審判が行われる時期、人間の死の時期、母親の胎内にいる胎児の状態まで把握しています。神の胎児に関する知識は、その子の性別に限られず、さまざまな能力、精神、いくつもの知識までも含むものです。人間はそれらを知りえず、神のみが知っています。いずれにせよ、人間は決して、自分の隠れた行いを神は知らないなどと考えるべきではないのです。
第33節と34節の教え
- 家族関係は最後の審判では役に立ちません。親子が互いに何の役にも立たないとき、他の人たちの運命は明らかです。
- 最後の審判は、たとえいつかは分からなくても、必ず起こります。人間の死は必ず訪れるものですが、誰もその場所や時を知りません。それを知るのは、神のみです。
- 現世に欺かれないようにしましょう。なぜなら人間の頭から、最後の審判のことを忘れさせてしまうからです。