ピンキー2
この時間も引き続き、、1949年に公開されたハリウッド映画、エリア・カザン監督による「ピンキー」についてお話ししましょう。
前回お話ししたように、白い肌に生まれた黒人のピンキーは、アメリカ社会が黒人を侮辱的にとらえていることから、白人であるふりをしようとします。しかしピンキーは、ミス・エマの看護をする中で、黒人としてのアイデンティティに対する考え方を変え、自分のありのままの姿を受け入れようとします。
ミス・エマは、ピンキーの祖母の隣人で、ピンキーを気に入り、彼女に農園を遺します。しかし、ミス・エマの家族、特に彼女のいとこのメルパ・ウードリーがそれに強く反対します。そして、メルパはこの農園を狙い、弁護士を雇って訴えを起こします。この裁判は、ピンキーの勝利に終わります。その後ピンキーは、農園を黒人のための看護学校にすることを決意します。
ここからは、映画ピンキーの66分から始まるシーンを見てみましょう。
このシーンは、ミス・エマが亡くなった後です。ピンキーは、喪服用のベールを買いに町に出掛けます。そこでメルパと居合わせます。メルパはピンキーの買い物をじろじろと見ながら、店員に大きな声で、自分はこちらで待っているのだと告げます。店員はピンキーの商品を包んでいるところで、メルパに少し待ってほしいと言います。そこに店主のグールビーがやって来て、何をお探しかと尋ねます。するとメルパは、なぜこの店は、黒人を優先にして白人をないがしろにするのかと言います。グールビーは、メルパに謝ります。店員がメルパに駆け寄り、注文を受けようとします。すると、メルパは、店員が5ドルを手に握っているのを見て、それは何かと尋ねます。店員はピンキーを指して、彼女が払った代金だと言います。そのとき、一人でたたずむピンキーの姿が映し出されます。メルパはピンキーに、「その金はミス・エマのものか」と尋ねます。ピンキーはそれを否定します。メルパはピンキーに近づき、ではその金はどこから来たものかと言います。ピンキーは、そんなことを説明する必要はないと言います。すると、メルパは怒って店を出ていきます。ピンキーは店員に、もし黒人に喪服を売ってくれるのであれば、そこにある喪服がほしいと言います。店員は、偽札ではなく、正しい道で稼いだ金を払ってくれるのであれば、問題はないと言います。ピンキーは、その金は祖母が必至に働いて貯めた金だと言います。そして、代金を聞き、お釣りをくれと言います。店員はお釣りの2セントを喪服の上に放ります。ピンキーは釣りと喪服を持ち、店を出ます。
メルパは、ミス・エマの遺産をピンキーが相続したことに苛立っています。メルパはピンキーを第2級の市民と見なし、そのために、店員になぜ黒人を優先にするのか、白人を優先にすべきだと言います。
メルパは、ピンキーが支払った5ドルについて、どこからきた金なのかと尋ねます。これは、黒人の経済状況がよくないことを暗に示しています。ここで、白人の嫌悪を象徴しているメルパは、さまざまな可能性はまず、白人に与えられるべきであり、それは黒人に正当性があったとしても変わらないと考えています。言い換えれば、白人と黒人の階級格差は、どのような状況であっても必ず守られなければなりません。
94分から始まるシーンで、ピンキーは、婚約者のアダムスとともに、ミス・エマの屋敷にやってきます。
アダムスは白人の医師で、ミス・エマがピンキーに遺した農園をピンキーの名前で売り、その後結婚して、南部から北部のデンバーに移り住もうとします。しかし、ピンキーはそれを断ります。ピンキーが反対する理由は、彼女の行動や言葉の中で明らかにされ、カメラもまた、異なるアングルから、そのことを観る者に伝えようとします。
アダムスはまず、デンバーに行けば、必ず幸せになれるとピンキーに言います。ピンキーはアダムスから離れ、農園を売ることはできない、ミス・エマから託されたのだからと告げます。アダムスはピンキーに近づき、ミス・エマがすばらしい人だったことはわかるが、彼女の目的よりもピンキーの人生の方が重要だと言います。
ピンキーは、ミス・エマから、どこにいたとしても自分のありのままの姿を大切にするように言われたことをアダムスに話します。アダムスは、それはその通りだが、ピンキーは黒人であることに悩まされ、それを否定して生きていくことを決めたのではないかと言います。ピンキーはアダムスから離れ、もしそのように生きていけば、結婚した後はこれまでの自分ではなくなってしまうと言います。アダムスはまたピンキーに近づき、君自身も混乱していて、何がしたいのか分かっていないのだと言います。
ピンキーは、最近になってようやく、それが分かってきて、ミス・エマも自分が北部に行くのを望んではいなかった、自分を偽るのを望んでいなかったとアダムスに話します。アダムスは、遺産として残された農園で、最後まで自分の可能性を閉ざして生きるつもりかと迫ります。ピンキーはまた、アダムスから離れ、私は黒人なのであって、それを否定したり、忘れたりすることはできないと言い、決して彼のことを忘れることはないが、どうか何も言わずに去ってほしいと頼みます。
アダムスはその言葉を聞き、永遠にミス・エマの農園を去っていきます。ピンキーは農園を黒人の看護学校にします。
ピンキーの中の、ピンキーとアダムスの会話のシーンで、カメラの撮り方により、アダムスとピンキーの距離はどんどん離れていきます。また、柱やベッドといった障害が、2人の間に配置され、2人の間の距離を示します。カメラはこのようなやり方によって、アダムスとピンキーの別れを伝えており、ピンキーが自分を黒人として受け止めようとしていることを示します。
このシーンで、ピンキーは自分のアイデンティティを偽るのをやめ、独立を得ようとします。しかし、彼女がそう決意した動機は、ミス・エマという白人の女性でした。これは、黒人が白人に依存していることを示しています。言い換えれば、アメリカの黒人による市民権運動を前に、独立を考え、決断を下そうとするときにも、黒人には白人の助けが必要であることを物語っています。
ピンキーは、黒人と白人の関係を描いた初期の映画のひとつです。バース・オブ・ネイションやアンクルトムの小屋では、白人が黒人よりも優位であることが描かれていましたが、そういった側面は、ピンキーではそれほど見られなくなっています。
黒人の個人的な特徴は白人に近くなっていますが、経済、社会、政治といった点、特に職業や教育といった点では、まだまだ白人が優位であり、白人は黒人を見下しています。黒人は、抵抗や賢さによってそれほど虐げられてはいませんが、権利の実現の中でも、黒人は独立しておらず、ミス・エマなどの白人の助けを必要としています。
ピンキーの重要な点は、ピンキーの肌は白いにもかかわらず、黒人であるために第二級の市民と見なされている点です。つまり、アメリカの基準、肌の色などの外見に限られず、そのルーツにあるということです。