ミャンマーのイスラム教徒の虐殺
ロヒンギャと呼ばれるミャンマーの少数派のイスラム教徒は、数十年間に渡り人種差別に苦しんでいました。多くの仏教徒や、ミャンマー政府はロヒンギャ族をこの国の市民として正式に認めず、彼らに市民権を与えることはありませんでした。このため、国連はロヒンギャ族を世界の抑圧された少数派の人々だとしました。これまで数度にわたり、過激派仏教徒によるイスラム教徒に対する差別的な暴力や虐殺が発生してきました。2012年から、イスラム教徒に対する圧力は強くなりました。
過激派仏教徒は、8月25日からこれまでにロヒンギャに対する新たな犯罪に手を染めており、これにより、ロヒンギャ数百人が死亡し、また数万人が、家に放火され、難民化しています。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチのフィル・ロバートソン・アジア局局長代理は、次のように語っています。
「衛星写真は、ミャンマー西部ラカイン州の家が燃やされ、破壊されている様子を示している。ミャンマー政府は独立系の査察団がこの地域に入り、兵士の暴力によってバングラデシュに避難しているイスラム教徒の状況を明らかにすることを許可すべきだ」
また、ロヒンギャ難民支援に尽力するUNHCR・国連難民高等弁務官事務所のバングラデシュ事務所の久保真治代表も、この問題についてコメントを残しています。
ラカイン州のイスラム教徒に対するミャンマーの軍と過激派仏教徒の攻撃の理由は、武装勢力がミャンマー軍の基地を攻撃していることにあるとされています。ミャンマー政府は兵士9名がこの攻撃で死亡したと主張しています。しかし、イスラム教徒に対する新たな攻撃が始まる1週間前にはミャンマー軍の兵士はこの州の治安の確保を理由として、駐留を行っていました。
このため、不明の組織により一部の軍事基地が攻撃を受けているとするミャンマー軍の主張に関して、一部の人々は、この攻撃が新たな犯罪行為を開始するために前もって計画されたものであったという見解を否定しておらず、その見解によれば、ミャンマーの過激な兵士たちは、陰謀の中で、新たにイスラム教徒に対する暴力に着手したということです。
以前はアラカンと呼ばれていたラカイン州は、イスラム教徒が代々住んでいた土地でした。彼らは1000年以上もこの地に住んでおり、およそ300年間、独自の王制を敷いていました。つまり、ロヒンギャはバングラデシュからの移民だとするミャンマー政府によって作られた疑惑は間違っており、人々を欺くものです、インド周辺が分割され、インド、パキスタン、バングラデシュが建国される前、この地域の人々は近隣の地域の人々と交流しており、これはミャンマー政府がロヒンギャ族のイスラム教徒に市民権を与えない上での正当な理由とはなりえません。国連のヴィジャイ・ナンビア、ミャンマー特使は、ミャンマーについて次のように語っています。
「ロヒンギャ族のイスラム教徒は、土地への帰属や、政府による支持という、最も重要な基本的権利も制限されているだけでなく、日常的に非人道的な暴力や虐殺の危険にさらされている。彼らの多くは家を捨て、ほかの国に避難せざるを得ない状況だ」
実際、ラカイン州西部は、完全に経済的な場所であり、手付かずの農地もあり、また各地の港や商業や生産活動の中心地と、海路でつながっています。ロヒンギャ族も、地域では多数派を占めていることから、経済や農業、商業などをコントロールしています。
1960年代、ミャンマーは軍政下にありました。ロヒンギャ族のイスラム教徒に対する迫害も、この時期から、彼らを故郷から追い出すために、軍によって激化しはじめ、ミャンマー政府も、イスラム教徒に対する犯罪を正当化するため、彼らに市民権を与えることを控えました。国際的な抗議により、軍はイスラム教徒に対する攻撃を停止しましたが、再びこれを始めました。ミャンマーの人権を担当する国連のイ・ヤンヒ特別報告者は次のように語っています。
