6月 03, 2018 22:29 Asia/Tokyo
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    コーラン第52章アッ・トゥール章トゥールの山

今回はコーラン第52章アッ・トゥール章トゥールの山についてお話ししましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アッ・トゥール章はメッカで下され、全部で49節あります。

 

この章では、まずいくつかの誓いが立てられた後、神の責め苦、最後の審判の兆しと不信心者の懲罰、神の恩寵と天国の恩恵、預言者の使命と敵の誹謗中傷、唯一神信仰、復活と最後の審判の一部の特徴、イスラムの預言者への忍耐と神への賞賛の呼びかけといった事柄について述べられています。

 

 

この章は、重要な出来事である死後の審判、復活、人間の行いの清算を述べるためのいくつかの誓いによって始まっています。この章がトゥールの山と名付けられているのは、その最初の節によるものです。トゥールとは、山を意味する単語で、それが指すのは、預言者ムーサーに啓示が下されたシナイ砂漠にあるトゥールの山のことです。

 

アッ・トゥール章の第1節から6節を見てみましょう。

 

「トゥール[の山]に誓って。広げられたページに書かれた書物に誓って。また、[神の家である]その繁栄した家に誓って。掲げられた天上に誓って。溢れる海に誓って」

 

神は、人間が受け入れるべき問題を強調するために、重要な誓いを立てています。これらの誓いは、掲げられた天などの神の力のしるし、あるいは聖典や神の家であるカアバ神殿など、イスラム法と創造の世界における神の力を軸にしています。これらは皆、重要な問題を提起しようとしていることを示しており、その問題とは、神は最後の審判を開き、死人を再び蘇らせる力を持っている、ということです。そのために、数々の誓いが立てられているのです。

 

アッ・トゥール章の第7節と8節は、これらの誓いの目的に触れています。

 

「汝の主の責め苦は、必ず下される。そこにはいかなる障害も妨害もない」

 

 

アッ・トゥール章の第9節と10節は、最後の審判の一部の特徴を挙げています。

「その日、天は激しく揺さぶられ、山は急速に移動する」

 

このように、最後の審判を前に、天の秩序は乱れます。これらは、定められた軌道を外れ、巻き込まれて滅び、その代りに神の命によって新たな世界が打ち立てられます。その日、山々はそれまでの場所から離れて移動し、コーランの別の節によれば、崩れ落ちます。そのとき、大地は平らになり、水も植物もなくなります。これらは、現世とそこにある全ての避難場所が打ち崩され、新たな世界が、新たな秩序と共に代わりに現れることを示しています。人間はそのとき、自分の行いの結果を示されます。

 

アッ・トゥール章の第11節は、否定する人々の運命に触れています。

「その日、否定する者たちの何と悲惨なことよ」

世界の変化による不安と恐怖が全ての人を襲う中、否定する者たちには、さらに大きな恐怖が降りかかります。それが神の責め苦です。

 

アッ・トゥール章の第12節は、このような人々について、次のように語っています。

「彼らは戯言に夢中である」

彼らはコーランの節を偽りだとし、預言者の奇跡を魔術と呼び、それをもたらした者を狂人と見なしていました。彼らは真理を戯れと見なして嘲笑します。また、理にかなわない誤った言葉で真理に挑み、自分たちの目的を果たすために、いかなる虚言や誹謗中傷も厭いません。

 

アッ・トゥール章の第13節と14節は、彼らの最終的な運命について述べています。

「その日、彼らは力づくで地獄の業火へと投げ落とされる。[彼らは言われる。]『これこそ、あなた方が常に否定していた業火である』と」

 

そして、第5節と16節でこのように言われます。

 

「この責め苦も魔術だと言うのか? あなた方はそれを見ないのか? その業火に入り、焼かれよう。待とうが待つまいが、あなた方にとっては同じである。あなた方が行ったことに対してのみ、報いが下される」

 

そう、これは彼ら自身の行いであり、それが彼ら自身に返っただけなのです。ここで、再び、最後の審判で、人間の行いが描かれ、それがその人自身に返ることが強調されています。また、神の正義も強調されており、地獄の業火は、人間が自分で行ったことの結果以外の何ものでもないのです。

 

