インターネットが青少年に及ぼす影響(3)
今回も、インターネットが青少年に及ぼす影響について考えてみることにいたしましょう。
インターネットをはじめとする新たな情報技術は、人間関係のあり方に変化をもたらしています。インターネットや携帯電話などの使用により、比較的少ない費用で通話やメール、画像をやり取りできます。インターネットは、双方向のメディアの1つです。内容を受信する相手は単なる聞き役ではなく、その内容について自分の意見を発信する力を持っています。さらに、この先進技術のその他の特徴として、刺激的で魅力があることの他、国境がないことから、インターネットを最も支持しているのは若者となっています。現代の若者は、直接遠く離れた国と連絡でき、自分の考えを述べたり、抗議したりできるのです。
若者たちは、デジタル図書館を通して、世界のどこにいても知識や芸術に触れることができ、ダウンロードしたプログラムやツールの助けにより、自分の考えや理念を表明する新たな方法を習得し、他国の文化に触れています。現代の若者たちが、西側諸国によりインターネットで紹介された内容や、全ての文化に触れていることから、彼らの個人的、社会的な行動や考え方、人生観は、過去の世代とは明らかに異なっています。
若い世代の人々は、バーチャル空間という可能性を利用できることから、自らのアイデンティティを見出す上で基本的な問題に直面しています。情報通信手段によって影響を受ける重要な側面の1つは、アイデンティティです。現代社会において、若者はあらゆる価値観や特定の生活様式を広める、多様な情報源を有しています。一方、アイデンティティの源となる家族や地域、民族性、国民性などの影響力は減少しています。情報量が極端に増大している現代世界において、アイデンティティはかつての意味や基盤を失っているのです。若い世代においては、一部の事例ではアイデンティティの危機が発生するほどアイデンティティが大きく変化しているのです。
特にアイデンティティの形成期にある若者は、常に様々な価値観の発見を求め、それらを自分の内面に取り込もうとしています。彼らは、インターネットにより大量で驚くべき様々な情報に遭遇しており、このインターネットで自らのアイデンティティを見出すしかないのです。個人的なアイデンティティは、その人独自の特質を形成し、また社会的なアイデンティティは様々な集団とのつながりを築きます。
今日、インターネットは若者が様々な役割や立場、そして生活様式の中に身を置いている文化的、社会的な場所です。このため、彼らのアイデンティティの一部は、こうしたメディアとのやり取りの影響により形成されます。ですから、インターネットをはじめとする一般的なメディアを若者に提供する、多様な可能性や選択肢により、若者は常に新たな刺激や様々な行動様式に触れているのです。こうした環境は、常に変化する不明瞭なアイデンティティを生み出します。
情報通信技術の拡大は、特に若者をはじめとする人々の価値観や物事の見方、そして生活様式に根本的な変化をもたらしています。ラジオやテレビ、様々なインターネットサイトや、そのほかのマスメディアなどの存在はすべて、人々に文化的影響を与える上で大きな力を持っています。これらのメディアは、確実に若者の行動様式により大きな影響を及ぼします。こうした影響は、若者のものの見方や考え方のみならず、服装など、付き合いのマナーにも明白に見られます。
ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスは、デジタル情報技術や衛星通信技術の出現とその国際的なプロセスへの影響に関する、最も重要な評論家の1人です。彼は、次のように述べています。
「消費の文化は、アメリカナイズされている。彼らは、自らの文化を遠くはなれた他国にまで押し付けるのみならず、西側においても最も意味のある違いをなくし、地元に最も深く根ざした伝統をも弱体化させている」
実際に、メディアや情報通信手段は、どちらかと言えば西側諸国の物質的な価値観による文化、快楽主義、個人主義を広めています。こうした状況による弊害により、若者の間における倫理的な意識が薄れています。こうした通信技術のプログラマーが、主に西洋人であることは決して驚くべきことではなく、閲覧者の多いサイトや画像の多くは、西側諸国や消費志向にある国の民族的、文化的なアイデンティティに影響を及ぼし、閲覧者側の文化を弱体化しているのです。
インターネットが持つ危険な可能性の1つは、素性が不明な使用者を引き入れてしまうことです。チャットルームに夢中になっている人々の多くは、現実に反したプロフィールを使い、自作自演で架空の人物の言葉で語ります。このため、こうした素性の分からない人物は、誤った見本や価値観、信条を提示して、若者を倫理的、人間的な価値観とはかけ離れている価値観や習慣、退廃した文化の影響下に置きます。
さらに、素性の分からない人物が入ってくることで、若者は無分別にバーチャル空間に入るようになります。若者は、バーチャル空間ではどのような人物にもなりえます。実際に、若者は特別な空間にいて、自分の様々な側面をさらけ出すことができると考えるようになります。このことから、若者にとってインターネットは現実的な公共の場所の代わりとなります。このため、一部の若者はインターネットの使い方に関する両親からの質問に動揺してしまうのです。確かに、バーチャル空間では若者がより多く共感し、何かを経験するための可能性が整っていますが、問題となるのは若者が分別なくこうした空間においてマイナスの思考や価値観、好ましくない癖をつちかってしまうということです。
現代世界では、家庭はもはやの存在感を失っています。なぜなら、インターネットを使用する若者は普通、家族と交渉する時間は少なく、その結果両親を初めとする家族との温かい関係が希薄化します。一方で、一部のインターネットサイトの内容は、伝統的で古い世代とされる両親の価値観や期待、精神的な欲求、集団志向、規律の遵守、宗教的な倫理に沿ってはいません。実際に、インターネットは、親の世代と子供の世代の溝を深めています。さらに、社会において一部の若者はサイバー空間によって大規模に広められる西洋の物質的な文化を見本としており、もはや結婚して家族を持とうとはせず、何よりも独身生活やインターネット空間での生活の方を好むようになっているのです。
先進技術は、確かに多くの利点をもたらしてきましたが、バーチャル空間によって社会に提示される個人主義や利益追求主義、無宗教、消費志向といった価値観は、若者の行動様式に直接影響を及ぼしています。こうした影響に対抗できるのは、多くの多様で数多くのメッセージを解釈し、識別する力がある若者であり、彼らはインターネットを時間つぶしにではなく、学問などの建設的な目的に使うことが可能なのです。
新しい通信技術が悪影響をもたらす原因の1つは、文化的な基盤が形成されていないこと、そして社会の文化とこうした先進技術が適合していないことにあると言えます。社会における文化関係者は、然るべき措置を講じて、この先進技術が生み出した結果のメリットとデメリットを考慮し、それらの発生源を調査しながら地元のメディアを通じて、先進技術を自分たちのものとすべきだったのです。