サナーイー・ガズナヴィー(1)
西暦11世紀から12世紀に当たるイスラム暦5世紀から6世紀はじめにかけて、広大なイラン文化圏の中に生きた高名な詩人で、神秘主義者のサナーイーについてお話しすることにいたしましょう。
イランの文学研究者・シャフィーイー・キャドキャニー博士は、次のように考えています、「ペルシャ文学史の中で、特定の時期について、「サナーイー以前の詩とサナーイー以後の詩」といわれているが、ペルシャ文学をよく読んでいる人々は、この2つの時期に大きな区別を感じている。ペルシャ語詩を極めたものは誰も、サアディ、ハーフェズ、モウラヴィーであれ、このような論理をペルシャ語詩の中で確立してはいない」
キャドキャニー博士のこの言葉は、サナーイーの高い地位と影響力を物語っています。彼は、神秘主義的なマスナヴィー形式で語りかけていた偉大なイランの詩人であり、アッタールやモウラヴィーに影響を与えました。
イランの偉大な哲学者で神秘主義者の詩人アボルマジド・サナーイーは西暦1072年に当たるイスラム暦464年に、以前はイランの一部で、現在はアフガニスタン東部にある町ガズナに生まれ、西暦1131年5月8日に当たるイスラム暦525年シャアバーン月11日に、ガズナで死去しました。サナーイーは幼少時代をガズナで過ごし、ここで勉学に励み、当時広く行われていた学問のすべて、すなわちアラビア語文学から法学、伝承学、解釈、天文学、哲学、神学にいたるまでの学問の、分野において非常に高いレベルにいたっていました。このため、彼の作品にはこの学問的な地位の影響が明らかな形で垣間見られるのです。
サナーイーの家族はガズナのイラン系の一族の出身で、彼の父親は英知に溢れた人物でした。この点は、はサナーイーの作品にその証拠を見出すことができます。彼の父は当時の貴人の子弟を教育する中で、特別な地位と信用を得ていました。サナーイーはこのような家族、そして当時文学と学問の中心とみなされていたガズナの環境の中で、学問の習得に従事し、大変若かった頃、当時、宮廷詩人にとって必要で有用だった要素を有していました。彼は当時の重要な学問の知識があり、雄弁さとよい性格により、大変若い頃から文学者や学者たちの側で、自分の地位を見出していました。
サナーイーは人生の一時期を旅に費やし、バルフやサラフス、ヘラート、ネイシャーブールなど、そのほかのホラーサーンの都市を訪問しました。この訪問の中で、当時の学問や神秘主義を勉強し、神秘主義者ムハンマド・ビン・マンスール・サラフシーからその叡智を学びました。
サナーイーの一部の詩は頌詩です。これらの詩は、宮廷でさまざまな為政者たちに仕え、彼らを賞賛し、当時のほかの詩人のように、生活を喜びの中ですごしていました。彼はこのような詩人生活を、メッカに巡礼し、バルフを発ってメッカに出発するまで続けました。彼の作品の批評家によりますと、メッカ巡礼は彼の心の中に新たな思想を吹き込んだということです。歴史家のザビーオッラー・サファー博士によりますと、「欲望による抑圧から解放され、真理の美しさに魅了され、このようにして、世界でも優れた詩人となった」ということです。
サナーイーがメッカからバルフに戻ったとき、彼の中の思想的転換の影響が明らかになり、宮廷における生活や(王侯貴族の)賞賛から心が離れ、その後、敬虔深くなりました。このため、彼の詩においても、その影響が現れています。サナーイーがほかの古典詩人よりも優れたものとする、多くの禁欲的な宗教詩は、この時代、バルフで作られたのです。
サナーイーは多くの旅と精神的な革命の後、ガズナに戻り、隠遁生活を選び、神秘主義的、倫理的な詩をまとめました。頌詩による詩集に加えて、1万4千句を持つ四行詩、抒情詩や、そのほかにもいくつかの韻文の作品を記しました。
『真理の庭園』、『バルフの業績書』などがサナーイーの作品と見られています。サナーイーの詩集、句のアレンジや傾向、抒情詩、四行詩などにも、彼の托鉢僧的な要素が含まれています。彼の全集の古い写本では、内容に従って詩作が分類されています。サナーイーの伝記を記した人々によると、彼の詩集は3万句に上り、現存する最も重要な写本が使用されている、サナーイー研究者のモダッレスラザヴィー博士の校正では、1万3780句が存在しています。一方、この版と、テヘラン大学のモザーヘル・モスファー教授の版では、サナーイー全集の序文で説明されているよりも、多くの句がおさめられています。たとえば、サナーイーの全集には、137句の頌詩、206句の抒情詩、443句の四行詩が存在すると、されています。しかし、ある印刷版では、300以上の頌詩、408句の抒情詩、537句の四行詩が確認されます。インドとロンドンにある、サナーイーの詩集の手書き写本には、より多くの詩が収められている印刷版には存在しない句が見られます。
『バルフの業績書』は、業績と名前がつけられていますが、497句を含むマスナヴィー形式の小規模な韻文です。サナーイーの作品の校正者はこの作品をサナーイーの状況の説明書だとしており、このため、その特別な重要性を認めています。業績書には、重要な責務を担った人物の業績について説明されています。サナーイーのこの書も、業績書と名づけられているため、一部の偉人たちや当時の人物の業績について扱われています。サナーイーの個人的な生活や家族についての情報に関して、この本は研究者にとって最良の書とみなされています。それはサナーイーがこの本のおよそ500行の短い韻文の中で、自身の個人的な生活や父親、同時代の人間について記しているからです。
『真理の庭園』は、『宗教の書』としても知られています。これもマスナヴィー形式の詩で、サナーイーは神と預言者ムハンマドの記述からはじめ、その中で理性や知性、愛、哲学について語っています。この本では、信仰や自身の思想を説明する甘美な物語を楽しむことができます。この本に関して、これまでに、多くの解釈が記され、ネザーミー、ハーガーニーなどの偉大な詩人も、この作品に影響を受けました。この『真理の庭園』は、ペルシャ語文学初の神秘的なマスナヴィー形式の書であり、世界的なペルシャ語詩人モウラヴィーもこの作品を大いに賞賛し、重要な内容に関して、自身の著作『精神的マスナヴィー』で扱いました。この本の最も信頼できる版は、モダッレスラザヴィー博士による校正版です。
『来世への信仰の旅』も、サナーイーの韻文作品のひとつで、秘密や神秘主義について記されています。この韻文には、精神世界の旅に関して、美しく力強い言葉で記しています。サナーイーの作品を研究する多くの研究者によりますと、この本はペルシャ語による神秘主義的な韻文作品の中でもっとも有名なものとみなされています。そのほか『愛の書』、『理性の書』、『探求の道』も、サナーイーの作品とされていますが、この主張は批評家や専門家の見解では疑わしいとされています。
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