モード主義
(last modified Thu, 11 Jan 2018 12:03:15 GMT )
1月 11, 2018 21:03 Asia/Tokyo
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    モード主義

この時間は、流行・モード主義について見ていくことにいたしましょう。

町を歩いていて、独特のファッションを身にまとったり、独特の髪型をしていたり、独特の動きをする人を見かけたことがあるでしょう。こうした人々は実際、ある種の流行を追求しています。流行・モード主義は、あらゆる文化や社会に存在し、多くの人を魅了しています。

 

人間は常に、単調さを嫌い、生活の中で変化や斬新さを歓迎します。人間は、変化を好み、それが人間の生活の表面を好ましいものにします。生活環境を美しくしたり、自分を着飾ろうとしたりするのは本能的なものです。とはいえ、この流れが自然な状態を逸脱しないように気を付けなければなりません。なぜなら、すべての本能的な能力は、過剰になった場合、逸脱し、悪い影響をもたらすことがあるからです。

モード主義

 

例えば、人間が本能的に美しさを好むことからくる、自分を飾ろうとする欲求は、もし正しく自然な流れを外れた場合、自己顕示や利己主義、モード主義などに陥ります。これらはそれぞれ、浪費や誤った行動、道徳に反する行動を招くことになり、人間の本能的な美しい肯定的な側面を薄れさせます。

 

通信の時代に入って世界が近くなり、世界中の人々と簡単につながりが持てるようになった今、生活様式における小さな変化でも、急速に世界中に広がります。ファッション、化粧、環境、車、家具、引いては政治の表現や挨拶の仕方といった事柄における新しい変化は、急速に世界中に伝えられます。2つの異なる社会の若者たちが、同じような行動やスタイルを持ち、実際、一つの流行を追っているような状況が見られます。

モード主義

 

美しさや多様性を好む傾向は、人間が根本的に持つものであり、イスラム教も、決してそれに反対していません。清潔さや向上を求め、単調さから遠ざかることは、イスラムで強調されている事柄です。しかし、危険なのは、モードの追求が過剰な形をとることであり、この場合、若者たちにとって、好ましい慣習を選択したり、さまざまな価値観を理解することは、複雑で困難ものになります。そして最終的に、社会の価値観とは異なる慣習や行動へと導かれます。この問題は、特に第三世界や開発途上国で多く見られ、社会的な弊害について研究する人々を懸念させています。

モード主義

 

イランの心理学者のアフルーズ氏は、モード主義を心理学的な観点から分析しています。

 

「流行を過剰に追い求め、不適切な服装を好む若者たちの多くは、実際、精神的な悲しみや苦しみを抱えている。彼らは両親の愛情を受けることがなく、家庭では彼らの精神的な愛情を受ける権利が守られていない。このことから、流行を過剰に追い求める傾向が現れる理由の一部は、愛情の不足や精神的な問題に見出すべきである。

家族、特に両親に注目されていないこと、褒められたことがなく、常に批判されることは、人々が過剰な自己顕示に走る理由のひとつである。残念ながら、現代、特にこの数十年、流行やモード主義は最も過激な形を取っている。一部の若者たちは、破れたズボンをはく、半分裸のような服を着る、体にタトゥーを彫る、鼻や唇にピアスをつける、といったことにより、自分の存在をアピールしようとしている」

イランの心理学者のアフルーズ氏

 

イランの西洋学者のボルハーリー博士は、モード主義を社会的、政治的な側面から分析しています。ボルハーリー博士は、流行を操る人々について興味深い発言を行っています。

 

「グローバル化が進んだ後、特に経済分野において、世界は、富や権力を持つ北側と、貧しく弱い南側に分かれている。これにより、私たちは新たな空間に入ることになった。その基準は、富と権力である。世界の分割の基準が富と権力になったとき、世論に影響を与えることのできる人々が、すべての要素を支配しようとする。この支配は、さまざまな側面を含むものであり、その一つが、さまざまな「流行」を作り出すことである。

富と権力の中心は、それまでの基準がほとんど無視されるような新しい空間へと、すべての人を引き込もうとしている。その結果、新しい流行が人間の生活空間を満たし、人間の生活を、表面的で消費的な空間に変える。この新たな空間の中では、人々はもはや、成長や向上を追求することはない」

ボルハーリー博士

 

このようなアプローチから、西側のメディアは、若者たちの余暇を満たそうとしているわけではなく、衛星放送やハリウッド映画は、完全な目的をもって行動していることが分かります。

 

多くの企業は、多くの人に自社の商品を買ってもらうため、莫大な費用をかけて映像を作り、著名人を起用して新たな流行を広め、自社の商品を宣伝しています。

 

流行の追求が過剰なものになるとき、それを好む人々にとって莫大な費用がかかり、企業は多くの利益を手に入れます。彼らはまた、スポーツの大会で個人やチームのスポンサーとなって莫大な投資を行い、自社の存在をアピールしています。これらの企業は、洋服のスタイルや色の組み合わせ、独自のデザイン、髪型や化粧、アクセサリーをブランドに変えようとしています。

流行を過剰に追い求める傾向は、人々にとって経済的な負担やアイデンティティの喪失をもたらすだけでなく、時に、肉体的な健康にも悪影響を及ぼします。医学者らは、流行を作り出す人々が生産し、市場に提供する商品の多くでは、人間の健康が注目されていないとしています。足や腰の痛み、がん、ホルモンや神経の障害といった多くの病気は、流行を作り出す企業が作る、基準を満たしていない商品の利用によって引き起こされています。体にぴったりとフィットした洋服、不衛生な化粧品、鼻や唇のピアスの利用は、肉体的な影響が最も大きくなっています。

 

医学者らは、流行を作り出す企業によって生産された衣服は、体にフィットするような化学繊維が使われており、体から有毒な物質を排除する上で問題を作り出すとしています。衣服のデザインや質は、健康な生活を送る上で非常に重要な要素です。また、基準が守られていない化粧品や衛生用品も、さまざまな病気のきっかけとなります。