6月 03, 2018 00:03 Asia/Tokyo
  • 聖典コーラン
    聖典コーラン

今回はコーラン第46章アル・アフガーフ章砂丘を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・アフガーフ章は全部で35節あります。

 

アル・アフガーフ章で語られているのは、コーランの偉大さ、多神教信仰や偶像崇拝との戦い、復活と神の公正な審判、アードの民の物語、神の預言者たちの導き、敬虔な人々への奨励と不信心者への警告、預言者による忍耐の勧めなどとなっています。

 

アル・アフガーフ章の第1節から3節を見てみましょう。

 

「ハー・ミーム。この書物は全知全能の神から下されたものである。我々は天と地、その間にあるすべてのものを、真理と定められた期限によってのみ創造した。だが不信心者たちは、警告される事柄に背を向ける」

 

この3つの節は、この書物が全知全能の神から下されたことを述べた後、天と地は真理に基づいて創造されたという事実を明らかにしています。そのため、創造世界には、真理に矛盾するものなど存在しません。この創造には、始まりがあったように終わりがあります。そのため、コーランは、「我々はそのために期限を定めた」としています。言い換えれば、この世界は確固たる目的と定められた期限を有しており、その期限が来れば世界は終末を迎えます。コーランは真理に基づいており、世界も真理に基づいて創造されましたが、頑なな不信心者たちは、警告されたことに背を向けるのです。

 

 

アル・アフガーフ章の第13節は、善を行う人々について説明しています。

 

「『私たちの主はアッラー[の神]です』と言い、その後、その道をしっかりと守った人々には、恐れもなく、また悲しみもない」

 

実際、信仰のすべての段階とすべての善い行いは、この2つの文書の中に集約されます。すべての信条の原則は唯一神信仰に由来し、立場の堅持や忍耐は、あらゆる善い行いの根源です。そのため、善を行う人々とは、信条の点で唯一神を信仰し、行動の点で立場を堅持し、耐え忍ぶ人々です。このような人々は、未来の出来事を恐れることも、過去を嘆くこともありません。また、困難や災難を恐れず、常に耐え忍びます。これはそうした人々が常に持ち続ける特徴です。

 

アル・アフガーフ章の第14節は、このような人々に最大の吉報を与え、このように述べています。「彼らは楽園の人々であり、その中に永遠に留まる。これは彼らが行ったことへの報奨である」

 

 

アル・アフガーフ章の第15節は、両親に孝行する必要性に触れ、それを神への感謝の第一歩であるとし、次のように語っています。

 

「我々は人間に両親に孝行するよう勧めた。母親は妊娠の苦しみを味わい、苦しみに耐えながらその子を産む。そして妊娠中から授乳を終えるまで30ヶ月かかる」

 

この節は、両親、特に母親に感謝する必要性に触れています。なぜなら、母親の方が多くの苦しみや困難に耐えなければならず、胎児が成長すればするほど、その問題は増加し、母親の睡眠や休息が奪われます。しかし、母親はそのような多くの困難に耐え、懐妊のときを迎えます。この段階は、母親の人生の中で最も困難な瞬間です。胎児が生まれた後には、新たに別の困難な時代が始まります。母親は昼も夜も赤ん坊の面倒を見なければならず、その子のあらゆるニーズに応えなければなりません。母乳を飲ませることは、母親の献身を示しています。

 

コーランは、妊娠から授乳期にかけての母親の問題に触れています。この時期は合わせて30ヶ月です。母親はこの間、子供に対して最大の献身を行います。その後、人間は、40歳に達するまで成長を続け、肉体的な力が最高潮に達します。この間、信仰を持つ人間は、人生の方向性を完全に明らかにし、その道を死ぬまで歩み続けることになります。そのため、祈祷の中でいくつかの事柄を神に求めます。

 

「神よ、私に暗示を与え、私と両親に与えられた恩恵に感謝できるようにしてください。また、あなたが満足してくださるような、善い行いができますように。そして子供たちと家族を私のために善良にしてください。私はあなたへと帰り、あなたに服従する者の一人です」

 

アル・アフガーフ章の第16節は、両親と子供の権利を守り、彼らへの感謝を忘れない敬虔な人間の報奨について触れています。

 

「彼らは、我々から最高の行いを認められる者たちである。また、彼らの悪い行いを赦し、楽園の仲間とされる」

 

