コンピュータ・ゲームにおけるの宗教に対する侮辱の実態
前回は、思考に方向性を与えることや、西側諸国の他国に対する文化的な概念の拡大、そしてモラルに反する事柄を教えるための、コンピュータ・ゲームの役割についてお話しました。また、コンピュータ・ゲーム産業が開発者にとって最も利益の多い業種であり、また世界規模で最も人気のある娯楽となっていることにも触れました。 今回は、一部のコンピュータ・ゲームにおけるの宗教に対する侮辱の実態についてお話することにいたしましょう。
コンピュータ・ゲームに幅を利かせるシオニズム
今日、コンピュータ・ゲームはその特徴から、西側の文化が他国の社会を侵略する上で、最も力のある、魅力的な手段となっています。複数の統計から、コンピュータ・ゲームの開発は、年間当たり3000点から4000点におよび、確実にその数を増ししていることが分かっています。現在、全世界で数億人もの人々が、余暇の多くをこのゲームにより過ごしており、中には1日に4時間から7時間もこの種のゲームに費やす人もいます。こうした統計は、コンピュータ・ゲームが広まっていることを示しています。また、この種のゲームの愛好家の多くは、子供や青少年が占めています。
しかし、多くの人々が気づいていない問題の1つは、コンピュータ・ゲームをはじめとするメディアにシオニズムが影響を及ぼしていることです。シオニストは、西洋諸国の権力の中心に影響を及ぼすことで、大きな富や権力を獲得しており、こうした影響力や権力の維持には、メディアを通じて世論を誘導することが条件であると考えています。このため、世界に広がるシオニズムは世界の有力なメディアの多くを所有したり、管理する権限を持っており、さらには無知を利用して世俗的で有害な思想を彼らに吹き込もうとしています。このためにも、シオニズムは出版物や映画、テレビドラマ、アニメーション、そして最近ではコンピュータ・ゲームといったメディアを大々的に活用しているのです。
現在、シオニスト政権イスラエルは数多くの会合を開催し、世界的なゲーム企業に対し、この政権の目的を達成するためのゲームを開発するよう奨励しています。こうした目的の1つは、世界におけるイスラムや精神性の拡大への対抗です。今回と次回の番組では、コンピュータ・ゲームを通じたイスラム恐怖症の拡大や、宗教の神聖に対する侮辱について検討していくことにいたしましょう。
神を無能な存在に見せるPCゲームの例
コンピュータ・ゲームの多くは、西側諸国の生活様式、恥のなさや暴力主義を吹き込むことに加えて、宗教信仰の弱体化や宗教の神聖さへの冒涜に重要な役割を果たしています。一部のゲームでは、神や宗教的な信条、宗教的な場所やシンボルに対する侮辱が数多く見られます。
コンピュータ・ゲームの一部では、神を無能なものに見せています。様々な数多くのゲームにおいては、神が物質的な形で提示され、無謬の存在ではなく、様々な物事において人間を助ける力すらないものとして扱われています。そうしたゲームの例として、「ブラック・アンド・ホワイト」、「エルシャダイ」が挙げられます。
PCゲーム「ブラック・アンド・ホワイト」
PCゲーム「ブラック・アンド・ホワイト」では、ユーザーが神の役を担当します。ゲームの流れは次のようなものです。ある出来事の中で、子供が海に呑まれ、その子の両親が神に子供を助けてくれるよう求めます。彼らの声は天まで届き、神は大きな手となって地上に現れ、子供を助けます。
この出来事の後、この子供の家族は自分の村の人々に、神の救いの力について語り聞かせ、それ以後は神を偶像や礼拝所という形で、崇拝の対象とします。ユーザーは、神の役を演じ、反抗した人々や彼らの願いをかなえ、彼らのために奇跡を起こさなければなりません。このゲームでは、神の力は神を崇める、従う人の数に左右されることになっています。崇拝者の数が多ければ多いほど、神の力もより大きくなり、より複雑な奇跡を起こせるのです。
勿論、このゲームでは神は1つではなく、周辺の世界にはほかにも、その神の領土を脅かすことのできる複数の神々が存在します。この意味において、ユーザーはほかの神々と戦うための十分な準備ができていなければなりません。このゲームでは2つの案内役が存在します。1つは、善良な亡霊で、もう1つは穢れた亡霊であり、そのいずれも神を導いたり、だまそうとします。このゲームにおけるもう1つの侮辱的な点は、神が直接教育する生物の存在です。そこでは、生物が神の使いとして周辺の世界に送り込まれ、褒めたり叱責したりしながら、人々を神への崇拝へと勧誘します。
実際、このゲームにおいてはユーザーが人間たちに日々の糧を与え、戦争と和解をもたらし、罪びとや誤りを犯した人に責め苦を与え、よい行いをした人に恩恵を与え、人間関係を築くきっかけを与える下地を作ることになります。もっとも、時にはそこに出てくる人々の信仰心や宗教をももてあそび、苦しめます。神を物質的な存在とみなしていること、複数の神の存在への信仰、より多くの信者の存在によってのみ神の力が増すこと、神が人間に従属していることなどは、こうしたゲームにおいて信仰心を弱めるために行われている侮辱の例といえます。
アクションゲーム・エルシャダイ
アクションゲーム・エルシャダイでも、天使たちが堕天使となって地上に降り、人間に対する神のコントロールを妨害します。神も、堕天使たちを罰するために悪魔のルシフェルに相談し、行動を起こします。このゲームでは、神は預言者イドリースを使いとして送り、誤ちを犯した天使たちを懲罰のため天上界に戻らせます。この間に、ルシフェルが少しずつ、携帯電話を使ってイドリースの任務の遂行状況を神に報告します。
このゲームでは、人間に対して無力であるために悪魔を信じ、悪魔を相談役としているような存在であるかのように、神を見せようとしています。このゲームではまた、神はその預言者を信頼していないために、悪魔に任務を言いつけ、悪魔の活動の報告書が作られます。このゲームにおけるもう1つのポイントは、天使たちが無謬の存在ではなく、神の前で罪を犯すことから、神が天使に罰を与えることにあります。実際、エルシャダイは神やその預言者、天使を侮辱し、弱い存在として見せるゲームだと言えます。
ダンテズ・インフェルノに見る宗教冒涜の例
宗教の神聖さを冒涜しているもう1つの例は、天国や地獄を関門として扱っていることです。アクションゲーム「ダンテズ・インフェルノ」では、ダンテという人物が恋人の魂を救うために天国と地獄をめぐり、その途中で地獄の魔物に遭遇します。ユーザーは、ダンテの役となり、ダンテをその場に引き止めておこうとするその魔物と戦います。それらの魔物を倒した後、天国に向かう道が開ける、というストーリーになっています。このゲームでは、地獄が物質的な世界であり、そこから逃げることもできるとされており、よい行いをせずに天国に入ることができるという設定になっています。こうした視点は、宗教の教えに反するものです。
青少年の宗教心の弱体化を狙うPCゲーム
西側諸国は、コンピュータ・ゲームを娯楽、あるいは消費産業として捉えるのではなく、それらを、社会から宗教を排除し、世俗的な信条を強要するための、国際的に影響力のある1つのメディアとして利用しています。これらのゲームは、特に若者や青少年に対する影響力が強いことから、彼らの宗教信仰や精神性を弱める可能性があります。こうしたゲームの一部は、表面的には娯楽であるものの、イスラム教徒の神聖や信仰心の基盤を攻撃の目標としています。