民族の定住に影響を及ぼした重要な要素
今回は、民族の定住に影響を及ぼした重要な要素についてお話しすることにいたしましょう。
イランの各民族はそれぞれの状況下で、ある地域を居住のための場所に選んできました。地理的、気候的な要因が、この選択に影響を及ぼしたもののひとつでした。イランに向かうあらゆる民族は肥沃で水の多い気候の良好な土地を求めていました。イランの北西部、西部、南西部はこうした特徴を有することから、常にイランの民族の注目を集めてきました。現在も人口や人材が散らばっていることは、こうしたことによります。当然、気候、生活習慣、牧畜のための牧草地の存在は、こうした選択に影響を及ぼす要素です。
イラン民族の定住を検討する上でのこの他の重要な要素は、イランの民族と政府の関係です。政治抗争、戦争、地域の敵対、これに関する安全保障などの問題に注目すべきでしょう。
イランの一部の民族はかつて、中央政府や地元の政府の圧力により、自分たちの土地から他の地域へと移動していました。こうした強制的な移住により、部族の慣習や行動様式は新しい環境の影響下に置かれ、新たな文化が生じました。一時期、様々な民族は滅亡を防ぐために、敵が侵略しにくい山の中にある地域を居住先に選びました。これがイランの民族が、生計の手段や自然環境に基づいて、西部や北部、南西部の地域を居住地に選んでいた理由です。
概して、ザグロス山脈の裾野は、イランで最も重要な遊牧民の生活地域となっていました。ザグロス山脈の麓では、どこよりも進化を遂げた遊牧民を目にすることができます。イラン西部で遊牧民が暮らす主要な地域は、トルコとイラクの国境から、ロレスターン州、フーゼスターン州までの幅広い地域となっています。
西部の遊牧民の地域は、コルデスターン、ケルマーンシャー、ロレスターン、イーラーム、西アーザルバイジャーン、チャハールマハール・バフティヤーリー、フーゼスターンの各州となっています。一方、北西部は、アラスバーラーン山、サバーラーン山からモガーン平原、アラス川の周辺地域、さらにアハル山、メシュキーンシャフルまでがアラスバーラーンと呼ばれる遊牧民の地域となっています。さらに、アラス川の川岸からアゼルバイジャン共和国の国境まで、またトルコの国境までがシャーフサヴァン族の地域となっています。
この他イランの遊牧民が暮らす地域は、イラン南部、ペルシャ湾の沿岸まで延びるザグロス山脈の南半分にあります。この地域の遊牧民の名前は、イラン国内外でよく知られているようです。ガシュガーイー、バフティヤーリー、ハマセ、ブーイェルアフマドといった民族です。これらの遊牧民は、広範にわたる地域に暮らし、より長い距離を移動します。
ガシュガーイー族が暮らす地域は、イスファハーン州の南部、ファールス、ブーシェフル、コフキールーイェ・ブイェルアフマド、チャハールマハール・バフティヤーリーの各州、またフーゼスターン東部を含んでいます。ハマセ族の地域はファールス州です。またママサニー族の地域はファールス州にあり、北部のコフキールーイェから南部のカーゼルンまで広がる広大な地域となっています。コフキールーイェ族は、シーラーズ北西部の地域を移動しています。
バフティヤーリー族は、イスファハーン州西部、チャハールマハール・バフティヤーリー、ロレスターン、フーゼスターンの各州を移動しています。アラビア語系の部族は主にイラン南西部のイラクとの国境地域、さらにペルシャ湾岸、とくにフーゼスターン州で暮らしています。これまでに述べた地域以外に、一部の部族が北東部や南東部に散らばっています。
ゴレスターン、ホラーサーンラザヴィ州を含むカスピ海南東部の地域は、トルクメン人が住む地域です、イラン南東部には、バルーチ族が多く暮らしており、バルーチェスターンからスィースターン、ケルマーン、南ホラーサーンの一部を含みます。
一方、村や都市などの一箇所に定住する民族については、このような生活は、各地の地理的状況に直接関係があると言えるでしょう。水の存在、その利用方法や確保は町や村に定住する民族にとって非常に重要な問題となっています。北部のギーラーン、マーザンダラーン、西部のケルマーンシャー、そして南部のフーゼスターンの村ではある程度川の水を水源としています。またファールス、ホラーサーン、ケルマーン、イスファハーン、中部の地域では、多くの村が井戸やカナートと呼ばれる地下水路により、地下水を利用しています。