アメリカは人種別に割り当てされた冷水器を真に乗り越えたのか、それとも差別形式が変わっただけか?
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アメリカにおける人種差別の一例;オクラホマシティ、1939年
20世紀のアメリカを代表する写真家ラッセル・リー(1903~1983)が1939年に同国オクラホマシティで撮影した写真は、アメリカにおける日常的な人種差別の瞬間を永遠に記録するものとなっています。
1939年、ラッセル・リーは人種差別の象徴となる一枚の写真を撮影しました。
【Pars Today国際】この写真はオクラホマシティの路面電車の駅に立つ1人の黒人男性を撮影したもので、駅のウォータークーラーは「カラード(有色人種)」と「ホワイト(白人)」の表示により区別されていました。この写真は当時の米国社会の実態を記録するという連邦政府のプロジェクトの一環でしたが、結果的には一歴史的記録という枠を超え、アメリカの公共空間で制度化された人種差別の象徴となったのです。
当時、特にアメリカでは南部および中部諸州において、ジム・クロウ法(1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称)により学校、交通機関、レストラン、さらにはウォータークーラーにおける人種隔離が合法化されていました。ラッセル・リーの写真は、単なる一瞬の出来事ではなく、肌の色に基づいて人々を最も基本的な生活必需品から隔離・差別する構造を如実に捉えています。
それから80年以上が経った現在、アメリカは自らを自由で平等な国家であると宣言しています。しかしそうした文言とは裏腹に広範囲にわたる抗議活動、反人種差別運動、そして法的努力にもかかわらず、教育、医療、司法、そして経済における人種間の格差・差別は依然として存在しているのが現状です。
アメリカは果たして、人種別に隔離されたウォータークーラーを真に乗り越えたのでしょうか?それともあくまでも差別の形式が変わったに過ぎないのでしょうか?