ナーセル・ホスロー(4)
イスラム暦5世紀における、イランの高名な詩人で思想家のナーセル・ホスローは、若い頃に宮廷に仕え、そこで過ごしていましたが、43歳のとき、ある夢を見たことで精神的な変化を遂げました。彼は7年間、故郷を離れメッカのカーバ神殿などを訪れたあと、故郷に帰り、宮廷への出仕をやめ、禁欲生活と崇拝行為、哲学や思想の教育に従事するようになりました。
ナーセル・ホスローはシーア派の一派、イスマーイール派への傾向を持っていたことから、まわりには敵や反対者が多く、困難な生活を送っていました。彼は安らぎを得るため、現在のタジキスタンの一部であるバダフシャーン渓谷に赴き、15年間そこに滞在し、多くの著作を記しました。
ナーセル・ホスローの持つ情報や知識は韻文、散文の作品において大変明らかに示されています。彼は理性による学問や、歴史などの伝承された学問、基礎科学やギリシャ哲学に精通しており、彼の広い知識により、多くの本をペルシャ語で執筆しました。
ナーセル・ホスローのような熱意にあふれる人物は、その長い生涯の中で、多くの詩や文章を執筆しており、彼自身の言葉はこの点を証明しています。しかし、その多くの作品のうち、確実に彼の執筆したものとされているのはわずかに9点であり、今日にも伝わっています。これらのいくつかは散文で、そのほかは韻文です。ナーセル・ホスローの散文作品には『旅行記』、『解決と解放』、『同胞たちの偉業』、『宗教の書』、『巡礼の書』などがあります。
ナーセル・ホスローの『旅行記』は、前回お話しましたように、ナーセル・ホスローの7年間の旅の説明で、簡潔な散文で記されています。この本には正確な歴史的、地理的情報が含まれ、ナーセル・ホスローが長い旅の期間に、様々な土地で見た人々の慣習が記されています。
そのほかのナーセル・ホスローの散文作品は、神学やイスマーイール派の様々なテーマの説明、あるいは、イスマーイール派の宗教信仰の議論に関して提示される疑問への回答などについて記されています。ナーセル・ホスローの作品は全て、簡潔な散文体でありながら流麗であり、古い言葉を用いており、哲学、神学における専門用語の理解における大変良好なペルシャ語資料です。その理由は、神学に関する彼の本が全て、哲学的、論理的な言葉で書かれており、それらを理解するには哲学の初歩的な知識が必要であることによります。
ナーセル・ホスローの散文作品の中で、『巡礼の書』は最も重要で、イスマーイール派の神学に関する有名な著作の1つとされています。この本が記されたのは、西暦1061年に当たるイスラム暦453年で、27の章立てで記しています。ナーセル・ホスローはこれらの章の中で、身体と感覚に関する学術的内容や、そのよりどころ、精神、場所、時間、世界の創造、精神と肉体の結びつき、輪廻を信じる宗教の否定、来世の報奨と懲罰とその証明について語っています。この本はイスマーイール派の最も重要な哲学書とされており、執筆された時代とその宗教的な位置づけを考慮すると、来世に関する教えや信仰、ファーティマ朝の宗教的な組織がまとまっていた時代における世界観や人間観について記述された書物だというべきでしょう。この本は、ペルシャ語による、歴史ある優れた哲学書の見本であり、ほとんど見られない単語や哲学的用語が使われている点から、大きな重要性を有しています。
『巡礼の書』は、ナーセル・ホスローによるほかの神学や哲学の散文のように、サーマーン朝時代のスタイルであり、ほかの同時代の著作と比べて、より古い表現が見られます。とはいえ、ガズナ朝の時代にペルシャ語の散文に見られた一部の変化が明確に現れています。
『巡礼の書』はまた、ペルシャ語の語彙の点から、特別な重要性を有しています。この作品は、ほかの古い文章ではまったく見られない、あるいはほとんど使われていない希少な単語が記されています。そのほかにも、ナーセル・ホスローはこの本の中で、アラビア語の哲学的な専門用語のために、ペルシャ語の美しい言葉を当てており、その一部は大変希少なものです。このことの重要性は、この本で使われている一部のペルシャ語の語彙が、現在のほかの辞書には見当たらないということから、明白です。
