May 30, 2018 22:28 Asia/Tokyo
  • コーラン第37章アッ・サーファート章整列者
    コーラン第37章アッ・サーファート章整列者

今は、コーラン第37章アッ・サーファート章整列者についてお話しします。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アッ・サーファート章は、コーランの37番目の章で、全部で182節あります。この章は、メッカで下され、主に神と復活に関して述べられており、一部の節では、多神教徒が強く非難されています。アッ・サーファート章は、まず、神の天使たちのグループと、それに対する反抗的な悪魔のグループ、彼らのたどった運命について述べています。その後、不信心者による預言者と復活の否定、最後の審判での彼らの行いの結果について述べています。また、天国の重要な恩恵、天国の人々の喜びや美しさ、満足といったことについても述べられています。

 

アッ・サーファート章は続けて、ヌーフ、イブラヒーム、イスハーク、ムーサー、ハールーン、エルヤース、ルート、ユーヌスといった偉大な預言者の歴史の一部に触れています。中でも、預言者イブラヒームについては特に詳しく述べられています。その後の節は、神と使徒たちが親戚関係にあるという一部の誤った考え方を否定し、最後の数節では、真理の軍勢が、偽善者、多神教信者、不信心者の軍勢に勝利することが述べられています。

 

アッ・サーファート章の初めで、神は、天と地における自らの力のしるしに人々を注目させるため、意味の深い誓いを立て、人々が真理を受け入れられるようにします。明らかに、語り手がしっかりとした言葉で話すとき、心理学的に、聞き手にはより大きな影響が及ぶとされています。

 

アッ・サーファート章の第1節から3節を見てみましょう。

 

「整然と列をなす整列者たちに誓って。人間を罪から遠ざけ、神の節を朗誦する人々に誓って」

 

この章の初めには、3つのグループの名が挙げられ、彼らに誓いが立てられています。これら3つのグループは、どのような人々に関するものなのでしょうか?多くのコーラン解釈者によれば、これらは天使の一団を表現したものだと言われています。第一のグループは、創造世界で神の命を実行するために整列し、命令を待っている集団、第二のグループは、人間を罪から遠ざけ、彼らの心から悪魔のささやきを追い出す天使たち、あるいは、天の雲を管理し、それらをあらゆる方向に散らして乾いた大地を潤そうとしている集団、そして第三のグループは、神からの啓示を預言者に伝える天使たちの集団です。

 

コーランは、次々と誓いを立てた後、「神に同等のものを配してはならない、神は世界で唯一の存在である」と強調し、第4節で次のように語っています。

 

「間違いなく、あなた方の神は唯一である」

 

その後、第5節から7節にはこのようにあります。

 

「まことに天と地、その間にあるものの主であり、東の主である。まことに我々は、世界の空を星々で飾り、あらゆる反抗的な悪魔から守った」

 

天と太陽、地球と月の重要性、そして世界におけるそれらの重要な役割により、神は、コーランの数々の章の中で、それらの創造の驚異に触れ、それを、神の唯一性の最大の証明であり、神の力を証明する最も確かな根拠であるとしています。この節では東という言葉によって、私たちを地球が丸いこと、東と西があることに注目させています。空にある太陽は、一年を通して毎日東から、それも前日や翌日とは異なる場所から昇ります。これらの場所は非常に正確であり、また、時刻も1000分の1秒と狂うことはありません。そして何千年もの間、太陽が昇る秩序が調整されています。また、もし太陽が、一年を通して、この段階的なルートを通らなければ、4つの季節とそれによる多くの恩恵は決して得られなかったことでしょう。これ自体、神の偉大さと力を示すものなのです。

 

その後、コーランは、天の驚異の装飾を描き、「我々は、天の下の層を星で飾った」としています。実際、天を見ると、夜は暗闇の中に星が輝き、人々の前に美しい光景を描き、人々を驚かせます。本当に空に輝く星は非常に美しく、いくら眺めても見飽きることはありません。夜空の星々の輝きは、言葉では語らずとも、創造の秘密を人間に明かしています。この節はその後、天が悪魔の影響から守られていることを挙げ、次のように語っています。「我々はそれをあらゆる反抗的な悪魔から守った」

