10月 26, 2019 21:10 Asia/Tokyo
  • サナーイー・ガズナヴィー
    サナーイー・ガズナヴィー

西暦11世紀から12世紀に当たるイスラム暦5世紀から6世紀にわたって広大なイラン文化圏の中に生きた偉大な思想家、詩人、神秘主義哲学者のサナーイー・ガズナヴィーがペルシャ語の詩人で、神秘主義哲学における影響力ある地位を有していたということについて、前回の番組でもお話しました。彼はイランの偉大な詩人の一人で、神秘主義的なマスナヴィー形式の詩人であり、モウラヴィーやアッタールといったイランの詩人に影響を与えました。

サナーイーは西暦1072年に当たるイスラム暦464年に、現在のアフガニスタン東部にあたり、当時は学問や文学の中心とみなされていたガズナに生まれ、西暦1131年5月8日にあたるイスラム暦525年シャアバーン月11日、生まれ故郷のガズナで死去しました。ガズナは当時イランの一部でした。『詩集』、『真理の庭園』、『バルフの業績書』などが、彼の作品とみなされています。

ガズナの町は、サナーイーが生きていた当時、マフムード・ガズナヴィーとその子孫たちによるガズナ朝の繁栄を享受しており、神秘主義者や禁欲者たちはその脇で静かに祈りをささげることに執心し、詩人もまた宮廷詩人の慣習に従い、為政者を賞賛していました。しかし、この中でサナーイーは、当時の聡明な人間の一人であり、この一時の喜びを享受し、眠ったまま、無知なままできることができませんでした。サナーイーの詩、とりわけ彼の中で思想的な革命が起こった後に読まれた歌からは、彼の信仰を理解することができます。彼は詩により、眠ったままの人々を目覚めさせようと、大変な努力を行っていました。

当時の社会の人々の無知に対するサナーイーの抗議の声は大変悲痛で、苦しみや絶望、皮肉、叱責を数多く含んでいました。彼は自身の日常である現世と、これに喜んでいる人々を見て驚き、怒りと嫌悪感からこの世に希望を託すところはないと声を上げていました。彼はナーセル・ホスローのように、現世の生活にとらわれている人々を懸念し、その腐敗した日常の行いを批判し、死を想起させていました。

サナーイーは次のような詩を呼んでいます。

死ぬ前に忠告を聞きいれよ

いつまで、現世の繁栄の偽りの中で、

お前たちの目は水仙のように期待と懸念の中にあり

お前たちの手はスズカケの葉のように欲望のままに広がっているのか

サナーイーの詩を見ると、思想的革命を経験する前の詩と、その後に読まれた詩を容易に区別することができます。なぜなら、サナーイーの作品を研究する多くの有識者によると、この時期の彼の詩は、影響の深さ、強さの点から、そして意味するものの力強さから、彼以前の詩とは大変に異なっているからです。彼は詩人としての活動を始めたときから、ファッロヒーやナーセル・ホスローなどのような詩人の古いスタイルで詩を読んでいます。しかし、その後の詩人としての活動が2段階目に入ると、サナーイーは言葉の点からも思想の点からも、先駆的な存在となり、このため、ハガーニー、ジャーミー、アミール・ホスローなど彼以後の一部の詩人は彼のスタイルに従うようになりました。内容、修辞表現、新たなアレンジ、すばらしい音の響きなどは、ハーガーニーの詩に現れている明確な特性であり、彼以降の時代、多くのイランの詩人や神秘主義者の注目を集めてきました。

サナーイーは詩における新たなスタイルの創始者だとすることができます。12世紀の詩人、ハーガーニーによると、このスタイルは禁欲的だということです。サナーイーはこのような詩の中で、禁欲であること、唯一神信仰、神秘主義などの意味を説明しています。神の唯一性、コーランの賞賛、預言者の描写、倫理的な寛大さと呼ばれるものの強調と叙述など、これらは、サナーイーの禁欲主義的な詩の主なテーマです。サナーイーはこのような詩の中で、批判や正確な洞察力を利用し、美しい内容を読んでおり、これに関して比類するものは存在しません。

サナーイーは、当時の人々の迷った状態やもの知らずな状態により怒りと嫌悪感を抱くようになり、特に宮廷人たちの低劣な慰みものや快楽主義に不満を漏らしています。しかし、彼はこうした不満をも美しく神秘主義者的な解釈で表現しており、人々に人間の命が過ぎ去っていくものであることを思い起こさせています。彼はまた、当時の政治的、社会的な問題をも批評し、忠言を与えており、自分が生きている社会の紆余曲折のすべてを再現しています。この点において、彼はシャフィーイー・キャドキャーニー博士の言葉を借りれば、彼の後にも先にもほかに並ぶ者のない傑出した詩人だといえます。

現世の移ろいや世を捨てること、現世への追従を重視しないことの必要性、人間の高い価値など、これらはサナーイーの詩の中で語られている内容です。『真理の庭園』の全体や、『詩集』の一部を構成しているこの種の内容は、禁欲的なものとして知られています。イラン現代の研究者ザッリーンクーブ博士は、次のような見解を述べています。「宗教書として知られている『真理の庭園』は、韻文形式の作品で、神の唯一性、神秘主義思想、道徳的な内容に関する1万の対句が記されている。サナーイーはこの本の中で、神秘主義的な目的に沿った教えという一定の目標を追求しており、彼は自身のこの目標と思想を空想的、詩人的な方式で説明している。『真理の庭園』は、いわば、詩の形式をとった、神秘主義に関する百科事典のようなものだといえる」

サナーイーは禁欲主義的な詩における最大の巨匠の一人であり、多くのサナーイー研究者によると、偉人としての彼の真に高潔な人格は、彼の詩の一部に見ることができるということです。このような時代において、サナーイーはある人物を見出します。それは宗教的に高い位にある人物で、社会を改革したいと思い、人間の精神の改革から始めるといった人物です。サナーイーの詩においては、このような人物は、あらゆる怠惰や卑しさから免れた清らかな指導者です。彼は、宗教的に強い情熱を持ち、ほかの人間もそこにいざないます。サナーイーは人間の卑しさや欲望を批判し、人間を正しい道に導こうとしています。サナーイーは、このような状態で書いた賞賛的な詩において、大変誠実で親密感溢れる人格者として、称賛すべき対象の人物に忠告を与えています。

サナーイーは詩の中で、すばらしい内容をうたい、その熟達の程をしめしています。彼は大変繊細な神秘主義的内容や宗教的感覚を最高の形で説明し、これにより共感をも生み出しました。一方、彼はしばしば、不適切と思われる言葉も使用しています。サナーイーは、ハージェ・アブドッラー・アンサーリーや、一部はアボルヘイルなどによって詩に取り入れられた神秘主義的な内容を、ほかに比べようもない熟練した技術と、特定の形により、完全に詩的に表現しています。このような彼の詩の美しさは、当時の詩人の詩、あるいは彼以後の詩と比較することはできません。イラン文学において、サナーイーは、神秘主義的な内容において、マスナヴィー形式で頭角を現し成功した第一の詩人なのです。

 

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