西側諸国における女性の位置づけ(1)
今回から26回にわたり、新番組「西側諸国における女性の位置づけ」を皆様にお届けいたします。この番組では、これまでに発表されている情報や資料をもとに、西洋社会における女性の真の位置づけについて考えてまいります。
第1回目の今夜は、西側諸国の女性にとってのフェミニズムとその影響についてお話することにいたしましょう。
西洋社会における性的な不平等からの女性の解放の問題は、最近の関心事として常に西側メディアの宣伝の話題となってきました。現代において、西側諸国は特にイスラム諸国における一部の国に圧力をかけるための手段として、女性の解放というテーマを利用しています。一方で、既に存在する証拠や情報からは、西側諸国の女性は今や、社会において多くの差別や迫害、不平等に直面していることが示されています。
歴史的な史料を紐解くと、西洋諸国の女性の権利は、中世はもとよりルネサンス時代においても好ましくない状況に置かれ、女性への圧制が許されていたことが明らかになります。女性は結婚や就学における選択、選挙での投票、社会的な決断といった権利がなく、時には財産の所有権すらないこともありました。西洋諸国が啓蒙の時代を迎え、フランスで人権宣言が出された1789年の時点においてすらも、女性の権利や男女の不平等については全く言及されなかったのです。
社会や思想の発展に伴い、西側諸国の女性は次第に、1人の人間として享受すべきとされる、失った権利の追求に乗り出しました。こうした中で、女性の権利を擁護する運動が形成されました。これは、いわゆるフェミニズム運動として知られるとともに、西洋哲学の原則に基づいたものとされています。この原則は、ヒューマニズム即ち人間中心主義や世俗主義、個人主義の元に成り立っています。
この哲学的な原則に基づき、西洋諸国の女性は性的な男女平等の権利の獲得に向けた行動を開始しました。もっとも、女性たちは自由と平等を求めて闘ったものの、彼女たちが持っていた信条は様々に異なっていました。一部の女性たちは互いの存在を認め合わなかったことから、フェミニズム運動は様々な集団に分かれてゆきました。
最も古く、そして最大規模とされるフェミニズムを形成していたのはリベラル的なフェミニズムであり、これは法律や政治・社会的な構造の改革による男女同権を目指しています。また、慣行風習面での様々な計画により、男性優位という概念は排除されるべきだとし、女性の個人的な独立を社会的な組織や伝統より重要とみなし、これが維持されるべきだと考えています。ですが、こうした考えを持つ人々は、家庭の構造を強く批判しながらも、一方で家庭の基盤の維持を求めています。
これに対し、マルクス主義フェミニズムは社会における家庭の形成に強く反対し、女性は家事をするのではなく、家事を飲食店や保育所に委ね、自由に公的な場に参加できるべきだと考えています。
このような考え方を通り越して、ラディカル・フェミニズムにおいては、結婚は非常に危険な手段と見なされ、男性が女性を束縛するための存在と考えられています。この思想では、結婚とは女性を刑務所に閉じ込めるようなものとされ、未来の世代を維持するための方法として、正式な結婚のもとに子どもを産むという伝統的な方式ではなく、(未婚の)男女による人工授精や人工的な環境での育成などの方法により、女性が妊娠や出産という苦しみから解放されるべきだと見なされています。
これに対し、社会主義フェミニズムは女性への蔑視の一部を男性優位社会の産物とみなし、他の原因として資本主義体制や経済への優先を挙げています。このグループも、自然的な結婚を認めず、結婚を人為的なものと見なしていますが、それに断固として反対しようとはしません。また、女性の解放には階級格差との戦いや同性愛が欠かせないと考えています。
さらに、ポストモダン・フェミニズムという考え方も存在します。この考え方を持つ人々は、女性蔑視の要因が文化や宗教の種類、地理的条件といった様々な要素によるものであり、こうした要因を解明するにはその現象が起きている地域に即した分析を行うべきだと考えています。
