ペルシャ語ことわざ散歩(214)「どんぶりが割れてヨーグルトがこぼれれば、世界は日和見主義者の喜びになる」
皆様こんにちは。現在のイランで実際に使われている生きた表現をご紹介する「ペルシャ語ことわざ散歩」、今回は「どんぶりが割れてヨーグルトがこぼれれば、世界は日和見主義者の喜びになる」という表現をお届けしてまいりましょう。
このことわざは、ペルシャ語では Taghaarii beshkanad maastii berizad jahaan gardad be Kaam-e kaase liisaan と読まれます。
このことわざは、何かある出来事や状況がある人にとっての損害となる一方で、日和見主義者やその時をうまく利用する人にとっての喜びや利益となる、ということを意味しています。
なお、この表現に出てくるペルシャ語のタガーリーとは、粘土でできた焼き物の器、あるいは日本でいうどんぶりのような器を意味しています。
この表現については、次のような物語があります。
昔、ある若い女性がある若い男に恋心を抱くようになりました。この女性は毎日、ヨーグルトを入れた器を頭にのせて市場へ売りに出かけ、そのたびに遠くから自分の愛するその男性の姿を見ては楽しんでいました。
しかしある時、この女性は自分のお目当ての男性が突然亡くなった、というニュースを聞きつけ、非常に落ち込みます。しかし、悲しいからといって自分の親兄弟の前で涙することなどできません。
そこで、この女性はその翌日、いつものようにヨーグルトの入った器を頭にのせて市場にでかけました。そして、自分の愛する男性をいつも目にしていた場所を通りかかると、わざと転びました。すると当然、彼女が頭にのせていた器が地面に落ちて壊れ、ヨーグルトが地面にこぼれました。そしてこの女性はしきりに、「売り物のヨーグルトがこぼれてしまった」とさめざめと泣き崩れました。しかし、これは表面上のお芝居で、本当は彼女は愛する人を失った悲しみから泣き崩れたのです。するとその時、彼女の周りにいた乞食がやってきて、割れた器のかけらを拾い、残っていたヨーグルトをしきりに嘗め始めたということです。
この状況からもお分かりのように、器が地面に落ちて壊れ、中に入っていたヨーグルトがこぼれたことは、ヨーグルトを販売する女性にとってはそれこそ、泣きたくなるほどショックな出来事のはずです。しかし逆に、普通に売っているヨーグルトを買えないほど貧乏な乞食にとっては、こういう出来事のお陰でただでヨーグルトを食べることができ、ある意味では利益になったといえるでしょう。
ある人にとって損害となる、または頭痛の種になるような出来事や状況が、他の人にとっては思わぬ利益、ラッキーにつながるという状況は、世界のどこでも起こりえることではないでしょうか。ですが、他人の苦境に付けこんで悪用する、といったことは避けたいですね。それではまた。
この番組は、イランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。