4月 01, 2024 19:18 Asia/Tokyo

イラン北西部・東アーザルバーイジャーン州タブリーズ市には、歴史や文明を垣間見られる800軒もの家屋をはじめとした古い建物が存在しています。

タブリーズにある数々の歴史的家屋のは驚くほどに多様性に富んでおり、この歴史ある街を訪問した人々に深い印象を残します。ここでは、タブリーズにあるいくつかの由緒ある邸宅をこ紹介していきます。

 

ハリーリー邸

ガージャール朝時代に建てられたハリーリー邸には、イラン本来の芸術が見事に表す装飾が用いられ、内部の壁には、イスラムの聖典コーランに言及がありペルシア語長編詩にもなった預言者ユースフとズライハーの物語やイラン神話などから題材を得た美しい絵画が施されています。

タブリーズのハリーリー邸

 

立憲革命記念館

タブリーズにある最も重要な歴史的家屋の1つである立憲革命記念館は、ガージャール朝期を通じてこの街の社会的・政治的闘争に重要な役割を果たしてきた場所です。ガージャール朝のムハンマドアリー・シャーが砲撃によって議会を解散させた後、ハージ・メフディー・クーゼキャナーニーという人物が、自宅を立憲革命運動家らに解放して、意思決定、談合、重要会議、ビラ印刷などに利用できるようにしたことから、ここにはかつて、サッタール・ハーンやバーゲル・ハーンなどの最も力のある立憲主義運動家らが集まっていました。この記念館には、印刷機や、サッタール・ハーンが携帯していた銃をはじめとする立憲革命運動指導者らの私物が収蔵されています。

 

立憲革命記念館

 

オルドゥーバーディー邸

第二次世界大戦の激動の時代を思い起こさせるオルドゥーバーディー邸は、ムーサ―・ベイクという名の医師によって建てられ、当初の総面積は1600m²にも及びました。この邸宅は、日干しレンガや焼成レンガでできた州内の同時代の大半の建物と異なり、石と焼成レンガを組み合わせて建てられており、そこから、非常に歴史的価値が高いとされています。この邸宅は、建築後しばらくしてからイラク領事館となり、第二次世界大戦までそのまま使用されましたが、ロシア軍がタブリーズを占領した際に破壊されてしまいました。しかし、この邸宅の歴史はそこで終わることはなく、戦後に移り住んだオルドゥバーディー博士がここを精神病患者のための診療所に変え、多くの人々の治療の場としました。

オルドゥーバーディー博士の旧宅

 

ヘイダルザーデ邸

130年の歴史を持つヘイダルザーデ邸は、ガージャール時代の最も美しい建築の1つとされています。この邸宅には、建物2棟に独立した内庭と外庭、庭園、池が配され、両側の壁一面に色鮮やかなステンドグラスの窓が並ぶ美しい大広間もあります。ヘイダルザーデ邸は現在、伝統工芸品の展示場所としても利用されています。

 

歴史あるヘイダルザーデ邸

 

シャフリヤール博物館

現在は博物館となっている、タブリーズ出身の著名な詩人・シャフリヤールの旧宅は、詩や文学を愛する人々が多く訪れる歴史的な場所の1つとなっています。建物内部に展示されている、シャフリヤールが愛用した楽器・セタールや、衣服、鞄、寝具などの日用品は、この詩人の生きた時代とその生前の姿を訪問者に感じさせるものです。

シャフリヤール博物館

 

女流詩人パルヴィーン・エーテサーミ―の旧宅

イランの最も有名な女流詩人の1人、パルヴィーン・エーテサーミーがかつて住んでいたこの邸宅で目を引きつけられるのは、庭の中央にある美しい池、昔ながらの建築様式、階段に据えられたエーテサーミ―の像などです。この女流詩人は、本名をロフシャンデといい、7歳までこの場所で過ごしました。エーテサーミ―は1941年にチフスのために34歳の若さでこの世を去りましたが、残された詩作品は606篇が『パルヴィーン詩集』に収められています。

 

パルヴィーン・エーテサーミ―の旧宅

 

ボルールチヤーン邸

この邸宅はガージャール朝末期の建物の 1 つで、特にふんだんに模様が彫り込まれた正面口が目を引きます。北側にある母屋には、南に面して柱付きのポーチが作られており、最も北寄りにある中庭は、イランの古い邸宅の様式に基づき、東と西の部屋から見渡せるようになっています。

 

ボルールチヤーン邸

 


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