『宗教の書』も、ナーセル・ホスローの重要な著作のひとつです。彼はこの中で、イスマーイール派の神学の問題や解釈、崇拝行為の内実、宗教的な戒律について語っており、イスマーイール派的な戒律や、崇拝行為の隠された様相について語っています。この本は、イスマーイール派に関する本として認識できます。この本が記された時期についてははっきりしていませんが、間違いなく西暦1061年に当たる、イスラム暦453年以後に、ナーセル・ホスローが他国に移住し異境の地で生活していた中で執筆されたものでしょう。なぜなら、ナーセル・ホスローは一部の記述の中で、自著である『巡礼の書』に触れており、「ホラーサーンの混迷における、散逸してしまった信仰の光と、宗教的偉人の恩恵の無力さは、この地における宗教の弱さから来る」と語っています。ナーセル・ホスローは、この本を特定の指導書として重視しており、序の部分で次のように述べています。「この本を読む賢明な人は、宗教を認識することになる」このナーセル・ホスローの作品は、長い期間にわたり見つかりませんでしたが、ロシア人研究者が、アフガニスタン北東部のバダフシャーン州のイスマーイール派の人々から2部の手稿を発見しました。20世紀の立憲思想家タギーザーデは1922年にあたるイラン暦1301年、このロシア人研究者の手稿の写本のうち1部を、ドイツのベルリンに持ち出し、同国の大学教授の助けにより、出版しました。
『賢者列伝』も、ナーセル・ホスローの優れた散文作品のひとつであり、イランのモイーン博士と、フランスの東洋学者アンリ・コルバンにより、ペルシャ語とフランス語で序の部分が書かれ、1954年、テヘランで出版されました。この本は実際、ナーセル・ホスローがペルシャ語によるハージェ・ハサン・ジョルジャーニーの韻文について記した解釈なのです。ナーセル・ホスローはこの解釈を1071年に当たるイスラム暦463年に、当時のバダフシャーンの総督、シャムソッディーン・アボルマアーリー・イブン・アサドの依頼によって記しました。イスマーイール派の指導者・アボルハイサムは82行の韻文の中で問いを投げかけました。イスマーイール派を信仰していた当時のバダフシャーンの総督は、ナーセル・ホスローに対してこの問いに答えるよう求めました。ナーセル・ホスローの思想における重要なこの著作は、このようにしてできたものです。この本は、ギリシャ哲学やナーセル・ホスローのイスマーイール派思想を集大成したものです。
『解決と解放』と『同胞たちの偉業』も、ナーセル・ホスローの散文作品で、トルコ・イスタンブールのアヤソフィア図書館に最初の原本の手稿が収められており、1940年、エジプト・カイロで出版されました。第2版は、サイード・ナフィースィーという人物の校正が入り、インド・ムンバイで1950年に出版されました。この2つの論文のいずれも、宗教的内容について扱っています。『解決と解放』については、ある宗教的な同胞の30の問いに答えています。研究者によると、この『解決と解放』から、当時ナーセル・ホスローがイスマーイール派思想の指導者の1人であったことが、明白に見て取れるということです。この論文では30の問いに対して、簡潔かつ論理的な言葉で答えが述べられ、それを、信者や心の清らかな人の魂を解放し、問題を解決するものだとみなされています。
これらの作品とともに、ナーセル・ホスローは様々な作品を記していますが、それらは現在、散逸しています。また、そのほかのいくつかの著作も、ナーセル・ホスローが著者だったことは間違いないとされていますが、ナーセル・ホスローのものとされるその他の幾つかの作品については、かなり疑わしいものと見られています。
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