西側世界の女性は、自分たちが手に入れたものが非常に注目すべきものであると考えています。しかし、ここで根本的な疑問が生じます。それは、現在西洋社会の女性がこれほどの個人的、社会的な自由を手に入れているものの、果たして彼女たちの人間としての尊厳や威信は維持されているのか、ということです。言い換えれば、現代の西洋人の女性は、果たして心の安らぎを得ているのか、それとも緊張やストレスのさなかにあるのか、ということです。
この疑問に対する答えとして、次のようなことがいえます。それは、長い闘争の結果、西側諸国における女性の解放により生まれた現象として、選挙権や中絶権、離婚を請求する権利、財産面での独立、性的な自由、政治、社会、経済活動への大々的な参加、結婚年齢の上昇、独身生活の増加、家庭崩壊、離婚の増加、男女の間での嫌悪感、女性のアイデンティティの危機、同性結婚の拡大、精神病や性病をはじめとする婦人系の疾病の増加が挙げられ、さらには、女性が資本主義体制の利潤追求の手段と化していることが指摘できます。
それではここで、フェミニズム問題の専門家であるアーホンダーン博士のお話をお届けすることにいたしましょう。
「フェミニズム運動の源は、およそ100年ほど前にさかのぼります。この運動は非常に包括的であり、長年が経過してからもフェミニズム的な法規範はいずれも、国際的な法律や文書にまで影響を及ぼしていました。女性の権利回復を目指すフェミニズムは、過去100年足らずの間において、西側諸国での人道に反する差別に反発する動きとして注目されました。ヨーロッパでは、蹂躙された女性の権利の回復を目指し、またこの考えに至るのが遅すぎたとの理由から、人々はひたすら、そして急速にこの運動を追求しました。彼らは、血気にはやっていたことから学術的な根拠や教示を求めませんでした。こうして、この運動は女性の一連の不運を解消し、多くの権利を彼女たちにもたらすとともに、多くの門戸を開放しました。しかし、その一方で女性たちや社会には、別の問題や困難が生じました。明らかに、これほど事を急がなかったなら、女性の権利の回復はより好ましい形で行われていたはずです。一方で、イスラムの預言者ムハンマドはイスラムの曙時代の世界において、本当の意味で女性の権利を回復させた人物であるとともに、積極的に女性の権利や社会的な地位の改革を追求した、初の人物といえます」
社会学者の見解では、西側諸国におけるフェミニズム運動の形成が就労の機会の創出をはじめとする女性の権利の回復を目指していたものの、数々の資料からは職場における女性への性的な暴力や嫌がらせが非常に多く発生していることが分かっているとされています。
例えば、イギリス・ロンドンで1236名の女性に関して行われた調査によれば、女性の6人に1人が強姦され、残りの5人に1人は激しい抵抗の末に強姦を阻止したということです。アメリカの作家マリリン・フレンチは、『女性に対する戦争』という著作において、アメリカ人女性をめぐる苦い現実について、次のように述べています。
「全ての男性は、どのような職業階級にあろうとも、はたまた暴力行為に直接関与せず傍観者であったとしても、職場の女性に性的暴行を加える上で共謀している」
こうしてみてくると、西側諸国のフェミニスト自身やフェミニズムの評論家も認めているように、女性はある意味では自由を手に入れたとはいえ、一方では自らの本質を見失ってしまっています。そして、この問題により西側諸国の女性は結果的に、アイデンティティの喪失やストレスにさいなまれていることになります。これについて、フェミニズム評論家のトニー・グラント博士は次のように述べています。
「今日、西側諸国の女性は一応独立してはいるが、情愛の面では彼女たちの多くが不足や不安を感じ、動揺しており、自分たちの母親や祖母よりも深刻な孤独や困難に陥っている」
これこそは、現実に西側の世界で起こっている苦い現実といえます。
次回もどうぞ、お楽しみに。