アーシュラー、シーア派3代目イマーム殉教の日(日本語のナレーション付)
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アーシュラー、シーア派3代目イマーム殉教の日
本日10日は、シーア派3代目イマーム・ホサインがイラク・カルバラーの地で戦い、殉教したアーシュラーの日です。
カルバラーでのその戦いは、西暦680年10月13日、イスラム暦の61年モハッラム月10日に発生した出来事です。
この戦いは、イラクのニナワという町の近く、イスラムの預言者の孫イマーム・ホサインが率いるごく僅かの軍勢と、当時のウマイヤ朝の暴君ヤズィードの大軍の間で勃発しました。ヤズィードがイマームホサインに戦いを挑んだ理由は、ホサインがヤズィードに忠誠を誓わなかったことにありました。一方のホサインも、ヤズィードによる統治支配を圧政による違法なものとみなしていたのです。
ホサイン側の軍勢は、教友らを含め72名という僅かなものでした。これに対し、敵方のヤズィード軍は3万人という軍勢を誇り、この戦いは明らかに不平等なものでした。しかし、イマームホサイン率いる正義の軍は、勇敢さや威信、倫理感を漲らせていました。対するヤズィードの軍は罪、残忍さ、世俗主義の塊そのものでした。この戦いで、イマームホサインとその教友たちは非業の殉教を遂げます。
ホサインの殉教後、ヤズィード側の将軍の1人、ウマル・イブン・サアドは、勇敢に戦い、殉教していったホサインの教友72人を斬首し、その首を槍の先につるし、教友たちの遺体の上を馬に乗って通り過ぎていきました。
イマームホサイン側の陣営は略奪され、燃やされ、捕虜となった少女たちの耳からは耳飾が奪い取られました。
こうした痛ましい事件から1400年が経過した現在、アーシュラーの出来事の殉教者たちを追悼する大群衆の中で、彼らの勇敢な行動を称える声が大きく響き渡っています。不平等な戦いに挑んだイマームホサインの軍勢がいかに小規模だったとはいえ、彼らが政治の場面や信条にもたらした影響はとてつもなく大きなものだったといえるのです。
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