このような敬虔な人々の対極にいるのが、親の権利を無視し、恩を知らない不信心者たちです。アル・アフガーフ章の第17節を見てみましょう。

 

「また、両親に向かって、『ああひどい、あなた方は[死後に]蘇らされると約束するのか?だが、私以前に多くの民が過ぎ去っていった。[そしてその誰も蘇ってはいない。]』 2人は常に、[子供たちが立ち返るために]神に助けを求めている。[そして子供たちに言う。]ああひどい、あなたは信仰を寄せなさい。だが彼は[高慢になって]言う。『これらは先人たちの物語に過ぎない』と」

このようにして、彼はなおも不信心を続けます。

 

アル・アフガーフ章の第21節から先は、預言者フードとアードの民の運命について述べています。

 

「アードの同胞[である預言者フードの運命]を思い起こしなさい。その民に砂の丘で警告したとき、数多くの預言者が、彼以前にも、その後にも現れた。唯一の神以外を崇拝してはならない。私は、偉大なる日のあなた方への責め苦を恐れる」

 

ここで、コーランはアードの民の物語に触れています。この民は、さまざまな恩恵に恵まれ、それにどっぷりと浸かっていたために、偶像崇拝に走りました。そのような彼らの逸脱により、至高なる神は、預言者フードを遣わし、アードの民を神の道にいざなわせようとしました。フードは彼らに、「唯一の神以外を崇拝してはならない」と語りました。それから彼らに警告し、「私はあなたたちへの偉大なる日の責め苦を恐れる」と言いました。彼らはフードに対し、「あなたは嘘をついて、私たちに自分の神々に背を向けさせるためにやって来たのか?もしあなたが本当のことを言っているのなら、私たちに約束するその責め苦をもたらしてみせるがよい」と言いました。

 

だが、フードはこのような愚かな要請に対し、「知識は神のみのもとにある。神こそが、責め苦がいつ下されるのかを知っている」と言い、それからこのように続けました。「私の責務は、私が遣わされる根拠となった事柄を、あなたたちに伝えることである。だが私にはあなたたちは迷った民で、無知と愚かさにしがみついているように見える」

フードは、多くの忠告により、正しい道を彼らのために説明し、言い訳の余地を残しませんでした。しかし、頑なな民は、フードの導きに抵抗し、わずかな数の人々を除いて、信仰を寄せることはありませんでした。

 

とうとう責め苦のときがやって来ました。彼らは地平線に雲を見ました。アードの民は、自分たちの方に向かって動いてくる黒くて大きな雲を見つけたとき、この雲は雨をもたらしてくれると言って喜びました。しかし、その雲は雨をもたらすものではないこと、彼らがその到来を急いでいた恐ろしい責め苦であることが告げられました。この強い風は、破壊的で痛ましい責め苦であり、神の命によってすべてのものを壊し、消滅させます。その翌朝、彼らの家以外、見渡す限り、何も見つかりませんでした。

 

アードの民の物語の終わりでは、このような運命が、道に迷ったアードの民だけのものではなかったことが述べられ、神は、「我々はこのようにして、悪を行う人々に懲罰を下す」としています。これは実際、利己的で頑ななすべての不信心者への警告であり、「あなたたちも、もし同じ道を歩むのであれば、それ以上の運命は期待できない」としています。

 

 

アル・アフガーフ章の第35節は、イスラムの預言者ムハンマドに忍耐を呼びかけ、「人々の反対や敵対に直面したのは、あなただけではない、啓典を持つすべての預言者が、そのような問題に直面し、耐え忍んだ」と語っています。

 

神の偉大なる預言者、特にイスラムの預言者の人生は、耐え難い問題に対する抵抗を物語っています。頑なな敵は、預言者に対抗するために多くの努力を行いました。預言者は人々にイスラムを勧めるためにターイフの町にやって来たとき、人々に多くの石をぶつけられ、足が血だらけになりました。愚かな人々も、預言者に罵声を浴びせました。預言者は仕方なく庭園に非難し、木陰に座りました。彼は神に心のうちを明かし、人々の行いへの不平を漏らしました。預言者はそのような状況で忍耐を続け、こうしてとうとう、イスラムの木を実らせました。預言者ムハンマドの教えは、アラビアのヒジャーズの地だけでなく、東にも西にも広がり、現在、唯一神信仰の叫びは、毎日、朝と晩に世界中から聞かれています。(了)