イランの民謡
今回の番組では、イランの民謡についてお話しすることにいたしましょう。
イランの大衆文学における民謡は、長い歴史があります。おそらく、定型詩が生まれる前、民謡は人類の最初の歌であると考えられ、それによって人々の感情、考え方が表現されていました。これらの歌は時代の経過の中で変化していきました。
イラン人の最初の歌も、民謡の中で検討されるべきでしょう。民族は最初、内なる感情を、歌の形で表現していました。後に、韻を踏んだ詩が登場したことで、民謡は異なった形をとるようになりました。
民謡はイランの民族の中で、重要な地位を誇っています。イランの民族は、生活のあらゆる瞬間を独自の歌で表現しています。出産の歌、労働の歌、雨の歌、死の歌、子守唄、これらはイランの民謡のほんの一部に過ぎません。
民謡は現代において、都会で暮らす人々の間で変化した形で歌われています。現在と過去の民謡には隔たりができ、現在、民謡は異なった空気感を有しています。
民謡はいわゆる韻を踏んだ短い歌のことで、その半句の長さはそれほど重要ではなく、リズムを伴っています。ペルシャ語の最初の民謡の起源は、イスラム以前の時代のペルシャ詩にあります。
詩は、予期せぬ出来事です。この出来事は、ありのままの形で詩の中に表れます。民謡の言葉は、日常使う、路地や市場での大衆の言葉で、比喩であふれています。
詩の言葉が言語の母体から離れていることは、鳥類と爬虫類を区別することに似ています。これもまた民謡の中にはっきりと表れています。非常にシンプルな言葉の中で、詩的な空間が生まれるとき民謡はピークに達します。最も地面に近い爬虫類が、最も空に近い鳥類へと変化するのです。民謡はおそらく最も多く語られる詩だといえるでしょう。
民謡は、イラン人の心と密接に結びついています。民謡の中には、最も美しく感傷的な民族の歌、特に民族の誇りに関する歌が見られます。独裁や植民地主義に反対した闘争家、ミールザークーチャクハーンの甥を賞賛した歌をご紹介しましょう。この民謡はここ数年、プールレザーという巨匠によって再び歌われています。
幸運にも、ここ数年、より肯定的な見方により、民謡の歌い手にとって開かれた空間が整い、これに関して輝かしい才能を持った若手が登場しています。
民謡の歌い手は通常、詩人であり、彼らの詩の中から一つを選んで、それに音楽をつけたり、メロディーに合わせて詩を書いたりしていました。そのため、民謡の雰囲気や調子はその時代の詩と同じようなものとなっていました。
一方で、民謡に形式にとらわれない詩が入った後、状況は変わりました。民謡の形式は決まったものである必要はなくなり、決まった言葉も入れる必要がなく、内容は完全に独立した頭の中にあるものとなりました。その結果、民謡はより親しみやすいはっきりとした形をとるようになったのです。
現在の民謡は、過去と比べて形式や内容の点で、異なっているのでしょうか?これに関して専門家のサイード・キャリーミー氏はこのように述べています。