コーラン第57章アル・ハディード章鉄(2)
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コーラン第57章アル・ハディード章鉄
今回も引き続き、コーラン第57章アル・ハディード章鉄を見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
ハディードとは鉄を意味し、アル・ハディード章の第25節でそれについて述べられています。アル・ハディード章はメディナで下され、全部で29節あります。
アル・ハディード章では、主に、神の唯一性と性質、コーランの偉大さ、神の道における努力の基盤を強化するための施し、敬虔な人間と偽善者の最後の審判での状況、以前の民がたどった運命、現世の生活、広大な楽園、神の預言者たちが遣わされた目的のひとつである正義の確立、鉄の役割、社会的な孤立への非難といった事柄について述べられています。
アル・ハディード章の第7節は、人間に対し、神とその預言者に信仰を寄せ、自分たちに与えられたものの中から施しをするよう求めています。施しには広い意味があり、財産に限られません。物質的、精神的な財産や知識を含むものです。イスラムは、イスラム共同体の存続、人々の問題の解消、社会の発展と向上のために施しは欠かせないとしています。アル・ハディード章の第10節を見て見ましょう。
「あなた方は、どうしたというのか。神の道において施しをしないとは。天と地の遺産は神のものである」
人間は最後には、持っているものすべてを捨ててこの世を去ります。それなのに、なぜ今、機会を利用して施しをしないのでしょうか? とはいえ、施しの価値は状況に応じて異なります。この節は続けて、次のように語っています。
「あなた方のうち、勝利の前に施しをし、神の道において戦いに出向いた人は、[他の人たちと]同じではない。彼らは階級の点で、その[メッカを征服した]後に施しをし、神の道において努力した人々よりも優れている」
実際、困難や危機に陥った際、献身をいとわなかった人々は、嵐が去った後にイスラムを助けに走った人々よりも優れています。一方、どちらのグループも、神の恩恵にさずかることになるため、この節は終わりに次のように語っています。「神はどちらのグループにも善を約束している」

アル・ハディード章の第11節は、施しを勧めています。
「神によい借款を与える者は誰か?神はその人のために、それを2倍にしてくださる。彼には貴重な報奨がある」
神に借款を与えるとは、神の道におけるあらゆる施しを意味しています。コーランは、施しをする人々に復活の日の報奨を知らせています。その日、信仰のある男女は、目の前に光があり、右側を急速に進みます。人間の考え方や行動が明らかにされる最後の審判の日、信仰が光の形で示され、絶対的な闇である不信心は暗く示されます。このとき、天使たちが、敬虔な人々に、木々の下を小川が流れる庭園に入ることを伝えます。これは大きな救済です。
一方、無知と偽善の暗闇に陥った偽善者たちは、叫び声をあげ、光を求めて敬虔な人々に懇願します。しかし、その答えは、「立ち返り、以前の世界に光を求めなさい」というものです。つまり、そこで光を得ることはできず、それは、すでに過ぎた世界で、信仰と善い行いによって得ておくべきでした。しかし、そのときにはすでに遅く、彼らの間は壁で隔てられています。そこには扉があり、内側は慈悲、外側は責め苦になっています。偽善者たちは彼らを呼びます。「私たちはあなたたちと一緒ではなかったか?あなたたちと一緒にどこで生活し、あなたたちと共にいたというのに、どうして私たちから分かれてしまったのか? あなたたちは神の慈悲に包まれ、私たちを責め苦の中に放置するとは」 これに対し、敬虔な人々はこう答えます。「そう、私たちはあなたたちと一緒にいた。だが、信条や行動の点では大きくかけ離れていた。あなたたちは真理を受け入れなかった」
彼らは続けて、次のように語ります。「あなたたちは自分を欺き、常に預言者の死とイスラムの衰亡を期待していた。そして復活と預言者の導きの正しさを疑い、常に、ずっと先の願望に惑わされていた。このような状況の中で、突然、死があなたたちを襲った。悪魔もまた、神に対してあなたたちを欺いた。これらがあなたたちの道を我々と切り離し、あなたたちを滅亡させた」
アル・ハディード章の第25節は、預言者たちが遣わされた目的について述べています。
「我々は、明白な理由と奇跡と共に使徒たちを遣わし、書物とはかりを下した。人々が正義と公正に立ち上がるようにするために。また我々は鉄を下した。その中には大きな力があり、人々のための利益がある。それは神が、誰が神とその使徒を助けるかを知るようにするためである。まことに神は、失敗のない偉大な方であられる」
ここで言う書物とは、啓典のことです。またはかりとは、人間の行いをはかる基準となるもので、善と悪の基準となるのは、宗教の戒律や法です。これらの偉大な人物が遣わされた目的は、正義を実現すること、つまり、人々の間に公正を広めることです。重要なのは、人々に自ら公正を実現させ、その道を自ら歩ませるようにすることです。こうした中、社会の人々の信条や道徳のレベルがいかに高くても、反抗し、正義の実現を妨げる人々は存在します。この節は続けて、次のように語っています。「我々は鉄を下した。そこには強い力があり、人々のための利益がある」
そう、神の預言者たちの公正実現に向けた努力が最終的な目的にいたるのは、鉄という強い支えが存在するときです。鉄がなかったら、人類の生活は非常に困難なものになっていたでしょう。鉄は人間の生活において大きな役割を果たしているため、神は人間がそれを簡単に利用できるようにしています。