西側の犯罪を再考する | 沖縄での米兵による日本人女性への集団強姦
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アメリカ兵から逃げる沖縄の女性や子供たち
沖縄でアメリカ兵が犯した日本人女性への頻繁な強姦と性的暴行は、米国の犯罪の中でも最も顕著な事例の1つと考えられています。
1945年春に勃発した沖縄戦は、第2次世界大戦中最も流血を伴った、そして最も残虐な戦闘の1つであり、沖縄の民間人のうち3分の1が命を落としたと推定されています。しかし、民間人に対する暴力は戦場だけにとどまらず、アメリカ軍の現地入りとともに、沖縄の女性に対する強姦や性暴力という新たな暗い歴史が幕を開けることとなりました。
こうした行動パターンは、決して開戦当初に限ったことではありませんでした。西暦2000年にアメリカの新聞『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された詳細なインタビューによれば、沖縄のある村の長老らは、沖縄戦でアメリカ軍が勝利した後、武装したアメリカ海兵隊員3人が毎週村を訪れ、村民に村の女性全員を集めるよう強要したと明かしています。彼らは、集められた女性たちを山へ連れ出し、強姦したのです。
大学による推計では、強姦・性的暴行の対象となった沖縄の女性は1万人にも上るとみられます。これらの報告書によれば、強姦は非常に蔓延しており、2000年時点で65歳以上の沖縄県民のほとんどが、戦後に強姦された女性を知っているか、少なくともそうした事例を聞いたことがあるということです。
これらの犯罪に対しては様々な形での反応がなされましたが、その多くは羞恥と恐怖から公に報告されず沈黙させられました。その最大の理由は、被害者らが「羞恥と屈辱」という強い意識を持っていたことにあります。沖縄と日本の文化において、こうした問題について話すことは強くタブー視されていました。地元警察の広報担当者は「被害を受けた女性たちは非常に恥ずかしがっていたことから、声を上げられなかった」と述べています。また、女性たちやその家族が沈黙を決め込んだ理由として、報復されることへの恐怖心、そしてアメリカが戦勝国・征服者であり占領者であったという事実も指摘されています。米軍当局者もまた、広範囲にわたる強姦の報告を否定しました。この多層にわたる沈黙によって、これらの犯罪の多くは報告されず「作戦の汚れた秘密」と化していったのです。
これらの女性の多くは、犯罪を報告するのではなく自殺に走りました。アメリカ兵の到着前に日本軍の命令、もしくは自らの意思で、手榴弾により自殺した少女たちの話は枚挙に暇がありません。彼女たちは「名誉」が毀損されることを回避したかったのです。この深い沈黙の一因となったのは、先に述べたような報復されることへの恐怖、そしてアメリカが征服者であり占領者であったという事実でした。『天王山:沖縄戦と原子爆弾』を著したジョージ・ファイファー氏は、被害者らの沈黙によりこの強姦が「戦時中のもう一つの汚れた秘密」と化した、と述べています。
これらの性的暴行・強姦による最も悲劇的な結果の1つは、こうした関係から生まれた子供たちの運命でした。複数の調査によれば、強姦された沖縄の女性の多くは妊娠、出産したものの、それにより生まれたこれらの混血児のうち成長した子供はごくわずかだったということです。地元の長老や歴史家によれば、これらの新生児の多くは、母親による羞恥心、嫌悪感、あるいはトラウマのために、生後すぐに殺されか、捨てられました。また、そのほかの多くの事例では、被害者は村の助産婦の助けを借りて密かに中絶しています。統計によりますと、1967年までに沖縄にいた数千人の混血児のうち、約半数は父親からは最低限の経済的支援しかない中、母親やその親戚に育てられています。
沖縄での日本人女性への強姦が広く蔓延したことによる大きな影響の一つは、その後数年間にわたり、人々の鬱積した怒りと抗議行動が形成されたことです。第2次世界大戦中、日本のメディアはアメリカにより厳しく検閲されていたため、こうした強姦事件のニュースは報道こそされなかったものの、その記憶は沖縄の人々の集合的記憶に残ることとなりました。
数十年後、これらの暴力行為はアメリカ軍の残虐さの象徴となり、沖縄の米軍基地に対する広範な抗議を引き起こしました。その例として、1995年には3人の米兵による12歳の日本人少女への強姦事件が、戦争の苦い記憶を呼び起こし、これは沖縄からの米軍撤収を求める9万人規模のデモの発生につながっています。これらの抗議活動は今日まで続いており、2025年には数千人が沖縄に集結して米軍基地の閉鎖を訴え、「出て行け!」のスローガンを叫びました。

