7月 28, 2018 20:25 Asia/Tokyo
  • 『バース・オブ・ネイション』と『アンクルトムの小屋』のポスター
    『バース・オブ・ネイション』と『アンクルトムの小屋』のポスター

これまでのこの番組では、黒人を扱った10本のハリウッド映画をご紹介しました。これから4回に渡り、それらを総括してまいります。

まず、西側のメディアにおける黒人の描かれ方についての分析結果を見てみましょう。「テレビ、グローバル化とアイデンティティ」という著書を記した作家のクリス・バーカー氏は、次のように語っています。「西側のメディアでは、黒人は、正しく考えたり、正しく行動したり、未来を管理したりすることができない人々として紹介されている。そのため、彼らの人格は、他の人々、特に白人によって形作られる。白人から見た黒人は、社会にとって問題となる得体の知れない人々として映っている」

 

映画研究者のドナルド・ボグル氏は、1973年に記したアメリカ映画の黒人の歴史に関する著書の中で、ハリウッド映画における黒人の人格の5つのタイプを明らかにしています。この5つのタイプは、農場や奴隷の描かれ方に根ざしたもので、従順な黒人、お調子者の黒人、美しいハーフの女性、ハウスキーパーの女性、暴力的で野蛮な男性となっています。

 

ドナルド・ボグル氏が描いた5つのタイプは、多くが伝統的なイメージの黒人の姿となっていますが、それと共に、一連の現代的なタイプも存在します。それらは、市民権の観点から、少しずつ、伝統的なタイプに取って代わってきています。

 

 

 

現代的なタイプでは、黒人、特に黒人の若者たちを、社会的な問題や犯罪と結びつける傾向が見られます。西側のメディアでは、黒人は、犯罪や暴力、麻薬などと結び付けられ、少年であっても、社会を脅かす存在として描かれています。

 

これまでのこの番組の中では、1915年のバースオブネイション、1927年のアンクルトムの小屋、1959年のピンキー、1967年の招かれざる客、1998年のアメリカン・ヒストリーX、2009年のしあわせの隠れ場所、2013年のそれでも夜は明ける、2013年の大統領の執事の涙、2013年のフルートベール駅で、2015年のヘイトフルエイトの10本の映画をご紹介しました。

 

実際、ハリウッド映画の黒人に対するアプローチは一様ではありません。ハリウッドが黒人に関して提示しているタイプは、時の経過と共に、アメリカの政治的、社会的な変化に合わせて変化してきました。黒人のイメージの中では、一部の昔からのタイプは存続しているものの、新しいタイプもそれに加わっています。

 

 

 

これまでこの番組の中でご紹介してきた10本の映画についてお話しています。

 

1915年のハリウッド映画、バースオブネイションに出てくる黒人は、多くが、粗野な人々でした。しかし、1927年のアンクルトムの小屋の主な役には、正義感の強い従順な黒人が出てきます。この映画ではまた、伝統的なタイプの黒人の女性召使いも出てきます。1947年のピンキーの主人公は、白人とのハーフですが、人種差別や性差別に抵抗します。

 

1967年の招かれざる客では、主人公の黒人は、ドナルド・ボグルの挙げた5つのタイプには含まれません。この映画に出てくる黒人の医師は、体は大きいものの、学問を収めています。1998年のアメリカンヒストリーXでは、黒人が、さまざまな犯罪と関係する現代的なタイプとして描かれていますが、そうした麻薬の常習や窃盗といった現代的なタイプとともに、そうしたイメージを打ち崩そうとする傾向も見られます。この映画の黒人教師は、ピンキーで描かれていた黒人に関するシンプルな見方を排除しようとするものです。

 

2009年のしあわせの隠れ場所では、黒人の若者の社会における新たなタイプが見られます。主人公の黒人は、体格がよくて運動神経もばつぐんですが、心が優しく、人々を助けようとする愛すべき人物です。とはいえ、メディアの一部のアナリトは、スポーツの能力に関して黒人を肯定的に描こうとするのは、ある種のあいまいさを含んでいると考えています。なぜなら、それは黒人の成功を受け入れる態度と見なされる一方で、黒人の成功はスポーツだけに限られる、という見方を広めようとするものだとも受け取れるからです。言い換えれば、黒人の成功は、知性的なものではなく、肉体的なものに限られるかのように描かれていると考えることもできます。

 

 

 

2013年のそれでも夜は明けるの主人公の黒人は、従順で冷静な黒人でありながら、独立した見方を持っています。この男性は、19世紀半ばの楽器奏者ですが、愚かな黒人ではなく、芸術家です。また、この映画に出てくる2人のハーフの黒人女性は、一人は従順ですが、もう一人は高潔な人格を有しています。

 

2013年の映画、大統領の執事の涙も、黒人の闘争の歴史に関する物語を含んでいますが、さまざまな黒人のタイプが見られます。この映画の黒人は多くが男性ですが、野蛮な人々としてではなく、立派な人物として描かれています。彼らは決して暴力的ではなく、正義と公正を追求する人々で、力と思想によって、真の自由を求めます。この映画の主人公の黒人は、伝統的な従順なタイプに近くなっていますが、社会の変化の影響を受けて考え方を変えていきます。

 

2013年のフルートベール駅でに出てくる黒人は、悪い人間としての特徴も持っていますが、麻薬の密売から手を引き、法的な職を得ようと努めます。彼は町中の衝突から逃れようとします。この映画では、野蛮な人間として描かれているのは、黒人よりもむしろ、白人の警官です。2015年のヘイトフルエイトでは、主人公の黒人は野蛮性を有していますが、賢くて力もあり、英雄のように描かれています。この映画では、ハウスキーパーの女性も出てきますが、その登場は非常に限られたものになっています。

 

 

 

黒人の個人と社会の2つの側面に関して示されてきた特徴は、さまざまな時代の映画の中で、大きな変化を遂げてきました。個人的な側面としては、黒人の特徴は白人の性質や特徴に近いものとなっていますが、社会的な側面に関しては、白人に近いものとはなっていません。

 

バースオブネイションやアンクルトムの小屋、ピンキーなどの古い作品は、多くが、無秩序で知識が少ない、というのが黒人の個人的な特徴となっていました。しかし、20世紀半ばの映画、特に後半から21世紀初めにかけての映画は、マイナスの側面が大幅に減り、黒人が肯定的に描かれるようになっています。これらの映画では、秩序があり、心が優しく、知識が豊富で論理的である、などの性質が見られます。

 

黒人の社会的な特徴や性質に関しては、それほどの変化は見られていません。バースオブネイション、アンクルトムの小屋、ピンキーでは、黒人は、法を守らない、協力しない、破壊的、役に立たない、などの特徴を持つ人々として描かれていました。

 

アメリカで黒人の市民権運動が始まったことで、黒人の描かれ方も複雑になります。この重要な社会運動の結果、黒人の社会的な側面におけるマイナスの特徴は減り、肯定的な特徴が増えています。招かれざる客、アメリカンヒストリーX、それでも夜は明ける、大統領の執事の涙では、黒人は白人と同じような第一級の市民として、文明的で協力的、安全を守る人々として描かれています。

 

ここまで見てきたように、ハリウッド映画における黒人の描かれ方は、時の経過とともに変わってきています。また、社会的にも白人に近い特徴が見られるようになっています。