光の彼方への旅立ち、ファーテル章 (10)
コーラン第35章ファーテル章創造者、第31節~第35節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第31節
(31)وَالَّذِي أَوْحَيْنَا إِلَيْكَ مِنَ الْكِتَابِ هُوَ الْحَقُّ مُصَدِّقًا لِمَا بَيْنَ يَدَيْهِ ۗ إِنَّ اللَّهَ بِعِبَادِهِ لَخَبِيرٌ بَصِيرٌ
「また、書物から汝に啓示した事柄は真理であって、それ以前の書物を証明するものである。神は間違いなく、その僕のことを知っており、すべてを見ておられる。」
第32節
(32)ثُمَّ أَوْرَثْنَا الْكِتَابَ الَّذِينَ اصْطَفَيْنَا مِنْ عِبَادِنَا ۖ فَمِنْهُمْ ظَالِمٌ لِنَفْسِهِ وَمِنْهُمْ مُقْتَصِدٌ وَمِنْهُمْ سَابِقٌ بِالْخَيْرَاتِ بِإِذْنِ اللَّهِ ۚ ذَٰلِكَ هُوَ الْفَضْلُ الْكَبِيرُ
「その後、この書物を、我々が選んだ僕たちの一団に継承された。彼らの一部は自分たちに圧制を行い、一部は中庸である。また一部は神の許しによって率先して善を行う。これこそは、大きな恩恵である」
前回の番組では、コーランを朗誦し、その指示を実践することが述べられていました。この2つの節は次のように語っています。「預言者ムハンマドの心にコーランとして下されたものは、真理の言葉である。なぜなら、真理の源である神から啓示されており、人間の理性や本能に沿ったものであるからだ。また、以前の預言者たちの書物とも内容が合致している。以前の預言者たちと彼らの書物の内容を認めるものであり、それらを信じることは、神への信仰の一環と考えられる」
この節は続けて、次のように語っています。「イスラム共同体は皆、神とイスラムの預言者への信仰によって、他の人々の中から選ばれている。彼らはコーランの継承者であり、それを理解し、実践し、広めなければならない。だが残念ながら、この共同体の一部の人々は、自分たちに圧制を加え、コーランの道から離れている。また別のグループはコーランに従っており、さらに別のグループも、それを実践し、広める上で社会の他の人々をリードしている」
イスラムの伝承によれば、預言者ムハンマドの後を引き継いだ預言者一門は、このように、他の人々をリードする存在でした。
第31節と32節の教え
- コーランには、無意味な言葉や迷信が入り込む隙はありません。そのすべての節は、真理に基づいています。そのため常に、安定しています。
- 神の預言者たちや啓典は皆、同じ目的と方向性を持っています。そのために、互いを認め合う存在です。
- コーランとその知識から離れることは、神や預言者に対する圧制ではなく、自分自身に対する圧制です。
- コーランの知識を受け継ぐ人々は、率先して善を行います。言い換えれば、コーランという遺産を引き継ぐための条件とは、善行において他者をリードすることです。
第33節
(33)جَنَّاتُ عَدْنٍ يَدْخُلُونَهَا يُحَلَّوْنَ فِيهَا مِنْ أَسَاوِرَ مِنْ ذَهَبٍ وَلُؤْلُؤًا ۖ وَلِبَاسُهُمْ فِيهَا حَرِيرٌ
「[彼らの報奨は]永遠の天国である。彼らはそこに入り、その中で、金や真珠でできた腕輪を飾り、その衣服は絹である。
第34節
(34)وَقَالُوا الْحَمْدُ لِلَّهِ الَّذِي أَذْهَبَ عَنَّا الْحَزَنَ ۖ إِنَّ رَبَّنَا لَغَفُورٌ شَكُورٌ
「また、彼らは言う。『感謝と称賛は神のためのものである。神は私たちから悲しみを取り去った。まことに私たちの神は、寛容で価値を知る方である。
第35節
(35)الَّذِي أَحَلَّنَا دَارَ الْمُقَامَةِ مِنْ فَضْلِهِ لَا يَمَسُّنَا فِيهَا نَصَبٌ وَلَا يَمَسُّنَا فِيهَا لُغُوبٌ
神は、自らの恵みにより、私たちに永遠の住まいを与えてくださった。そこでは、苦痛を感じることもなければ、途方にくれることもない』」
前の節では、イスラム共同体が3つのグループに分けられていました。圧制者、信者、そして、預言者ムハンマドの一門であるイマームたちです。今回の3つの節は、2番目と3番目のグループの人々に報奨を約束しています。その報奨とは、最後の審判で、神が約束する天国に住むことが実現されるというものです。それは美しくて心地よい場所であるだけでなく、悲しみが入り込む余地はありません。このような環境の中では、当然、気分が沈むことはなく、人間が苦悩する要素はありません。
現世において、気分を沈ませる要素は2つあります。一つ目は、恩恵や喜びが繰り返しのものであること、もうひとつは、それらを失うことへの恐怖です。しかし、最後の審判では、さまざまな恩恵が数多く存在するため、気分が沈むことはなく、誰も、与えられた恩恵を失うことを恐れることはありません。
このような場所に入る天国の人々は、至高なる神を称賛する言葉を発し、天国を、自分たちの現世での限られた行動の見返りとしてではなく、神から与えられた恩恵と見なします。なぜなら神は、彼らの罪を許すことで、そのような天国を彼らに与えてくださったからです。もしそのような神の許しや恩恵がなかったら、そのような報奨を受け取る道は、整えられていなかったでしょう。
第33節から35節の教え
- 現世で神の満足を得るために、一部の満足を奪われた人々に対し、神はそれを永遠の満足によって償います。現世では男性に禁じられている絹や金が、天国で与えられます。
- 天国では、肉体の平穏に、心の安らぎが伴います。権力や富を持つ多くの人が、肉体的には平穏の中にいても、精神的には落ち着きを失っている現世とは反対です。
- 神は、人々の過ちに対して寛容であり、人々の善行に対しては、その価値を認め、感謝します。私たち僕もまた、このような神の性質を備えられるようにしましょう。
- 天国の人々は、天国を、自分の行動によるものではなく、神の恩恵によるものとみなします。なぜなら、現世の限られた行いと、来世の無限の恩恵の間には、何の関連性もないからです。