コーラン、第15章ヒジュル章ヒジル(2)
今回も、コーラン第15章ヒジュル章ヒジルについてお話ししましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
ヒジュル章は99節あり、イスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前に、メッカで下されました。この章の名前は、第80節から、サーレハの民のヒジルの人々に関して述べられていることに由来します。
前回の番組では、ヒジュル章の第9節までを見てきました。この章は続けて、創造における神の偉大さと力を述べています。この章は、天の美しさに触れ、それは、世界の創造主のしるしであるとしています。それから、大地の恵みとその多くの恩恵に触れ、19節と20節で次のように語っています。
「また我々は大地を広げ、そこに山を据え付け、それぞれ[の植物]に相応のものを生育させた。あなたたちと、あなたたちが日々の糧を与えない人たちのために、そこに生活の手段を提供した」
神の恩恵のひとつに、大地を広げたことがあります。もし大地が広げられていなかったら、農業も、その他の多くの行動も、人間にとって困難なものになっていたでしょう。山の創造は、唯一神のしるしの一つです。そのため、この節は山々に触れ、次のように述べています。「大地にしっかりとした山を据え付けた」 山は、平らな大地にしわが寄ってできたものであり、地表面の温度が少しずつ低下したり、火山が噴火したりしたことによって生まれたものです。山は脈になって連なっており、内側からの圧力に対して、大地の外側の表層が揺れるのを妨げています。言い換えれば、山は、大地の表面を安定させ、人間やその他の生物が生きられるようにしています。山は、強い風が吹いてもびくともせず、風の流れをコントロールします。また、雪が降り、その雪解け水が泉を作って、水を蓄えておくための場所にもなります。
この節は続けて、人間やその他の動物の生活に重要な役割を果たす植物に触れ、次のように語っています。「我々は大地に相応の植物を生育させた」 ここにある「相応の」という言葉は、植物の各部分に適した程度や緻密な計算を指しています。つまり、植物のそれぞれの部分、茎や枝、葉は花びら、果実は、明確な計算に基づいているということです。明らかに、様々な植物には、それぞれに効果や特徴があり、それぞれが神を知るための要素となっています。
次の節では、人間が必要な恩恵に触れ、次のように語っています。「我々は、あなた方の生活に必要な、様々な手段や道具を地上に据えた。あなた方だけでなく、全ての生き物、あなた方が日々の糧を与えず、あなた方の手の届かないところにいる人々のためにである」 実際、地上の全てのものは、賢明な措置や緻密な計算に基づいて作り出されており、偶然、無計画に作り出されたものは、何もありません。それらは皆、人間の生活に必要なものを整えるためなのです。
ヒジュル章の第21節には次のようにあります。
「全てのものの源は、我々のもとにある。我々は決まった量以外は下さない」
全ての源は神であり、神にはいかなる制限も限界もありません。と同時に、世界のすべてのものの状態を知り尽くしており、日々の糧は、計算された分だけ、神から下されます。そのため人間は、日々の糧を手にし、自分の生活を管理するために努力しなければなりません。この努力は、その人から、怠惰さを取り除き、エネルギーを作り出します。もし、努力が必要ではなかったら、全てのものが闇雲に人間の手に委ねられていたことでしょう。そうなっていれば、この世界がどんな運命をたどっていたか分かりません。何もすることのない人間たちが、満腹な状態で、抑制のきかない行動により、混乱を引き起こしていたことでしょう。こうしたことから、人間は、この世界で様々な困難を乗り越えることにより、経験を積む必要があるのです。努力や健全な労働以上に、人間を形成する要素があるでしょうか。 hr style="width:70%;">