結婚適齢期
今回はまず、結婚適齢期についてお話することにいたしましょう。
ある年若い少女が、自分の兄に向かって「愛ってなあに?」と尋ねました。これに対し、兄は次のように答えました。「お前は毎日、僕の学校の鞄から、僕のキャンディーを取り出している。そして、僕も毎日、また鞄にキャンディーを入れているのと同じことだ」
家庭内におけるこの愛に満ちた最高の自己献身は、夫婦間にも明白に現れており、その自己表現に現れているのは、愛する人の喜びを望むこと以外に他なりません。
結婚により、私たちは人間としての完成度を高め、心の安らぎを得られるようになります。そして、結婚における重要な要素の1つは年齢ですが、多くの人々は果たして何歳ぐらいで結婚すべきか、という疑問を抱いています。
言うまでもなく、結婚するためには本人たちが身体的、性的な成熟を遂げていることに加えて、精神的、社会的に成長している必要があります。人間は、青少年期の終わりに性的に完全に成熟し、生殖ができるようになります。そして、この時期には女子の多くが結婚について考えるようになりますが、この年齢にある男子は、まだ結婚を望んでいません。
結婚は、青少年の身体的、精神的なニーズを満たす唯一の合法的、健康的な方法とされています。しかし、幸せな結婚のためには本人の精神面や物的、社会的、生物学的な面で、必要な用意が整っている必要があります。このため、専門家らは女子の結婚適齢期として18歳から24歳、男子は24歳から28歳の間を奨励しています。
イランの社会学者バフラーム・ナヴァービーファル博士は、次のように述べています。
「夫婦の年齢差が少なければ少ないほど、夫婦生活上の問題も少なくなると考えられる。社会学的、心理学的な視点から見て、幸せな結婚における夫婦の適切な年齢差は、5歳から7歳とされている。感情が優先しての結婚では、女性が男性より5歳以上年上である。こうした結婚の多くにおいては、夫婦が財産や外見の美しさを追求しており、結婚は多くの利益の得られる取引や取り決めとみなされている」
ナヴァービーファル博士は、さらに次のように述べています。
「夫婦間の年齢差が非常に大きい結婚においては、双方が互いに冷めてしまうといった問題が生じる可能性がある。その理由は、例えば35歳の女性と25歳の男性が結婚した場合、10年後には妻が45歳となり、中年に差し掛かって体力や外見の衰え、さらには体に色々な不快症状が現れてくるからである。一方で、夫はまだ35歳であり、若年期の絶頂期にある。このときに、こうした感情に任せての結婚の結果が明白に現れ、互いに冷めてしまい、時には家庭内離婚や仮面夫婦状態に陥ったり、一部の例では別居や離婚などに至る。宗教的な根拠に基づけば、若年期の結婚適齢期にある時期に、適切な年齢差のある異性を選ぶ事が奨励されている」
それでは、ここからはイラン人家庭のそのほかの特徴についてお話することにいたしましょう。
イラン人家庭の大きな長所の1つに、子供に対する親の責任感が挙げられます。イランでは、家庭を形成する際の主要な基盤として、親が子供を惜しみなく支援し、また両親が子供の幸せや健康の確保に、大きな責任を負っている事が指摘できます。イラン人家族の見解では、子供は神が夫婦に与える恩恵とされています。また、宗教的な伝承においても、子供は恩恵の源であり、天国の花、そして信徒の愛児とみなされています。
子供に対する親の責任感は主に、正しい教育やしつけに現れます。教育への注目は、母親の胎内に子供が宿ったときに始まり、妊娠中や出生時、さらには幼児期以降も続きます。この責任感はきわめて重要であり、これについてイスラムの預言者は次のように述べています。
“あなた方1人1人が、自分の子供の教育や躾に当たれば、それはあなたの子供にとっては、神の道においてあなたの収入の半分を毎日寄付するよりも素晴らしい”
イスラムの預言者ムハンマドによれば、子供を持つ親は正しい教育により、自分の子供に最高の財産を残すことになるとされています。これについて、預言者ムハンマドは次のように述べています。
“子供にとって、正しい躾や礼法を教えられる事より素晴らしい財産はない”
現代化が進み、社会のインフラが最新鋭化する中で、子供に対する親の支援も波乱万丈の渦に巻き込まれています。過去の時代の親子関係の多くは、親や社会の趣向に合致した価値観や習慣に基づくものでしたが、それは現在では新たな形でのものに取って代わられています。
過去においては、夫婦の役割が完全に分担され、女性は子供の世話をし、男性は家庭経済を支えていました。今日では、政府の支援政策が家族どうしの依存を減らす事に大きく影響してはいるものの、すべての問題を解決できたわけではなく、また家庭にとって代わる信頼できる手段にはなりえていません。
