12月 16, 2018 16:59 Asia/Tokyo
  • コーラン第112章アル・イフラース章純正
    コーラン第112章アル・イフラース章純正

もし神が唯一であるのなら、なぜコーランの中で「私たちは○○した」や、「我々は○○する」といった表現がなされているのでしょうか?

神は唯一であられますが、コーランの中で御自身について語られる際に”我ら”や”我々”といった一人称複数形の代名詞をお使いになるのはなぜなのでしょうか?

神は唯一であるけれども、御自身について語られる際に一人称複数形の代名詞をお使いになるのは何故なのでしょうか?

A:コーラン解釈者たちはこの質問に2つの回答を出しています。この2つの回答を簡単に説明しましょう。

イ)私たちという単語を使用することの意味は、それによって“神の御力と偉大さ“を示すためです。

つまり、世界の王や権力者たちが自分自身について語るときに、“我々”などというのと同様の意味でつかわれているのです。世界の真の王であり、類似するもののない唯一なる権力者であられる神は、御自身を語られるとき複数形の代名詞をお使いになります。

ロ)神は、御自身の事(命)をかれの兵士とも言える天使たちによって遂行なさいます。これらの理由から「我々は○○した」や、「我々は○○する」といった表現が使われているのです。

つまり、「我は我が天使たちを遣わすことによって○○した。または、○○する。」という意味で使用されています。

http://ja.abna24.comより

 

ラジオ日本語のフェイスブックやユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。

https://www.facebook.com/ParsTodayJapanese

http://youtube.com/channel/UCXfX6KY7mZURIhUWKnKmrEQ

https://twitter.com/parstodayj

https://www.instagram.com/parstodayjapanese/