イマーム・フセインの追悼行事「アーシューラー」 イランで開かれた様々な行事
今月16日は、7世紀にシーア派3代目イマーム・フセインが殉教した日「アーシューラー」でした。イラン国内でもフセインを追悼する様々な行事が開かれました。その表情を紹介します。
【ParsTodayイラン】フセインはイスラム暦4年(西暦626年)、現在のサウジアラビア・マディーナで生まれました。父親は初代イマーム・アリー、母親は預言者ムハンマドの娘・ファーティマです。フセインという名はムハンマドによる名づけと言われています。
フセインは、7世紀後半のウマイヤ朝による統治を批判し、当時のカリフであったヤズィードの反感を買います。最終的にイスラム暦61年ムハッラム月10日(西暦680年10月10日)、現在のイラク・カルバラーの地で、ヤズィードが差し向けた軍がフセインの一行を阻み、殉教させました。
フセインが殉教したこの日は「アーシューラー」と呼ばれ、人々は黒い喪服に身を包み、モスクやホセイニーイェ(宗教行事目的の集会場)、自宅などで追悼行事を行います。
アーシューラーの日には、フセインの他に幼い子供たちも殉教しました。それにちなんで、ムハッラム月最初の金曜日には、赤ちゃんや乳幼児とその母親たちによる「乳飲み子の儀式」が行われ、子供たちの健康を祈ります。この儀式はイランの他にも、インド、パキスタン、バーレーン、イラク、サウジアラビア、トルコ、アフガニスタンでもシーア派ムスリムの手によって行われています。
イランやイラクでは、松明を回す行事が行われます。火をつけた松明を持った男たちが、街頭などでそれを回す行事です。
イラン中部のヤズドなどでは、ナフルと呼ばれる木でできた巨大な山車を運ぶ行事が行われます。ナフルは普段は木の枠組みだけで保管されていますが、アーシューラーの時期になると、フセインを追悼する黒い幕で覆われ、男たちが担いで街中を練り歩きます。
イラン東部のシャーフルードでは、スィーネ・ドウルという行事が有名です。この行事は、男たちが輪になり、左手を隣の人の腰に添え、右手で自分の胸を叩き、フセインを追悼するものです。この儀式は、もともとこの地に伝わっていた豊作を祈る行事がアーシューラーの追悼行事と融合したものと言われています。
アーシューラーの前日「タースーアー」の午後から夜にかけては、41カ所のモスクの前に41本のろうそくを灯すパーイラーマーグという儀式が行われます。この儀式はここ100年ほどで流通するようになりました。
イマーム・フセイン殉教の出来事を描いた寸劇はタァズィエ・ハーニーと呼ばれます。毎年ムハッラム月初日から10日にかけて、街中の広場や屋内などで上演されます。
アーシューラーの日の夜には、シャーメ・ガリーバーン(異邦者たちの夜)と呼ばれる儀式が行われます。これは、フセインたちが殉教した後に遺されたその家族たちが、敵軍に囚われたまま灯りのないカルバラーの砂漠で夜を明かしたことを思い起こすものです。人々はモスクなどでろうそくに火を灯し、カルバラーの夜に思いを馳せます。
イラン中西部ロレスターン州では、アーシューラーの日に人々が自分の身体に泥を塗る儀式が行われます。これは、泥を塗ることでフセインたちが味わった苦しみを少しでも追体験しようというものです。