イマーム・レザーと生活様式(6)イマーム・レザーの物惜しみしない寛大さ
シーア派の12人の聖なるイマームたちの生活においてふんだんに見られる徳の本質は、物惜しみしない寛大さです。
物惜しみしない寛大さとは、けちの反対に位置するものです。つまり、自分の持っている物質的、精神的な事物を自分のためだけに使うのではなく、他の人々にも惜しみなく分け与えることで、人々の困難を少しでも解決することです。シーア派8代目イマーム・レザー(彼に平安あれ)は物惜しみしない寛大さについて、とても簡潔明瞭な定義を述べておられます。
「物惜しみしない寛大な者は、人々の食卓にあずかり、人々も彼の食卓にあずかるが、けちな者は人々の食卓にあずかることもなく、人々が彼の食卓にあずかることもない。」
シーア派8代目イマーム・レザー(彼に平安あれ)の行状を見ると、彼の物惜しみしない寛大さについて、様々な逸話が目にとまります。彼は人目につかないかたちで、サダカと呼ばれる喜捨の施しをとても頻繁に行い、自分の財産や持ち物を困窮した人々に常に分け与えていました。人々に助力して尽くし、困窮した人々の必要を満たしてあげることは、正しい生き方のひとつです。こうして人々に尽くすことは、それが物質的なものであれ、精神的なものであれ、イスラムの文化において最も重要な宗教的務めのひとつに数えられます。
伝えられるところでは、イマーム・レザー(彼に平安あれ)はある年、犠牲祭の前日に、自分の財産の全てを困窮した人々に分け与えてしまったそうです。
また、食卓につく時はいつも一つの大きな器を用意させ、食卓に盛りつけられた料理からこの器にも取り分け、貧しい人々に分配するように命じたとのことです。
イマーム・レザー(彼に平安あれ)の心の広い気前の良さは、彼の寛大さにあずかった者が微塵の恥ずかしさも感じることがないようなものでした。預言者ムハンマド(神が彼と彼の一族を祝福し平安を与え給えますように)は次のように述べておられます。
「信徒は互いに信仰上の兄弟であり、彼らの必要を満たしてあげる人は誰でも、一生のあいだ偉大なる神に仕えたようなものである。」
イマーム・レザー(彼に平安あれ)も様々な折に触れては、この素晴らしい伝統について言及し、これを大事な務めだと強調していました。
「たとえごくわずかでも、喜捨を施しなさい。何故なら、どんなに取るに足りないわずかなものでも、神に仕える道において誠実な善意から施すなら、大きくて価値あるものだからです。」
「喜捨を施すことで、神からより多くの日々の糧を受け取るのです。」
「あなたがたの周りにいる病いを煩った人々を喜捨の施しによって癒しなさい。」
「あらゆる善行はある種の喜捨の施しであって、神からの報いがあります。」
「弱者や不幸な者たちを助けることは、最も素晴らしい喜捨です。」
イマーム・レザー(彼に平安あれ)はまた、人々の生活を保障することや、困窮した人々に助力することを、理想の生活とみなしてこう述べられています。
「最も素晴らしく最善の生活とは、自分自身の生活をきちんと送る一方で、人々の生活も支えてあげる人々の送る生活である。」
イマーム・レザー(彼に平安あれ)は非常に謙虚なお方で、その謙虚さはといえば、人々が彼のために食事を持ってきた時はいつも、従者や召使いや門番たちまで食卓につかせて、彼らとともに食事をしたほどでした。
ラジオ日本語のフェイスブックやユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。
https://www.facebook.com/ParsTodayJapanese
https://twitter.com/parstodayj