7月 18, 2019 16:30 Asia/Tokyo
  • 喜び
    喜び

娯楽は、人間の基本的なニーズのひとつです。

言うまでもなく、人間にとっての喜びは、精神にとっての健康的な滋養であり、人間を精神的な弱さのみならず、身体的な弱さからも解放してくれるものです。
健全で好ましい娯楽に対し、神の命に背き、危険を伴う一時的な快楽は、好ましくないとされるのみならず、賢明なものでもありません。一時的な快感や喜びの後、後悔の念だけが残ることになります。

イスラムの預言者ムハンマドの末裔であるイマーム・レザーも、その崇高な生涯においてそのことに注目していました。この偉人は、次のように語っています。

 

”現世での喜びや満足を、自らの成功のために活用し、自らの欲求を正当な方法で満たすがよい。快感や喜びをもたらす趣味や娯楽は、生活を経営していく上であなたの助けとなり、あなたはその助けにより、現世での様々な事柄をよりよく成就できるようになる。自分の時間を次のように4つに配分するがよい。1つは、神への祈祷を捧げる時間、2つめは仕事や生活上の雑事のための時間、3つめはあなたの兄弟、そしてあなたの問題点を指摘してくれ、清らかな心であなたと接してくれる、信用の置ける人々との付き合い、そして4つめは合法的な満足を得るための時間である”

 

ふざけたり、冗談を言ったりするのも、社会的な関係における重要なテーマの1つです。偉大なる預言者やイマームたちの伝承の数々から、言葉上の遊びや冗談は他人への侮辱やさげすみにならない限り、賞賛されるべき好ましいものとされています。イスラムの預言者ムハンマドは、これについて次のように述べています。

 

”誠に、私は冗談を言うが、真実以外のことは口にしない”

 

偉大なる預言者は、信心深い人が持つユーモアな性格について、次のように述べています。

 

”信心深い人間は、冗談が好きで他人に愛想良く振舞い、偽善者は無愛想でイライラしている”

 

その一方で、清らかなイマームたちは、数多くの伝承において、行過ぎた冗談を言う人々を戒めています。彼らは、健全で好ましい趣味や娯楽に注目し、それ以外のことを行う上での助けとなる合法的な娯楽に1日の時間の一部を充てる一方で、神への祈祷による精神性や、精神性ある喜びにも特に注目しています。それは、神とのそうした語らいや祈祷から精神的な影響や心の安らぎがもたらされるということは、決して否定できないからです。今日、精神科医は、医学的な治療のための祈祷や礼拝について議論するとともに、精神的な問題の解消に対するそれらの影響をアピールしています。これについて、イマーム・レザーも精神的な安らぎや喜びを得ることについて、次のように述べています。

"偉大なる神の御前において、信者たちにとって、義務の遂行に次いで喜ぶこと以上に好ましいことはない”

 

人間は、善良な行状や性格のよさにより神に愛される存在となり、こうした善良な性格が他人の喜びにつながるものであれば、神とその預言者をも喜ばせることになります。ユーモアは、宗教を持つ人々の特徴の1つとされ、節度のあるユーモアは価値あるものです。そうしたユーモアや冗談は、虚偽や醜さ、誹謗中傷や他人への陰口を伴うものであってはならず、節度をわきまえると共に、宗教上許される範囲内のものである必要があります。イマーム・レザーは、次のように述べています。

 

"他の信者たちの悲しみや悩みを解決した人は皆、最後の審判の日に神により心に抱えている悲しみが解消される”

 

また、別の伝承においても、イマーム・レザーは次のように述べています。

 

"よい香り、蜂蜜、乗馬、緑豊かな風景を眺めることは、心地よさや喜びにつながる”

 

この伝承によれば、植物が生い茂る緑豊かな風景を眺めることは、精神疾患の一部を癒し、うつ状態や悲しみを吹き払います。このことは時に、驚きを誘うものであり、そのほかの娯楽に勝るとも劣らないものなのです。

 

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