結婚における主体性、自立性
今回はまず、結婚における主体性、自立性についてお話することにいたしましょう。
共同生活における独立性は、全ての夫婦が望むところです。しかし、結婚後においても、親は若い夫婦に独立する許可を与えないケースが見られます。そして、若い夫婦が何かを決定する際に、年長者が干渉してしまうために、夫婦の間に溝ができてしまうことになります。
もしかすると、皆さんの配偶者は、自分の家族との付き合いを、依存した状態と見ていたり、あるいは、皆さんが、自分のパートナーの親の話は、家庭内の干渉だと感じられるかもしれません。一方、あるいは双方が自分の家族に依存しすぎることは問題を生み出し、家族としての統制がとれなくなるとともに、自分の家族との関係作りをめぐって争う事になります。
夫婦が自立していることは、社会の発展の明白な指標の1つです。自立している人は、自分の持つ能力や弱点をきちんと把握しており、この自己認識は物事の正しい決定にあたって大きな助けとなります。もっとも、自立しているということは、誰かに相談しないという意味ではありません。本当の意味での自立や独立は、私たちが他人に迎合して目標を放り出すことなく、目的達成に向けて他人に相談し、他人の意見を活用した際に実現します。
人生における成功と、自立していることとの間には大きな関係があります。自立している人は、生活上の困難に遭遇した際の自信や、問題に対処する術を身につけています。その理由は、自立している人は何かを行う際に、他人からの許可や支援を待つよりも、入念に準備を行っている事が考えられます。自立していることとは、他人の期待に沿うことではなく、新しいことにチャレンジするほうを選ぶことを意味します。
常に他人が自立を正式に認めてくれるのを待っているようでは、いつまでたっても自立する事のすばらしさを知ることはできません。他人に自分のプライバシーを守るよう求めることができるのは、まず自分の行動様式を変え、自分のプライバシーの領域を認識させ、自分もそれを守ったときです。自立を達成するには、金銭面や心理面での依存など、一部の依存をやめる必要があります。このため、他人との愛情ある関係作りや結婚の前に、本当の意味で自立していることが確信できなければなりません。
さて、ここからはイラン人家庭の特徴についてお話することにいたしましょう。
イランにおける家族の特徴の1つとして、その重要性が社会体制全体に関係していることが指摘できます。イランの人々の間では、家庭は生活の基盤であることから極めて重視され、家庭や家族の重要性はその他の社会組織以上に、イラン人の間では1つの価値観として捉えられています。
イラン全国を対象とした、社会組織の重要性を測る調査では、家庭はそのほかの社会組織と比較してはるかに重要であるとされています。(テヘラン大学社会学教授;アーザードアルマキー、2004年)しかし、一方でレジャー施設などの社会組織の一部は独自の重要性を持つものの、それは限定的であるとされています。
イラン人の家庭は、重要な存在であるとともにイスラムをはじめとする宗教に即したものとなっています。家族と宗教の結びつきは、家族関係のレベルで形成され、宗教的な行事や習慣の発生源となっているのです。
イスラムにおける家族の最も重要な特徴として、その目的性が挙げられます。イスラムの宗教的な視点では、結婚の目的は、単に本能的な身体的な欲求を満たすためのものではありません。イスラムの聖典コーラン、第2章アル・バガラ章、「雌牛」第30節によれば、人間はほかのどの創造物より優れた存在として、神から人間としての尊厳を与えられ、地上における神のそのほかの存在物の支配者とされています。
人間には、考える力があり、性的な事柄にもこの知性を活用します。このため、イスラムでは結婚の目的は性的な快楽よりもはるかに深いものとされています。
イスラムは人類に対し、現世に執着せず、すべての行動において、現世を神に近づくための手段として捉えるよう求めています。このため、宗教心のある人々が結婚する目的とは、宗教的な戒律に基づいて家庭を築くことにあります。彼らは、預言者の伝統に基づいて行動し、人格の成長や次の世代の社会的な育成のための、最も重要な拠点として家庭を捉えており、未来を担う子供たちが人間の社会の連鎖のように、人類社会の発展と健全性に最も基本的な役割を担えるようになることを目指しています。
このため、イスラムに基づくイラン人家庭は、社会的な能力があり賢明な男女による婚姻契約により、社会の最小単位となる家庭の柱を形成することになります。
イラン人家庭が宗教を持っていることは、その家庭に子供が生まれたときから明らかになります。それではここで、アリーという名のあるイラン人男性の家族を例にとってみましょう。アリー氏の夫婦は、結婚して3年になります。彼らは、イラン東部・南ホラーサーン州の出身で、最初の子供が生まれ、家庭内は活気に満ちています。アリー氏の夫婦の両親が彼らの元にやってきて、アリー氏は新生児を自分の父親に抱かせ、礼拝の前に唱える言葉を、子供の両方の耳に朗誦してもらいます。複数の伝承によれば、新生児の両耳にこの言葉を聞かせることは、宗教信仰の意味を教える事に加えて、子供の精神面での安らぎや、子供を悪魔から守ることにつながるとされています。
南ホラーサーン州では、新生児の名づけの儀式は大抵、子供が生まれて6日目の夜に行われ、子供の両親、あるいは祖父母がコーランに出てくる宗教の偉人の名前の中から、子供の名前を選びます。アリー氏と彼の妻は、あらかじめいくつかの名前を候補に選び、選んだ名前を1つずつ1枚の紙に書いて分厚いコーランのページの間に挟み、年長者に任意にコーランのページを開いてもらい、そのときに開いたページに挟んである名前を、子供の名前に選ぶという方法をとりました。
南ホラーサーン州の中心都市であるビールジャンド行政区の各地では、生まれた子供に宗教の先人たちの名前をつけることが多くなっています。子供が生まれて7日目となる日、アリー氏の家庭でも盛大な祝宴が催され、集まった人々全員が子供の誕生を祝い、その幸せと成功を祈ります。
夫婦関係を維持する方は、学ぶべき技術だといえます。今夜の締めくくりとして、この点についてお話することにいたしましょう。夫婦生活を長続きさせる秘訣は、優しさや友愛の感情、相互理解や相互尊重、互いの権利の尊重にかかっています。イスラムは、家庭環境という小さな社会が安定し、長続きするよう、夫婦のそれぞれに一連の権利と義務を定めています。それは、いずれの場合や場所においても、神が権利のあるところには義務も定めているからです。
コーランは、夫婦関係の多くの場合において、「好ましい」、「相応しい」という用語を用いています。実際に、コーランではこの言葉が合計38回にわたって使用されていますが、そのうち19回は女性に関するものです。その例として、コーラン第4章、アン・ニサーア章、「婦人」第19節には次のように述べられています。
“相応しい形で、優しい態度で彼女たちに接するがよい”
(コーランの章句;「相応しい形で、優しい態度で彼女たちに接しなさい」)
人間的な本質や知性によれば、互いの心を結びつけることができるのは愛や優しさのみとされ、夫婦は互いにこの本質的な感情を表現し、それまで以上に愛に満ちた親密な関係を築く必要があります。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは次のように述べています。
“親切にすることで、人々の心をひきつける事ができる”
この親切が、家庭の基盤となれば、どのような混乱もこうした家庭を揺るがすことはできません。イマーム・アリーは、妻であるファーティマの言動について、次のように述べています。
“私は、ファーティマの顔に視線を向けたときはいつでも、全ての悲しみが癒され、また苦痛を忘れたものだった”
次回もどうぞ、お楽しみに。