1月 06, 2021 15:30 Asia/Tokyo

コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第22節~第25節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第22節

「また、敬虔な人々は[敵の]集団を見たとき言った。『これは神とその使徒が私たちに約束したものだ。神とその使徒の言ったことは本当だった。[敵の軍勢を見ることは、]彼らの信仰と[神への]服従を高めただけだった」

 (22)وَلَمَّا رَأَى الْمُؤْمِنُونَ الأحْزَابَ قَالُوا هَذَا مَا وَعَدَنَا اللَّهُ وَرَسُولُهُ وَصَدَقَ اللَّهُ وَرَسُولُهُ وَمَا زَادَهُمْ إِلا إِیمَانًا وَتَسْلِیمًا 

 

これまでの番組の中で、アハザーブの戦いにおける偽善者たちの行動についてお話しました。この節は次のように語っています。「だが、神とその使徒、彼らの言葉を信じる真の敬虔な人々は、敵の軍勢に対峙したときに言った。『これ以前に神はコーランの節の中で、あなた方もまた、以前の共同体と同じように、困難な出来事や敵の攻撃に直面するだろうと知らせていた。神の預言者もまた、以前に、アラブのさまざまな民族や敵たちが、あなた方を消滅させるために同盟を組むと言っていた。そのため、そのような状況になったとき、彼らは偽善者のやり方である逃亡の代わりに、敵に対して抵抗し、神と預言者の命に従うことを示した』」

 

第22節の教えを

  • 敬虔な人間は、圧制的な敵から解放されることはないのを知っています。そのため、常に、敵に対峙するための準備を整えています。
  • 不信心者は、互いに多くの対立を持ちながらも、イスラムとイスラム教徒を消滅させるために団結し、その目的を達成するため、あらゆる可能性や力を利用します。
  • 敬虔な人間は、数の多少に関係なく敵に対抗し、敵ではなく、神に従います。

 

第23節

「敬虔な人々の中には、神に約束したことを忠実に守った人々がいる。一部の人々は約束を実行し[て殉教し]た。また一部の人々は、[殉教を]待っており、その約束を変えなかった」

(23)مِنَ الْمُؤْمِنِینَ رِجَالٌ صَدَقُوا مَا عَاهَدُوا اللَّهَ عَلَیْهِ فَمِنْهُمْ مَنْ قَضَى نَحْبَهُ وَمِنْهُمْ مَنْ یَنْتَظِرُ وَمَا بَدَّلُوا تَبْدِیلا 

 

真の敬虔な人々の抵抗について述べた前の節に続き、この節は次のように語っています。「信仰を寄せた人々は、神の宗教を助けることを怠らず、全身で抵抗すると神に約束した。そのため、彼らの一部は、バドルとオホドの戦いで殉教した。また、自分の約束を守り、神の道において命を捧げることのできる状況を待っている人々もいる。この約束を果たそうとする上で、彼らに迷いは全くない。彼らは信仰の弱い人々とは違う。信仰の弱い人々は、戦いに参加しても、無事に生きて帰れたことを喜び、別の戦いが起こったときにも、戦う準備はできていない」

 

第23節の教え

  • イスラム教徒は、信仰の点で皆が同じレベルにはありません。一部の人々は平穏な生活を好み、一部の人々は、神の道における殉教を追い求めます。
  • 命がある限り、宗教を守るための用意は、信仰にどれほど誠実であるか、神との約束にどれほど忠実であるかを示すものです。
  • 真の敬虔な人間は、友人や愛する人の殉教を目にしても臆さず、神の道における戦いから逃げることはありません。それどころか、自ら殉教を待ち望みます。

 

第24節

「それは神が、誠実な人々の誠意に対して報奨を与え、お望みになれば偽善者に責め苦を与えたり、[もし彼らが罪を悔い改めれば]彼らに恩恵を戻すためである。神は寛容で慈悲深い方であられる。」

(24) لِیَجْزِیَ اللَّهُ الصَّادِقِینَ بِصِدْقِهِمْ وَیُعَذِّبَ الْمُنَافِقِینَ إِنْ شَاءَ أَوْ یَتُوبَ عَلَیْهِمْ إِنَّ اللَّهَ کَانَ غَفُورًا رَحِیمًا

 

第25節

「神は不信心に走った人々を、何の結果も残せないまま、怒りに満ちた心を持って帰される。神は敬虔な人々を戦わせずに[、彼らを勝利させ]た。神は失敗のない全能者であられる」

(25)وَرَدَّ اللَّهُ الَّذِینَ کَفَرُوا بِغَیْظِهِمْ لَمْ یَنَالُوا خَیْرًا وَکَفَى اللَّهُ الْمُؤْمِنِینَ الْقِتَالَ وَکَانَ اللَّهُ قَوِیًّا عَزِیزًا

 

この2つの節は、アハザーブの戦いの結果をこのように述べています。「敵と戦うために戦闘服を身につけ、イスラムの道に身をささげる覚悟で預言者の傍らに立った真の敬虔な人々は、2つのグループの間に戦いが起こらず、戦うことも、殉教することもなかったとしても、神から報奨を受け取る。だが、自分の意志も弱く、他人の意志をも弱めるような偽善者たちには神の懲罰が下る。ただし、彼らが罪を悔い改めれば、神は彼らを赦し、その罪を見逃してくださる」

 

このような陰謀によってイスラムの根を絶やし、預言者とイスラム教徒を消滅させることができると考えていた不信心者や多神教徒たちは、勝利も戦利品も手に入れられずに帰りました。この出来事の中で、神はイスラム教徒に、いかなるときも敵を恐れてはならないこと、また、敵の陰謀は神の前では何の意味もなく、神の力を抑えるなどできないことを知るべきだと教えました。イスラムを根絶するために結束し、戦場にやって来ていた敵たちは、怒りと悲しみを抱いた状態で自分たちの土地に戻っていき、その望みを果たすことはできませんでした。

 

第24節~第25節の教え

  • 誠意は言葉の中だけにあるのではありません。行動においても、神との約束に忠実でなければならず、神の宗教を助けることを怠ってはなりません。
  • 神の恩恵はすべての人に注がれます。約束を破った偽善者も、罪を悔い改めれば、神の思し召しによって、赦しを得られる望みがあります。
  • 人生のさまざまな問題において、物質的な清算だけに満足せず、目に見えない助けやそれ以外の清算にも注目するようにしましょう。