4月 13, 2019 16:55 Asia/Tokyo

コーラン 第30章 ルーム章 ローマ 第55節~第60節

                                                                                      慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

55節

「最後の審判が行われる日、罪を犯した人たちは、一時的にしか留まらなかったと誓う。[現世でも]このように[真理と偽りの道の中で]迷っていた。」(30:55)

(55)وَيَوْمَ تَقُومُ السَّاعَةُ يُقْسِمُ الْمُجْرِمُونَ مَا لَبِثُوا غَيْرَ سَاعَةٍ كَذَلِكَ كَانُوا يُؤْفَكُونَ

 

56節

「知識と信仰が与えられた人々は言う。『確かにあなた方は、神の書物[にある事柄]によって、最後の審判の日まで留まっていた。これが最後の審判の日である。だがあなた方は知らなかった。」(30:56)

(56) وَقَالَ الَّذِينَ أُوتُوا الْعِلْمَ وَالْإِيمَانَ لَقَدْ لَبِثْتُمْ فِي كِتَابِ اللَّهِ إِلَى يَوْمِ الْبَعْثِ فَهَذَا يَوْمُ الْبَعْثِ وَلَكِنَّكُمْ كُنْتُمْ لَا تَعْلَمُونَ

 

57節

「そこでその日、圧制を行った人々の謝罪は役に立たない。彼らには謝罪が求められてはいない』」(30:57)

(57)فَيَوْمَئِذٍ لَا يَنْفَعُ الَّذِينَ ظَلَمُوا مَعْذِرَتُهُمْ وَلَا هُمْ يُسْتَعْتَبُونَ

 

罪を犯した人々、不信心者の特徴のひとつは、現世で、復活の日を否定し、それを受け入れないことです。この2つの節によれば、このような人々は、最後の審判でも、それが行われること、彼らが最後の審判の場面に立っていることを受け入れようとはしません。そのため、「ここも現世の続きである、私たちは少しの間眠っていて、今、起きたのだ」と言います。しかし、真理を理解し、知識を得た信仰のある人々が、彼らにこう言います。「これが最後の審判である。神が定めたことに従い、あなた方は以前に生きた世界と最後の審判の間にある世界を通過し、今日、最後の審判の場に立たされている」

 

圧制者や堕落者は、最後の審判という事実を目の前にしたとき、謝罪し、罪を悔いようとします。しかし、この節によれば、その日、罪を犯した人の謝罪は何の役にも立たず、その罪の悔悟が受け入れられることはありません。

 

55節から57節の教えを

  • 逸脱した思想は、人間を逸脱に陥らせます。思想における逸脱は、社会に罪を広げるきっかけとなります。
  • 信仰と知識は互いに結びついています。真の知識は人間を信仰へといざない、信仰は人々を知識の習得に向かわせます。
  • 人間の運命は、その人自身の行動にかかっています。圧制や罪は、現世でも来世でもよい結果をもたらしません。
  • 罪を犯した人の謝罪や悔悟に意味があるのは現世のみであり、最後の審判では何の役にも立ちません。

 

58節

「本当にこのコーランの中で、我々は人々のためにあらゆるたとえを挙げた。汝が彼らのために奇跡やしるしをもたらしても、彼らはきっと、『あなたは意味のないことを言っているにすぎません』と言うだろう。」(30:58)

(58) وَلَقَدْ ضَرَبْنَا لِلنَّاسِ فِي هَذَا الْقُرْآنِ مِنْ كُلِّ مَثَلٍ وَلَئِنْ جِئْتَهُمْ بِآيَةٍ لَيَقُولَنَّ الَّذِينَ كَفَرُوا إِنْ أَنْتُمْ إِلَّا مُبْطِلُونَ

 

59節 

「このようにして、神は、知らない人々の心を封じられる」(30:59)

(59)كَذَلِكَ يَطْبَعُ اللَّهُ عَلَى قُلُوبِ الَّذِينَ لَا يَعْلَمُونَ

 

コーランは導きの書であり、人間を導く上で効果的な全ての事柄が、この書物の中で述べられています。その中では、吉報と忠告、指導と訓戒、命令と禁止事項、推奨と非難、論理など、人間を導き、迷いから遠ざけるきっかけとなる、あらゆる方法が用いられています。

 

唯一神信仰の根拠は、コーランのさまざまな節で述べられています。この天啓の書の中では、道徳的に好ましくない性質を遠ざけ、正しく生きる道が、さまざまな形で提示されています。また、一年、あるいは一日の中で、神を崇拝する方法が説明されています。コーランの6000を超える節の中で、唯一の神を信じる人々の思想と行動の基盤となる信条、戒律、道徳が、さまざまなな形で述べられています。こうした中、真理を受け入れようとせず、信仰を持たずに頑なに否定する心を持ち続ける人々は、これらすべてを根拠のないものと見なし、神の節を聞こうとすらしないのです。

 

この節は続けて、不信心や否定に走る理由について、次のように述べています。「神は、多くの罪を繰り返したことにより、これらの人々の心を封じ、彼らの真理の理解を妨げる。ちょうど、罪を犯したために刑務所に入れられ、その扉に鍵をかけられる盗人と同じである。盗人は、違反行為によって公正の実現のために刑務所に拘束され、その結果、自由という恩恵を失う。罪を犯した人も、もし罪を悔い改めれば、神は彼らを赦してくださるが、罪や違反行為を繰り返せば、神は彼らの心を封じ、真理の理解という恩恵を彼らから奪われる」

 

58節59節の教え

  • コーランは全ての人のためのものであり、さまざまな階層の人々を導くためにあらゆる形の方法を利用しています。
  • 悪を軸にしている人々は、真理を受け入れないだけでなく、真理を偽りと見なし、敬虔な人々を偽りを信じる人と見なします。偽りの道を進む人たちの宣伝の影響を受けないよう、気をつけましょう。
  • 不信心に走り、頑なに真理を受け入れない人は、神の導きを奪われます。それはその人自身の損害になるだけであって、神には何の影響もありません。

 

60節  

「そこで耐え忍びなさい。[汝の勝利に関する]神の約束は真実である。[神と最後の審判を]信じない人々によって、汝が軽率になることがないように」(30:60)

(60) فَاصْبِرْ إِنَّ وَعْدَ اللَّهِ حَقٌّ وَلَا يَسْتَخِفَّنَّكَ الَّذِينَ لَا يُوقِنُونَ

 

ルーム章ローマの最後の節となるこの節は、次のように語っています。「信仰を寄せた人々は、歴史を通して常に、不信心者の言動による嫌がらせを受けてきた。そこで、耐え忍び、彼らの吹き込みや脅迫に屈してはならない。神は、信仰を寄せた人々に、耐え忍べば勝利すると約束している」

 

この節は続けて、神の預言者ムハンマドと信仰を持つ人々に次のように語りかけています。「彼らの言葉の影響を受けて不安や恐れを感じたら、忍耐強く抵抗する代わりに、自らの価値を下げ、価値のない行いに走ることになる。あるいは、敵の多くの誹謗中傷によって激しく憤り、冷静さを失い、自分の軽率さを示し、社会的な地位を揺るがすような行いをしてしまう可能性がある」

 

60節の教え

  • 信仰を寄せた人々は、自らの道を突き進み、敵の不適切な行動に対しても忍耐強くなければなりません。
  • 私たちが決断を下す際、宗教や信仰を持たない人々の世論操作の影響を受けるべきではありません。正義の悪に対する勝利という神の約束を信じましょう。それ自体が、心の安らぎの源となります。
  • 忍耐強くない人は、社会環境の中で蔑まれます。