ロル族の文化や社会的特徴(2)
前回の番組では、ロル族の文化的、社会的特徴についてお話しました。今回の番組でも引き続きこれについてお話しすることにいたしましょう。
歴史的資料によれば、バフティヤーリー族はイランの大部族のひとつであり、大ロル族とも呼ばれています。これに対し、小ロル族は、現在のロレスターンやイーラームの民族のことです。サーサーン朝、アケメネス朝の長い時代にロレスターンは、パールスの領土の一部でした。イスラム後、アッバース朝のカリフ時代から、ロレスターンは現在のハメダーンからイスファハーンまで続いていました。
ガージャール朝のファトフアリーシャーの時代の初め、バフティヤーリーはファールスの領土の一部であり、カールーン川がファールスと非アラブ系イラクの地域を分かつものと見なされていました。1831年から、バフティヤーリー族はイスファハーン州の一部、またフーゼスターン州の一部の地域で暮らしていました。バフティヤーリー族はイランの歴史において常に政治、軍事、商業の分野で高い地位を有していました。
バフティヤーリーロル族は、イスラム教シーア派を信仰しています。ロル族は多かれ少なかれ、トルコ系やアラブ系の文化や民族と融合していますが、クルド人との結びつきはそれ以上です。なぜならロル語は、クルド語と似ているからです。ロル族の顔つきは、イラン人の特徴を多く有しています。
ロル族はパールス民族と近い関係にあり、ロル語は、イランの言語、特にパルティア・パフラヴィー語、サーサーン・パフラヴィー語に近い発音となっています。ロル族が人が簡単に入れないような場所で暮らしていたことなどの地理的な状況から、ロル語は、トルコ系、アラブ系の言語との融合はなく、そのままの形で維持されていました。
ロシア系のイラン学者はロル族について、強い肉体、中肉中背、茶色の瞳、黒髪、濃い眉、大きな鷲鼻、浮き出た頬を持っていた、としています。
ロル族は他のイランの民族と同じように放牧や農耕生活を送っています。バフティヤーリー族の一部は今もテントで暮らしています。
バフティヤーリー族は、イランの最も重要なロル族として、南部のファールス州から中部のイスファハーン州、西部、南西部のフーゼスターン州、ロレスターン州までを自らの遊牧の地域としています。
バフティヤーリー族は他の部族と同じように、一部は住宅で、一部は今もテントで暮らしています。バフティヤーリー族の夏と冬の居住地は、イスファハーン州から、ファールス州、フーゼスターン州の間となっています。バフティヤーリーの移動地には、チャハールマハールバフティヤーリー州、フーゼスターン州、イスファハーン州、ロレスターン州東部が含まれています。バフティヤーリー族はクルド族の一部とも見なされています。
バフティヤーリー族が着ている衣装、特に女性の衣装は多くがロル族の衣装の影響を受けたものです。
番組のここからは、バフティヤーリー族の間で行われている儀式をご紹介することにいたしましょう。この儀式は、イランの他の地域の儀式に似ていますが、バフティヤーリー族独自の特徴も備えています。この儀式の一つに、雨乞いの儀式があり、雨の少ない干ばつの際に行うものです。
この儀式ではまず、ひげのない男性を選び、彼にあごひげと口ひげをつけ、その後大きな皮袋を頭の上にかぶせます。ゆったりした衣装を着て、別の袋も肩の上に乗せます。その後、多数の人が彼の周りを取り囲み、連れ立って家々を訪ねて歩き、特別な詩を読みます。そして家の人たちが小麦粉や小麦を彼らに渡しますが、初めに少々の水をそれらの上に注ぎます。こうしてこの作業は夜まで続けられます。後に小麦からナンが作られますが、その中の一つには小さな木片が練り込まれています。出来上がったナンを人々に配り、木片の入ったパンを食べた人には、証人を連れてこさせ、何日までに雨が降ると証言させます。もしその日まで雨が降らなければ、その証人は皆に冗談でたたかれ、別の人が連れてこられ、同じことが繰り返されます。これが雨が降るまで続けられるのです。
バフティヤーリー族は、ノウルーズ、スィーズダベダル、イマームや預言者の生誕日、犠牲祭、ガディールホム、断食明の祝祭といった国民、宗教の祝祭を重視しています。イランの新年ノウルーズを迎える前、バフティヤーリー族はテントの場所を変え、水の豊富な緑の土地に移動します。ノウルーズの前の晩には、テントの中に留まりますが、その初日には、特別な衣装を着て、ロル族の帽子を斜めにかぶり、親戚や友人を訪問します。
バフティヤーリー族は、ノウルーズの前に必ず黒い喪服を脱ぎます。というのも、そうしなければ、彼ら部族の恩恵はなくなると考えているからです。