 

アッ・サーファート章の第11節から先は、復活の問題と頑なな否定者たちの反対に触れています。復活を否定していた多神教徒たちは、天使たちと天と地の創造に関するコーランの節を聞いた後、「私たちの創造はそれよりも重要だ」と言いました。コーランはそれに答えてこのように語っています。「人間の創造は、広大な天と地の創造、この世界にいる天使たちの創造に比べれば重要ではない。なぜなら、人間の創造の源は、一握りの泥に過ぎなかったからだ」 ここでコーランはこう語っています。「彼らに尋ねなさい。天使たち、天と地の創造の方が難しいか、それとも、一握りの泥による彼らの創造か」

 

それからコーランは、こう続けています。「預言者よ、彼らが復活を否定することに驚いてはならない。汝はその問題を完全に明らかなものと見ているため、彼らが復活を否定することに驚いている。だが彼らはそれをありえないことと考え、嘲笑する。このような醜い行いの原因は、彼らの無知と頑なさにある。そのため、彼らに復活の根拠が示されても、彼らは教訓を得ず、それどころかそれまでの誤った道を続ける。そして汝の奇跡を目にしても、それを嘲笑し、他人にも嘲笑するようけしかける。そして、これは明らかな魔術に過ぎないと言う」

 

敵たちがコーランに関して魔術という言葉を使っているのは、それを奇跡として受け入れ、屈することを望まなかったためでした。同時に彼らは、コーランとイスラムの預言者ムハンマドによる奇跡の驚異的な影響力を認めていました。コーランはその後、最後の審判の日について説明し、その日は、誰もがしかるべき場所に置かれる、別れの日であるとしています。これについて、神の節を嘲笑したために蒙る不信心者の様々な責め苦を挙げ、地獄の人々が互いに行う議論が述べられています。

 

聖典コーラン

 

アッ・サーファート章の第24節から32節までは、地獄の人々の運命と、彼らの一団の会話が述べられています。

 

「彼らを止めなさい。彼らは尋問される必要がある。[彼らは言われる。]なぜ互いに助けを求めないのかと。だが彼らはその日、神の力に屈する。彼らは互いに顔を見合わせ、互いに尋ね合う。一団は、善によって入ったと言う。すると対象の人々は[答える。]『あなた方は信仰する民ではなかった。私たちはあなた方を支配してもいなかった。そうではなく、あなた方自身が反逆的な民であった。今、神の命が私たち全てに明らかであり、誰もが神の責め苦を味わう。そう、私たちはあなた方を迷わせた。自分たちも迷いに陥っていたように』」

 

専門家によれば、指導者と友人は、人間の幸福と不幸を決める2つの大きな要素となっています。そのため、それら2つを選択する際には、注意深く慎重にならなければなりません。ここで述べられた節で、コーランは、最後の審判の日の指導者たちと彼らに追従した迷った人々の言い争いに触れ、それによって、自分の理性と宗教を、道に迷った指導者や為政者に委ねたすべての人に警告しています。最後の審判の日、誰もが他人に嫌悪を示し、自分の罪を他人になすりつけようとします。こうした中、自分に罪がないことを証明することは誰にもできません。

 

コーランは、2つのグループのたどった運命を一箇所で述べ、彼らの不幸の原因を説明しています。「彼らは皆、迷った指導者であろうと、それに従った人であろうと、その日、神の責め苦を共有する」 それから彼らの不幸の主な原因について、第35節で次のように語っています。エ「彼らは、『唯一の神の他に神はいない』と言われたとき、高慢になり、反抗した」

 

実際、高慢さや尊大さ、真理の否定、誤った伝統への頑なな固執、誤った模倣、他人への侮辱と嘲笑は、彼らの逸脱の大きな原因です。復活の日、懲罰を下す天使たちは、圧制者とその仲間たちを、彼らが崇拝していた対象と共に一箇所に移動させ、地獄へと導くのです。

 

次回も、引き続きアッ・サーファート章を見ていくことにいたしましょう。