ノウルーズと神の認識
(last modified Sat, 20 Mar 2021 10:30:00 GMT )
3月 20, 2021 19:30 Asia/Tokyo
  • 新しくなる季節としての春
    新しくなる季節としての春

イランは暦に従い、新年の始まりと春の到来を間近に控えています。

春は自分自身に秘められた真実という書物を改めて読み返す機会とされています。それは、冬が去って春が到来することは、ある目的を持った事象の成り行きであり、自然界の一部をなす人間も、ある重要な目的のために創造されているからです。

春とその自然の美は、人生という書物の中でも一読に値するものであり、真実の美しい様相を創造世界という鏡に写しだします。このすばらしい現象は、神を認識する最高の教えを与えてくれます。

創造世界をもたらした神は、人類の指導と認識のために聖なる戒律をこの世に下し、賢明な人々に美しい自然を提示して、真実の神秘に気づかせ、それによって神の慈しみや叡智に至らせようとしているのです。

 

 

春という季節は、花々が開く美しい季節です。春になると、木々が芽吹き、花々のつぼみが開き、これらの現象によりすべての自然界が美しいものとなります。春になって、人々が自然の中で過ごそうという思いに駆られるのは、まさに春のこの美しさによるものです。

春が織り成す色鮮やかな自然や美の創造、そしてその魅力により、人間は本能的に春という季節に好感を持っています。しかし、物事に造詣の深い人々から見ると、春は哲学的な思考や洞察力のある人々の目の前に毎年開かれる、叡智という書物のようなものです。そのような人々は、美しく開いた花々に美を見出し、自身の魂や思考をも一新する事で、自然界と調和することになります。

現実に、新年は自分の命の時間が過ぎ去っていくことを再認識するとともに、春がかもし出す情熱の中で、人生の終わりにさらに一歩近づいたことを忘れず、命の時間の大切さを認識する機会でもあるのです。

イスラムの聖典コーランでも、人生は天から降り注がれ、大地に命をもたらす雨に例えられています。この雨により、色とりどりの草花が芽生え、そして大地には花々が咲き乱れ、木々が生い茂り、果実が実ります。人間は、こうした現象を目の当たりにすることで、この美しい自然は常に自分のものだという傲慢な考え方に陥る可能性があります。しかし、こうした喜びあふれる美しさはいずれ失われることになります。

 

春は、生命にあふれた季節であり、自然の輝き、自然界や気候の変化、みずみずしさにより、自然を愛でる人々に数多くのメッセージをもたらします。そのメッセージを、今夜の番組ですべてご紹介する事はできませんが、その一部を紹介したいと思います。

ノウルーズと春がもたらす最も重要なメッセージは、神を認識することです。神を認識することは、すべてのイスラム教徒が理解している明白な概念ですが、その定義や実例を見出すには、自ら見聞きし、そして自分自身について考える必要があり、それによって、この事実が認識されます。これについて、神はコーラン第51章、ザーリヤート章、「撒き散らすもの」第21節で次のように述べています。

“そして、あなたの中に、神を認識しその力を感じるための法的な根拠や、明白なしるしが存在するが、なぜ見えないのか”

 

このことから、ノウルーズは神による天地創造について考え、心の目で物事を見つめる時だといえます。即ち、冬の寒さに耐えた精巧な樹木の枝から、蕾がどのようにして静かに芽吹き、花を咲かせ、湿り気を帯びた大地からどのように新芽が芽吹いてくるかに目を向けてみましょう。芳香を放つジャスミンの花を見つめ、一体誰がその花にこのような見目良さや美しい香りを添えたのかについて、考えてみてください。

 

イスラムの聖典コーランでは、春は神の力を現すしるしとされ、冬の間に緑が失われ乾燥した大地が瑞々しさに取って代わられ、最後の日々における命の再生を明白に物語っているとしています。例えば、コーラン第35章、ファーテル章、「創造者」第9節には次のように述べられています。

“神は、風を吹かせ、雲を動かす。我らは、それを死した大地に送り、大地を蘇らせる”

 

 

また、復活の日についても同様であり、これについてはコーラン第22章、アル・ハッジ章、「巡礼」第5節と6節に次のように述べられています。

“あなた方は、大地が枯れて荒れ果てるのを見るだろう。だが、われらが一度それに雨を降らせると、躍動し、植物が驚くべき形で萌え出る。これこそは誠に神、彼こそが真理であり、死者に生を与え、全てのものの上に力を持っておられるお方であられる”

 

春の到来が伝えるメッセージとして、唯一神信仰のほかに、忍耐をあげることができます。ノウルーズが、命を蘇らせた預言者イーサーのように、その息を死んだ大地に吹き込むと、自然は冬の厳しい寒さに耐えたあとに、その成果を示します。このことは、コーラン第65章、アッ・タラーク章、「離婚」第7節にある次のような言葉を思い起こさせるものです。

“神はまもなく、苦しみの後に安楽を与えてくださる”

実際に、ノウルーズも寒さの厳しい冬を乗り切ることで、忍耐により勝利に至るという不変の真理を具体的に示すものといえます。

 

また、春は寛大さを示す季節でもあります。春になると、山や平原には優しい雨が降り注ぎ、全ての存在物の渇きを癒してくれます。この慈悲の雨こそは、いかなる存在物にももれなく恩恵を与えるのです。

このため、こうした春のメッセージを受け取り、人種や民族、性別に関係なく全ての人々を愛し、根拠のない口実を設けて排他的にならないようにする事が、私達には求められています。さらに、自分の言動によっても、春をもたらし、他人の心に喜びを与えなければなりません。

春は、物事が新しいものとなる季節であり、ノウルーズも新しくなることや新しく発生するという哲学を有しています。それは、春の到来によって全ての世界が再び蘇るからです。信心深い人も、神の叡智に沿って行動することにより、人生の全てを春にすべく、その考えや性質を改めることができるのです。自然の美に歩調を合わせる事で、その精神を美しいものにします。その美しさとは、時の経過と共に失われる美しさではなく、恒久的な美しさを意味します。

もっとも、人間の状態は時と場合によって変化し、時には物質主義に走る事もあれば、人間的な本質に立ち返ることもあります。また、創造世界のしるしにより、よりどころを見出し、自然界の美しい現象により安らぎや確信を得る事になります。

 

人間は、創造世界を美的に解釈し、美しいものを正しく理解しようとしていると言えます。創造世界の芸術的な美は、人間に熟考を促し、驚きをもたらします。この驚きはまさに、変化の始まりであり、人間を更なる高みへと向かわせます。春という季節は、このようにして新鮮で瑞々しい自然とともに、これまで長年にわたって変化の原動力となり、人々の風俗習慣や伝統の中に生き続けてきたのです。

 

新しくなる季節としての春

 

春は、自然界における変化と革命の季節です。自然界には1日、1時間、そして1秒ごとにプラスの変化が起こり、木々が芽生え、花が咲き、そして果実が実ります。これと同様に人間も、毎年、季節ごとに、そして日々、さらには時間ごとに良い形にに変化するよう努力しなければなりません。

このため、春がもたらす重要なメッセージの1つは、変革と革命であり、私たちはそれに耳を傾ける必要があります。人間は、英知を高め神に服従すると同時に、神の創造物により多く貢献し、最終的には世俗的なしがらみや、欲望から解放され、創造主の方向に向かうこと、即ち本当の意味での春に到達する事が求められているのです。

 

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