視点
イスラム恐怖症を武器にした戦争と差別の正当化、複数の視点から
アメリカは西側諸国の崩壊後、それに対抗する外的因子を定義し、その国際的役割の再定義に努めてきました。アメリカの政治家が考えるイスラム恐怖症は、ハリウッド作品を通じてさらにクローズアップされています。
イスラム恐怖症:植民地主義思想の産物
イラン国営放送イスラム調査総局の芸術・コミュニケーション・バーチャル空間部門ディレクターを務めるエフサーン・アーザルキャマンド氏は、「イスラム恐怖症は西側諸国の植民地主義の産物である」と語ります。同氏によれば、過去100年間の対イスラム恐怖感は、政治的イスラム破壊から始まった、つまり、世界のイスラム圏エリート社会やさまざまな国々でモダニズムと啓蒙主義の運動が形成された時であり、西側諸国がこのイスラム恐怖症の波を追求したとされています。実際、一部の人々の間では、イスラム教徒が同じプロセスや基準、指標をもって自らのアイデンティティを回復できれば、これは西側諸国に大きな危険をもたらすだろうと考えられていました。
イスラム恐怖症の舵を取るアメリカ
イランの大学で学術評議会委員を務めるバシール・エスマーイーリー氏は、政治家が1つの敵の存在を切実に必要としていることについて、次のように述べています。
東西二極体制の崩壊により、国際関係の舞台、そしてその結果、唯一残された超大国としての米国の外交政策は、意義とアイデンティティの危機に見舞われた。
当時、一部のアメリカの思想家は、外交政策に方向性を持たせるべく共産主義に代わる敵をつくろうと多くの努力をしましたが、そのいずれも2001年9月11日の同時多発テロ事件ほど、アメリカの外交政策を効果的に説明し概念化するものではありませんでした。
アメリカの政治家らはこの事件を利用して、外交政策における迷走期間を経て共産主義崩壊後、新しい戦略を提示し、それを世界の幅広いレベルで実行しました。2001年9月11日に米ニューヨークの世界貿易センタービルと国防総省へのテロ攻撃という懐疑的な事件により、自国と世界に対するアメリカの捉え方は恒久的に変貌しました。この攻撃を下地として、アメリカの内政・外交政策における1つの価値観、即ちイスラム恐怖症の正当化という思考が出来上がったのです。
ハリウッドにおけるイスラム像の基軸
大学教授でメディア専門家のアリー・ダーラービー氏は、ハリウッドが神経を集中し米国のメディア外交の後ろ盾と考えられているイスラム恐怖症の基軸として、以下の項目を列挙しています。
1.固定的で画一的かつ融通の利かない構造としてイスラムを定義・提示すること
2.イスラムを、他の文化と共通の価値観を持たない、独立した異なる存在として提示すること
3.イスラムは西洋文化に比べて低い地位にあるとすること
4.イスラムは、政治・軍事的問題にのみ使用される一政治的イデオロギーとして単純に定義されること
イスラム恐怖症の立場では、これらの理由からイスラム教徒に対する差別行為が正当化され、イスラム教が西側諸国とその価値観を脅かしていると見なされます。
対イスラム心理戦におけるハリウッド的手法
テヘラン西部ガズヴィーンにあるイマーム・ホメイニー国際大学の学術評議員セイエド・ホセイン・シャラフッディーン氏は、イスラム恐怖症に関してハリウッドが使用した手法について次のように説明しています。
「彼らの破壊的戦術としては、汚名を着せることや侮辱、侮蔑、陰に陽に行う嘲笑といった戦術に訴えるものが挙げられる。これらの吹き込みが多様性、話題の多さ、多岐にわたるプロセス、付加的内容の使用やその繰り返し可能な性質などにより、大衆の意識にさりげなく徐々に浸透し、植え付け、一種の意識的・連想的な条件付けを生み出し、自らの知覚システムの枠内での意味を生み出すのである」
イランの人権活動家で女流作家でもあるアーレズー・マラーリー氏は、テヘラン大学教授のサイードレザー・アーメリー博士が提唱した、多文化関係の分野における「支配の嫌悪」のモデルを説明する中で、「西洋社会における支配的な見解は憎しみを拡散する。西側諸国におけるイスラム教徒に関して言えば、この憎悪のムードはハリウッド、法律、政策設定、教育、メディアによって生み出されている」「エンターテインメント業界では、イラン人やパキスタン人などに対するステレオタイプ的な捉え方と同様に、イスラム教徒が人間以下の存在で特殊な宗教的信念を持ち、『神は偉大なり』と連呼する人々だというこうした定義づけが、映画産業が誕生した頃から存在している」との見解を示しています。
マラーリー氏は、さらに次のように続けています。
「今起こっていることは、私たちは『人間以下の存在』としての描写を通り越して、映画の結末に誰かが死に誰もがその死を喜んでいる様子を描く代わりに、特定の人々に対する暴力の文化を拡散しているということである。おそらく映画『アメリカン・スナイパー』が公開された当時、映画製作者の目的が人々にイスラム教徒の殺害を奨励することだったなどとは誰も言わなかっただろう。だが、この映画の公開後、今や少なくともアメリカとカナダでは、まるでスナイパーがイスラム教徒を処刑しているかのように、人々が路上でイスラム教徒を射殺する複数の事例が報じられた。これらの行動を開始したのはアメリカ人狙撃兵ではなく、数十年にわたる下地作りと『イスラム教徒は人にあらず』とする吹き込みやその類がこのプロジェクトの鍵となった」