家族間の団結が緩み、集団的な価値観が重視されなくなった背景には、過去数十年間における文化的な変容も大きく影響しています。過去においては、特に新しい家族が形成されて間もない時期や、問題が発生したときには、拡大家族が助け舟としての役割を果たしていました。しかし、今日ではもはや拡大家族の役割は大きく低下しています。しかし、イランにおいては家族は従来どおり常に、困難が生じたときの助け舟、そして子供への配慮という形式を維持しています。
イランでは、複数の統計や世論調査の結果から、依然として親が子供のために最大限に尽くすべきだとする考え方が強くなっていることがわかっており、これについては諸外国、さらには子供への支援や子供に対する責任感が低下しつつある他国の文化と、イランの社会を比較した場合、大きな違いが見られます。
イランの社会では、今なお親は子供に対する責任感を感じています。即ち、イラン人の父兄は子供にモラルや知識を身につけさせ、よりよい生活を送るためのより多くの知識や技術の習得を助ける上での責任感を感じているのです。
夫婦生活は、紆余曲折に満ちています。この人生行路に様々な障壁をもたらすものの1つが、夫婦の間に生じる一連の緊張や衝突です。もっとも、こうした緊張の発生はごく自然な事ですが、この問題において重要なことは、それにどのように対処し、夫婦間の愛情にひびが入らないようにすべきかということです。夫婦生活を愛情と優しさに満ちたものにする行動の1つとして、相互に自らの落ち度をわびるという行為があります。
当然ながら、夫婦のどちらかが誤りを犯したときにもう一方が苦しみ、不快感を抱き、愛情と爽やかさの拠点としての家庭に弊害が及ぶことになります。そして、その誤りを犯した側からの謝罪がなければ、相手の心理的状態に常に大きな傷が残ります、それは、常に自らの配偶者の誤りを見せられ、家庭内には不快感やマイナスの捉え方が先行してしまうからです。精神科医は、問題解決の方法として、「ごめんね」「すまん」といったお詫びの言葉を発するよう奨励しています。軋轢や不快感が最高潮に達したときに、この一言でその場の雰囲気が緩和された例は、数多く存在します。
幸せな生活を送っているある夫婦は、次のように述べています。
「私とパートナーとの共同生活の成功の秘訣は、実生活全般を通して、詫びるという行動を忘れなかったことです」
謝罪するという行動には、次の3つのポイントが存在します。
まず、一方が謝罪した場合、もう一方は必ずそれを受け入れるということです。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは、次のように述べています。
“最も醜悪な人々とは、他人の謝罪を受け入れず、彼らの過ちを寛大な気持ちで許さない人々である”
2つ目のポイントは、謝罪の程度が実際に起こした過ちに相当するものでなければならないということです、それより少なすぎても多すぎてもいけません。
そして、3番目のポイントは、過ちを犯さないことは謝罪よりもよいということです。これについては、イマーム・アリーも、「謝罪を必要としないことは、もっと価値がある」と述べています。また、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、次のように語っています。
「家庭とは、1つの約束事や協定のようなものである。2つのものを互いに結び付けるような自然的な現象ではなく、信用や信頼で形成されている。約束を取り交わす人がこれを守るか否かは、当事者の双方が社会や法律に敬意を払うか否かにかかわっている。若い夫婦はこの取り決めを守るよう努力する必要がある。彼らの責務は、どちらかがこれこれの好ましくない事をし、もう一方がそれを我慢したと公言することではなく、また双方が互いにこのような現象が起こるよう助長することでもない。夫のほうがシェアが多く、妻のシェアがより少ないなどとも言えない。2人で結成し、今後さらにメンバーが増えていくであろうこの集まりを維持し、この基盤を守るには、夫婦の双方が大きな役割を果たす事になる。家庭環境に緊張や取るに足らない不快感を起こすような、あらゆる因子を回避する必要がある。そして、夫婦の双方が、仲良く共存し、同調し、折り合うことを基盤にすえるべきである。家庭によいものをもたらすのは、夫婦両名のものであり、最終的にはその子供たちのものとなり、夫婦いずれかのものではない。もし万が一、家庭内に優しさがなくなり、信頼や親密感が欠如している場合、夫婦の双方が苦しむことになる」
次回もどうぞ、お楽しみに。