コーラン第24章アン・ヌール章み光り(1)
今回は、男女について語ったアン・ヌール章についてお話しします。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アン・ヌール・み光り章は、コーランの24番目の章で、預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住した後、メディナで下されました。この章は全部で64節あります。アン・ヌール章は、そのうちの35節で、「神は天と地の光である」とされていることから、この「み光り」を意味する「ヌール」という名前がつけられました。
アン・ヌール章では、不貞を行った男女の罰やヘジャーブの掟、男女の貞節や清らかさといった問題が提起されています。この章の大部分は、家族の正しい関係、道徳に反した不適切な関係の社会からの排除に関するメッセージとなっています。
コーランは、男女が不適切な関係を持つことを、醜い行い、大きな罪と見なしています。なぜなら、そのような関係は家庭の絆を崩壊させるからです。コーランは、堕落や穢れを、敬虔な人間には相応しくないものと見なし、不貞を行った男女には厳しい懲罰を考慮しています。アン・ヌール章の第2節では、罪を犯した者の罰において、感情をさしはさんではならないと強調されています。それは、罪を犯した人が処罰されると同時に、一般の人々の貞節さも守られるようにするためです。
同時に、罪が証明されて懲罰が下されるためには、イスラム法で厳しい条件が設けられています。例えば、信仰のある女性に不貞の疑いがかけられた場合、それが証明されるためには、4人の証人が必要となります。誹謗中傷は、利己的な人物が、清らかな人間を非難するための口実になりかねません。そのため、不貞を行った人への厳しい罰が述べられたすぐ後に、誹謗中傷を浴びせた人への厳しい罰も述べられています。アン・ヌール章の第4節は次のように述べています。
「また、(夫のいる)貞節な女性を不義で非難し、4人の証人を立てられない者たち、彼らには80回の鞭打ちが加えられる。彼らの証言を受け入れてはならない。彼らは本当に堕落した人々である」
アン・ヌール章の第11節から先のいくつかの節は、大きな嘘、つまり、罪のない人を不貞で非難することについて触れています。歴史では、このような話が伝えられています。バニー・モスタラクの戦いが終わった後、メディナに戻る道の途中で、預言者と一緒にいた妻のアーイシャは、イスラム教徒の一群から遅れを取ってしまいました。メディナに戻ると、一部の人々がアーイシャは不貞を働いたという噂を立て、それが瞬く間に広まっていきました。預言者はこの出来事に深く傷つきました。
偽善者がこのような噂を広めたのは、それを利用して社会に不信感を広め、預言者の神聖を冒すためでした。しかし、アン・ヌール章が下され、彼らの真の姿が明らかになりました。その戒律があらゆる時代や環境に適用できるこれらの節は、敬虔な人間に対し、悪い考えや誹謗中傷を避けるようにとしています。
コーランは、具体的な出来事を述べることなく、そのような大きな中傷を浴びせた人々を、「陰謀を企てた人々」と呼んでいます。これらの節は、決して確信の持てない知らない出来事について噂を広めたり、それを煽ったりすること、またそれを取るに足らないこととして捉えることは重い罪だとしています。
イスラム社会では、肯定的な精神が広がっていなければならず、言葉にされる事柄が容易に受け入れられるべきではありません。なぜなら、人々は他人の名誉に対して責任を持っているからです。いずれにせよ、不貞、あるいは清らかな人を不貞で非難したりする誹謗中傷などの過ちに対する罰を定めることは、家族の神聖を守り、その崩壊を防ぐためのものなのです。
アン・ヌール章は続けて、道徳的、教育的な問題について、腐敗を防ぐための一部の方法を述べています。これらの節では、人々のプライバシーや公共の貞節を守ることに関するイスラムの社会的な指示や人付き合いの際の礼儀について述べています。それには、人々の家に入る際の作法や許可のとり方が含まれています。
コーランは、他人の家に許可なく入ってはならないとし、もし誰もいなければ、誰かの許可を得るまでは中に入ってはならず、帰るように言われた場合には、帰るようにとしています。また、入室の許可が与えられた際には、家の人々を気遣いながら挨拶をして、入るようにとされています。
アン・ヌール章の第30節と31節では、男性が女性を見ること、女性が男性を見ることに触れています。コーランによれば、信仰のある男性は、自分のまなざしをコントロールすべきであり、神の満足に反するものにまなざしを投げてはいけないとしています。このことから、知らない女性の顔を見る際には、その限度を守る必要があります。アン・ヌール章は、全ての人、特に敬虔な人間に対し、「あなた方のまなざしを神から隠せると考えてはならない。神はあなた方のまなざしの動機をも知っておられる」と語っています。
ある日、アンサールの若者が、一人の女性と出くわしました。当時、女性たちは頭に被る布を耳の後ろにかけていて、首と胸の一部が覆われていませんでした。若者はその女性を魅力的だと思い、まなざしを向けました。女性が通り過ぎる際、若者は、道を歩きながら、なおもまなざしを投げかけていました。すると突然、壁にあたり、頭が切れて血が流れました。彼は非常に気分が悪くなり、預言者のもとに行き、その出来事を話しました。そのとき、大天使ジブライールが、イスラム的な覆い・ヘジャーブに関する啓示を預言者に下しました。それは、アン・ヌール章の第30節と31節の一部です。
「[預言者よ、]信仰を寄せた男たちに言え、『[禁じられたものを見ることから]自らの視線を低くし、清らかさを守りなさい』と。それは彼らにとってより清らかである。明らかに、神は彼らが行うことを知っておられる。また、信仰を寄せた女性たちに言え、『[禁じられたものを見ることから]自らの視線を低くし、自らの貞節を守り、[自然に]明らかになるもの以外は、自らの飾りを明らかにしてはならない』と」
ここで言う、「自らの視線を低くする」とは、知らない女性が視界に入ったときにはいつでも、視線を低くして、その女性が視界からはずれ、禁じられたまなざしが女性に向けられないようにすることを意味しています。
この2つの節は、男女が交流する上での一部の義務に触れています。例えば、イスラム教徒は男であろうと女であろうと、自分のまなざしをコントロールしなければなりません。イスラム教徒の男女は清らかでなければならず、女性は肌を覆い、社会の健全性のために、飾りを他人にひけらかしたり、男性の注目を惹きつけたり、挑発したりするのを避けるべきだとされています。
イスラムでは、社会環境の中で女性が自分を見せびらかすことが禁じられていますが、ヘジャーブを守れば、女性が社会に進出しても問題はありません。ヘジャーブを守れば、家族の結びつきが強まり、精神的にも安らぎを得られ、女性の人格が守られると共に、欲望のまなざしから逃れることができます。とはいえ、女性のヘジャーブにおいて、自然にあらわになる体の部分、顔や手などを覆う必要はありません。