イラン人の文化におけるモスクの地位(1)
今回はイラン人の文化におけるモスクの地位についてお話しすることにいたしましょう。
イスラム教が誕生し、預言者ムハンマドの手で最初のモスクが建設されると、モスクは宗教、社会、政治、司法、教育、芸術の最も基本的な具現として、イスラム諸国の各町や村、地域に作られるようになりました。モスクは単に作られたのではなく、町づくりの構造においても守られていました。イスラム諸国の多くの町では、ジャーメモスクと呼ばれるモスクは宗教的な信条において重要な地位を有していることから、町の中心に立てられています。市場もまた人々の生計の中心、取り引きや経済活動の中心として通常モスクの傍らに置かれていました。
昔からモスクは社会の様々な階層に様々な恩恵をもたらしてきました。実際、モスクは社会の中心であり、人々の様々な階層の関係のための中心となっています。イスラム教徒は礼拝や意見交換を行い、イスラム社会のニュースを知るためにモスクに集まります。かつてモスクは人々が他の人と関係をつなぐことで、多くのニュースや出来事を知る情報ネットワークの中心でした。時刻外にモスクから突然、礼拝の時刻を告げるモアッゼンの声が聞こえてくると、皆重要な事件が起こったのだとわかり、モスクに向かっていました。
イランの文化ではモスクは単なる一つの建物でありません。モスクは壁がん、説教壇、尖塔、ドーム、テラス、礼拝所、通廊だけではありません。モスクは神の家なのです。特別な神聖と高い価値を有しているのです。イランの人々の文化は宗教的な価値観が最も効果的な役割を果たしている文化のすべての要素が融合しています。それゆえ宗教的な場所もその中では特別な地位を有しており、モスクは非常に神聖な場となっています。こうした地位は、イラン人の文化的具現の源となっています。このためイラン人の文化におけるモスクは祈りの場というだけでなく、文化的、社会的、政治的な多くの事柄が行われる場所なのです。
イランのイスラム教徒の文化におけるモスクの様々な働きについてお話しすることにいたしましょう。モスクの文化的働きに関連し、モスクは人間が神の前で崇拝行為を行うと共に社会の様々な問題について知る文化的な場所だと言う必要があるでしょう。
モスクは、どの時代にも、文化的な働きを負っており、その中には宗教的、教育的な機能をも含みます。モスクの最も重要な、そして第一の働きは、礼拝と神への接近の中に見出すことができます。モスクは宗教的な儀式を行うための場です。モスクに行き、宗教的な義務を行い、礼拝を行うことは非常に重要なことです。子どもも大人も、病人も元気な者も、貧しい者も富める者も共に集団礼拝を行うことで、対立や憎しみ、階層間の格差を取りのぞき、力強い統一した社会を生み出すための下地が整えられます。宗教の重要な機能の一つに、モスクでコーランの朗誦や解釈を行ったり教義を説明する集会の開催があります。預言者一門の生誕日や逝去日など様々な折に触れた説教も行われています。
この他、イランの人々の文化におけるモスクの重要な働きに、教育があります。イランのイスラム教徒は昔からモスクを教育や躾の場としてきました。なぜならイスラムは常に国民に知識や学問の習得を呼びかけていたからです。こうした点から、モスクはふさわしい教育を施し、イスラムの普及を促し、イスラムの価値観を守るための場である聖なる本部のようなものなのです。さらに、社会や個人の生活の正しい慣習を教えるための場所とも見られていました。このことは幾つかの点から熟考に値します。教育的な説教、コーランや宗教的な教義を教える講座、様々な知識や技術を教える会、数多くの図書館の存在は、モスクの文化的、教育的な活動の一環と見られています。これに加えて、この分野の研究者にとってモスクの傍らにある宗教学を学ぶ施設の存在は、モスクの文化的な役割を表しています。
次はモスクの政治的機能についてお話いたしましょう。モスクの政治的機能を検討する中で、モスクが政治的な決定の中心として、預言者の時代から重要視されてきたことは言及に値します。イランの歴史の中でも、モスクは人々を啓発する上で重要な場と見なされてきました。圧制政権の転覆に繋がる決定の多くがモスクで行われてきました。イランの人々の信条や文化において、モスクは聖なる場であり、イスラム法学者もまた、高い精神性を持った見識者として、説教を行い、その立場を示すことで、政治や社会の将来に人々の目を向けさせていました。さらに、モスクは被抑圧者が圧制者の手から逃れるための最も重要な場所であり、圧制的な為政者に対する怒りや憎しみを訴える場でもありました。このため、圧制者はモスクやその政治的な活動を恐れていたのです。
イランにおけるモスクは、イスラム革命を勝利に導く上で主要な役割を担いました。数十年の間、モスクは闘争と信仰の精神をイラン社会の構造に吹き込むと共に、パフラヴィー政権の圧制や外国の政治的、文化的侵略に対抗するために必要な動力を人々の中に作り出しました。イスラム革命勝利後にも、モスクは人々が集結する場となりました。イランイラク戦争時にはモスクは抵抗の場、祖国を守るために戦場に派遣する人々を募るための場であり、モスクが民主的な場という観点から、すべての情熱を持った人々はこの社会的な措置において参加を見せたのです。
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