アッ・トゥール章の第17節から先は、敬虔な人々への無限の報奨に触れています。

「まことに敬虔な人々は、[天国の]楽園と豊かな恵みの中にあり、彼らの主から与えられたものに喜び、彼らの主は、彼らを地獄の責め苦から遠ざける」

 

天国の人々は、彼らの主から与えられたものに喜び、それについて心地よい言葉を語ります。彼らの心からはあらゆる悲しみが排除され、大きな安らぎを感じます。特に、神は彼らに処罰されないという安心感を与え、地獄の責め苦から彼らを遠ざけています。ここで、彼らはこのように言われます。第19節を見てみましょう。

「あなた方が行ったことのために、食べ、飲みなさい。楽しむがよい」

 

明らかに、天国の食べ物や飲み物は、現世の食事とは異なり、その後に悪い影響はありません。また、彼らには一切の心配事はありません。そのため、これらの恩恵は完全に心地よいものです。さらに天国の人々は、最大限の安らぎの中で、並べられた台座に寄りかかり、友人たちとの語らいを多いに楽しみます。コーランは次のように続けています。「我々は、大きな目と美しい顔の女性たちを彼らの配偶者とする」

 

アッ・トゥール章の第21節は、天国の人々の、この他の精神的、物質的な恩恵を挙げています。エ「信仰を寄せ、彼らの子供も彼らの信仰に従った者たちは、我々がその子供たちを彼らに加わらせ、その行い[の報奨]を減らすことはない」

 

人間が、信仰を持った愛する子供を天国で自分の傍らに置き、彼らとの語らいに満足し、その行いが減らされることはない、これは大きな恩恵です。信仰の道において父親に従った子供たちは、行いの点で怠りや過ちがあったとしても、神は善良な父親への敬意により、彼らを赦し、高い地位を与えます。これは、父と子にとって大きな恩恵です。

 

天国の人々に関する節でよく見られるのは、心の安らぎや平穏、喜びに必要な事柄が彼らに用意されるということです。コーランはその後、常に存在する天国の果物や食事について触れています。

 

アッ・トゥール章の第22節から27節を見てみましょう。

「また我々は、常に、彼らが好む様々な果物や肉の中から彼らに与える。彼らは天国で、むなしい話も、罪ももたらさない杯を互いに交わす。また常に、[彼らに仕えるために]真珠のような少年たちが彼らの周りについている。一部の人が互いに向かって尋ねあう。[このような成功の秘訣は何かと。彼らは言う。]『私たちはこれ以前に自分の家族の間で[今日の責め苦を]恐れていた。だから神は、私たちに恩を与え[、私たちに慈悲をかけてくださり]、私たちを焼け付く責め苦から守ってくださった』」

 

 

否定する人々の一部は、コーランを預言者が作ったものだとし、「彼はコーランを神のものだと偽っている」と言っていました。実際、彼らは信仰がありません。これは、頑なな不信心者や多神教徒たちが、コーランと預言者の導きに服従しないための口実の一つで、コーランでは何度も触れられている事柄です。それに対し、アッ・トゥール章の第34節は、彼らに強い回答を与え、このように語っています。

「もしあなた方が本当のことを言っているのなら、それ[コーラン]と同じ言葉をもたらすがよい」

 

もしそれが人間の言葉であり、人間の考えによって作り出されたものであれば、彼らもそれと同じ言葉をもたらすべきです。もしコーランが、人間の言葉、他の言葉と同じようなものであれば、人々も同じ言葉をもたらすことができるはずです。

 

いずれにせよ、これはコーランの奇跡を明らかにする節であり、この節が、「もし本当のことを言っているのなら、それと同じ言葉をもたらすがよい」と語りかける対象は、預言者の時代に限らず、あらゆる時代の全ての人になっています。このコーランの叫びは常に大きなものであり、預言者が使命を受けた1400年以上前から、誰もそれに応えることはできていません。こうした中、イスラムの敵は、この清らかな天啓の宗教に対して大規模なプロパガンダを行っています。このコーランの叫びに応えることは誰にも不可能であることこそが、この神の啓示が正しいことの生きた証拠であるのです。

 

この章の終盤では、イスラムの預言者ムハンマドにこのように語りかけています。「耐え忍び、神への賞賛によって魂を清め、神に助けを求めなさい」

(了)