「ミャンマー軍は、ロヒンギャ族に暴力を振るっている。その程度は、これまでに報告していたものを超えている。ミャンマー軍は集団でロヒンギャ族の女性を暴行し、一家の夫婦を斬首し、彼らの子供を燃え盛る家の中に投げ入れている」
2012年、仏僧のウィラトゥを指導者とした過激な仏教徒と軍の同盟により、ロヒンギャ族に対する暴力的な攻撃は、宗教的な側面を帯びるようになりました。
ウィラトゥはイスラム教徒がミャンマーを支配し、ミャンマーをイスラムの国に変えようとしているとして、大規模なネガティブキャンペーンを行い、969運動というテロ集団を結成しました。このテロ集団は、イスラム教徒に対する暴力に手を染めています。ミャンマーの政治家は、過激派仏教徒を支持する必要があることから、ウィラトゥや過激な兵士の犯罪に対して沈黙しています。
ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相は、同国の政治家の代表的な存在で、長年、軍事政権と戦っていたことから、西側諸国によりノーベル平和賞を受賞しました。
しかし、残念ながら、スーチー外相はその名声や支持を、イスラム教徒の人種差別撤廃に向けて活用していません。過激派仏教徒の犯罪によるイスラム教徒の苦しみは、スーチー氏の自由の道と、軍政との戦いの中での苦しみとは比較にならないほど大きいものです。
現在も、ミャンマーのイスラム教徒の数千人の女性は、自由を手にするために、スーチー外相の100倍も苦しんでいます。しかし、西側諸国やメディアの世界においては誰も、ミャンマーのイスラム教徒が苦しんでいる写真を見せようとしたり、人道的な悲劇に対して抗議しようは思っていません。ミャンマーのイスラム教徒は、関心を寄せる価値がない人々のように扱われています。
西側の政界と人権擁護を主張する人物の沈黙により、ミャンマーの過激派仏教徒と過激な兵士は、犯罪行為を続ける上で、より大胆になっています。欧州ロヒンギャ理事会のスポークスマンは、次のように語っています。
「この危機は根深いものであり、国際社会の沈黙により、毎日それがさらに根深くなり、大きいものになる。我々の見解では、このような犯罪は虐殺や民族浄化よりも悪質だ」
ミャンマーの経済成長と、欧米の制裁の解除により、ミャンマー政府は経済協定や投資協定の締結に向けた大きな一歩を踏みだしました。こうした中で、ラカイン州も、西側の観点では、輝かしい成功を収めています。このため、西側諸国は、莫大な利益を生む契約が打ち切られることを懸念しています。
バングラデシュ、タイ、マレーシア、インドネシア、インド、中国、そして日本は、ミャンマーの難民の受入国となっています。日本在住のロヒンギャ族の難民は最近、東京のミャンマー大使館の前でデモ行進を行いました。
イラン、パキスタン、インド、インドネシア、マレーシア、アフガニスタンなどの多くのイスラム諸国は、ミャンマーのイスラム教徒を支持する中でデモ行進を行いました。
ロヒンギャ族のイスラム教徒は、ただ市民権を欲しているだけであり、彼らは社会的権利、法的権利のいずれも与えられていません。これは政治的な手段で、話し合いにより解決できます。しかし、ミャンマーの過激な兵士と仏教徒は、ロヒンギャが移民であることを理由に、問題解決への支援を行わないばかりか、ロヒンギャが国際的に受け入れられている暴虐者への抵抗組織を結成する方向に傾く状況を生み出しています。ロヒンギャ問題の特別諮問委員会の委員長をつとめるアナン元国連事務総長は、次のように語っています。
「暴力や軍の派遣により、イスラム教徒の危機を解決することはできない。もしミャンマー政府が、110万人のイスラム教徒の問題に関して、正しい戦略を見出せないのであれば、ロヒンギャ族が過激な武装組織に加わる危険性は増える」
いずれにせよ、一部の破壊的な組織が、難民を勧誘するため、彼らの貧しさや経済問題を利用する可能性があるというのは、想像に難くありません。また、どのような形であれ、イスラム教徒の虐殺の無視により、過激な兵士や仏教徒が犯罪を続けているのは、ミャンマー政府の責任なのです。