家は壊れても国民は死なず パレスチナ・ガザが示すもの
パレスチナ・ガザ地区では連日子供たちがイスラエルにより殺されています。生き延びた子供たちも数え切れない困難に苦しんでいます。しかし、それでもガザが消えることはありません。
ガザから送られてくる映像からは、この地の半分以上が瓦礫と化していることがうかがえます。この光景から思い浮かぶのは、アメリカによる広島・長崎の原爆投下や、あるいはイラク・アフガニスタンへの侵攻です。
1945年8月6日の広島への原爆投下ではその年までにおよそ16万人が死亡したとされています。また2001年からのアフガニスタン戦争では、アメリカは家々に突入してタリバンを探し回り、トランプ政権下の2017年には、核兵器以外では最大の破壊力を持つ「モアブ」をアフガニスタンで初めて実戦使用しました。この爆弾は「すべての爆弾の母」と呼ばれます。
また、2003年からのイラク戦争でも、米軍はイラクの各都市を廃墟にし、数万人のイラク人を犠牲にしました。しかし、米軍が目標としていたアルカイダ指導者のオサマ・ビンラディン氏やその後継者のザワヒリ氏はいずれもイラク以外で発見・殺害されています。
人類の歴史では実に多くの戦争が行われてきました。その大半が、今日のガザのように都市を破壊しつくすものでした。しかし、どれだけ家々が破壊されても、国民が消えてなくなることはありませんでした。国民は何度も廃墟の中から立ち上がってきたのです。歴史を振り返れば、戦争は終わることがなく、世界は不正義にあふれていますが、それでもこの世から消えてなくなった国民というのはひとつもありません。
この100年ほどの間に世界の植民地主義勢力や覇権勢力により数々の戦争が引き起こされてきました。しかし、そのどの戦争でも侵略の対象となった国民が消え去るということはありませんでした。むしろ戦争で受けた差別や侮辱の中でも努力を続けて復興し、その後の発展につながっています。
1955年から20年に及んだベトナム戦争では、およそ300万人のベトナム人が犠牲になりました。アメリカはこの戦争で敗北し、1975年4月30日、最後まで残っていた兵力を撤退させました。北ベトナムの勝利によりベトナムは再び統一を果たし、民衆の望んだ社会主義にもとづく体制が築かれました。
2001年からのアフガニスタン戦争でも、アメリカやNATOはアフガニスタンを破壊し、国民のアイデンティティを無にしようとしましたが、20年におよぶ占領の末に撤退を余儀なくされました。
アフガニスタンはいま、民族と信仰にもとづいた国民アイデンティティを再び獲得しようとしています。それはイラクでも同様で、侵略者への抵抗は増しています。国民のアイデンティティや歴史、ルーツを破壊しようとする試みは常に失敗してきたことは歴史が証明しています。
シオニスト政権イスラエルがアメリカの支援のもと、パレスチナ・ガザ地区への攻撃を始めてから1カ月が過ぎました。この間に、3万トン以上の爆弾が360平方キロほどのガザ地区に投下されました。
それは1日あたり1000トン、あるいは1平方キロあたり80トンの爆弾が投下された計算になります。この爆撃で22万棟の家屋が被害をうけ、そのうち4万棟は完全に破壊されました。
また、ガザ市民のおよそ7割が難民となり、1万300人以上が殉教しました。そのうちの7割が女性や子供です。イスラエルによる攻撃は依然として続いていますが、それによりガザやパレスチナ、およびその理想は消えてしまうのでしょうか? 答えは明確にノーです。
シオニスト政権が成立した1948年から今日まで、パレスチナに対する暴力・戦争犯罪は数え切れないほど繰り返されてきました。しかし、それでもイスラエルはパレスチナを消滅させることはできず、むしろパレスチナ民衆の抵抗の意志は増しています。
確かに、ガザでは毎日のように家々が壊され、10分毎に1人の子供が死傷しているという報告もあります。しかし、パレスチナ国民が死ぬことは決してないのです。それは歴史が証明しているだけではなく、ガザで毎日起きていることを見ればわかります。
あるパレスチナ人の少年は、イスラエルによる攻撃で息を引き取ろうとしている妹に向かって、イスラムの信仰告白であるシャハーダの文言を教えて唱えさせました。
また、家族全員を失ったパレスチナ人記者は、コーランの一節を引用し「我々にはアッラーがいるだけで十分」と語りました。
そして何よりもパレスチナ人の気持ちを代弁したのは、爆撃で家を壊されたある老人の言葉です。「この家を建てるために40年間働いてきたが、壊されてしまった。これもパレスチナのため。すべてはパレスチナのため。我々は立ち上がり続ける」