コーラン第23章アル・ムウミヌーン章信仰者(1)
今回からは、コーラン第23章アル・ムウミヌーン章信仰者を見ていくことに致しましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
「明らかに、信者たちは救われた。彼らは礼拝において謙虚である」
(第1節と第2節)
コーラン第23章アル・ムウミヌーン章信仰者はコーランの23番目の節で、全部で118節あり、メッカで下されました。
この章の名前が、信仰者を意味する「アル・ムウミヌーン」とされたのは、この章の初めの節で、敬虔な人々の姿が描かれているためです。興味深いのは、この章が、何よりも敬虔な人々の栄誉ある運命に触れ、人々の心に、このような高い地位につきたいという気持ちを抱かせていることです。そのため、コーランは次のように語っています。「敬虔な人々は救われた」
幸福や救済には広い意味があり、物質的な成功と精神的な成功を含んでいます。現世の成功と救済は、人間が誇り高く自由に暮らすことの中にあり、それは信仰がなければ不可能なものです。来世の幸福も、人間が神の慈悲により、神の永遠の恩恵を大いに与えられ、最高の栄誉と誇りの中で生きることにあります。
続く節は、信仰を寄せた人々が救済されるための特徴を挙げています。そして、何よりもまず、礼拝を挙げ、次のように語っています。「彼らは礼拝の際に謙虚である人々である」 謙虚とは、肉体的にも精神的にも礼儀正しいことを指し、偉大な人物や重要な真実を前にしたとき、人間の中に生まれるものです。この節は、敬虔な人間の礼拝は、魂のこもらない言葉や行動ではなく、礼拝の際には、神に注目し、神以外の全てのものから離れる、ということを指摘しています。彼らは、神という無限の存在に対して自らを取るに足らない小さな存在と見なしています。そのため、神と語らい、熟考に浸ります。創造主の偉大さを理解することで、人間は謙虚になります。そして謙虚な礼拝は、人間の傲慢さを破り、人間の中に美徳が生まれるきっかけを作るのです。
アル・ムウミヌーン章の第3節は、この他の敬虔な人間の特徴を挙げています。それは、無意味な行いに背を向けることです。ここで言う「無意味な」とは、結果を伴わない行い、目的のない行いを指します。このように、敬虔な人間の生活や行動の全ては、建設的で有益な目的を追求したものです。とはいえそれは、言葉や行動に限られず、人間に神のことを忘れさせ、有益な問題について考えることを怠らせるような、根拠のない考えは皆、ここでの「無意味な」ものに含まれます。しかし敬虔な人々は、無意味な行いをしたり、無意味な考えに耽ったりしないように育てられています。コーランの言い方を借りれば、彼らはそれから背を向けるのです。
敬虔な人間のこの他の特徴は、社会的、経済的な面に関するものです。彼らはザカートと呼ばれる喜捨を支払い、社会のニーズや不足に注目します。喜捨は、イスラム法で定められた税金の一種であり、宗教義務と見なされます。このザカートという単語は、コーランの中で、義務ではなく、行った方が望ましい行為として出てくる場合もあります。コーランの節のうち、28の節で、ザカートが礼拝と共に述べられていますが、これは、イスラムにおいて、ザカートがいかに重要なものであるかを示しています。
アル・ムウミヌーン章第5節によれば、敬虔な人間は、清らかさという重要な性質を備えています。彼らは、道徳に反する醜い行いや罪に穢れることがないように気をつけています。
「また、自分のすそを[罪の穢れから]守る人々である」
性的な本能は最も抑制のきかないものであり、それを抑えるには、欲望をコントロールし、信仰を持ち、敬虔であることが必要です。この欲望は、人類が種を存続させるためのものであり、正しい方法によって満たされる必要があります。コーランの教えによれば、敬虔な人間は、性的な穢れから自らを守り、清らかさを保ちます。とはいえ、アル・ムウミヌーン章の第6節は、その例外に触れています。性的な本能はコントロールされますが、それが合法な場合、つまり、配偶者や女性の奴隷と関係を持つことは非難されないとしており、この域を超えた人は、侵害者と見なされます。
預かり物に対して瀬金を持つこと、創造主と創造物に対する約束を守ること、これらもまた、敬虔な人間の特徴です。アル・ムウミヌーン章の第8節には次のようにあります。
「そして、預かりものに対して責任を持ち、約束を守る人々である」
預かり物に対して責任を持ち、約束を守ること、これは人類社会の最も重要な基盤です。この原則が守られなければ、社会は混乱に陥ります。敬虔な人間は、預かり物や約束を裏切ることはありません。神の恩恵は私たちの手に委ねられた預かりものです。真理の教え、天啓の書物、神の預言者たちの教え、子孫や財産、社会的な地位は皆、神からの預かりものであり、敬虔な人間は、自分の力に応じて、これらの預かり物を守らなければなりません。
アル・ムウミヌーン章の節は、再び、礼拝を守ることを敬虔な人間の特徴として挙げ、次のように語っています。
「彼らは礼拝に気をつけ、それを怠らない人々である」
興味深いのは、敬虔な人間の特徴として最初に挙げられている事柄が、礼拝に謙虚であることであり、最後の特徴が、礼拝を守ることとされていることです。アル・ムウミヌーン章の前半の節は、信仰を持った人間の特徴を述べた後、彼らのふさわしい行いの結果を述べています。
「彼らは後継者である。彼らは至高の楽園を相続し、その中に永遠に留まる」
この節にあるフェルドウスというアラビア語の言葉は、あらゆる神の恩恵が集まった楽園を指しています。そのため、それを“至高の楽園”と呼ぶことができるのです。