ナーセル・ホスロー(6)
ナーセル・ホスローは、シーア派の一派、イスマーイール派への傾向を持っていたことから、宮廷生活を辞去し、イスマーイール派の信仰の普及のために人生の時間を費やしました。ナーセル・ホスローは死ぬまでの15年間を、貴重な作品の著述に使いました。これらの作品の多くは、現在にまで残されており、前回までの番組でお話して来ました。彼の散文形式、韻文形式の作品は、思想の点からも、文学的な形式の点からも、他には見られない特性を有しています。
ナーセル・ホスローはペルシャ語の優れた作家で詩人であり、哲学を持ち、彼の全ての作品はペルシャ語の文学と文化における宝とみなされています。彼は神を認識し、宗教を持つ中で揺るがず、彼の高潔さ、高い志、栄誉ある人格、言葉の明瞭さなど、彼の性質はその記述の全体において明らかです。
ナーセル・ホスローは高潔で、喜びに満ちた謙虚な人物でした。彼は生涯において様々な困難に耐え、目的の到達に執着しました。彼は道徳的腐敗や嘘、賄賂などのない清らかな社会を求めており、そのような社会は宗教と知性が支配する社会以外にありえないと考えていました。ナーセル・ホスローは自身の詩の中でコーランを引用しています。
ナーセル・ホスローの文体は彼特有のもので、ホラーサーン様式として有名な様式の優れた、最も基本的な見本とすることが出来ます。このホラーサーン様式はルーダキー、フェルドゥースィー、オンスリーなどの詩人はこの様式で有名です。にもかかわらず、ナーセル・ホスローの文体は、当時広く行われていた記述様式からかけ離れており、当時の人々のものとは一致していませんでした。これは、ナーセル・ホスローにとって詩とは宗教的信仰や哲学を伝える手段であり、忠告や助言を含んでいたという理由によります。ナーセル・ホスローが空や春、秋を描写し、その中で新たな表現を行った場合、たいていの場合、助言や、知性・学問に対する賞賛という、別の意図があります。
ナーセル・ホスローの詩は長く力強く、まとまっていて壮麗さがあります。彼自身は責任感があり知的で、自由な思想をもっていながらも、空想や詩人的なインスピレーションが備わっています。現存する彼の作品には、為政者に対する賞賛は見られません。もし、賞賛しても、自分から見て創造物を導くために神から選ばれたと思われる人間を賞賛しています。
ナーセル・ホスローの詩の響きは恭しく重厚で、威厳に満ちています。彼は多くの困難の中で、その才覚を試され、自分の詩のために調和した響きを選ぶ上で、驚くべき推敲を行っており、この推敲は、彼の詩の中に見られます。彼は自然に関して心を動かす表現によりはじめ、不満の表明や忠告、説教、宗教的見解や哲学的な内容などで終わるという自分のスタイルの詩に、心を打つ音の響きを選んでいます。
ナーセル・ホスローの使っている言葉は清らかで、純粋なダリー語の単語が数多く見られ、これをよい形で組み合わせています。彼の語り口調は、彼の知識の広さ、思想の深さ、秩序ある思考を物語っています。内容を語る中で、豊かで確かな言葉を選ぶナーセル・ホスローの注意力は、例外的なものです。当時、ペルシャ語はまだ、造語や同意語を多用していなかった中で、彼はこの分野、特にペルシャ語の詩に特別な地位を与え、このために彼の作品は優れた文学作品とされているのです。多くの単語は彼の思想や知性の中に存在し、彼はそれらの語彙を緻密な思考により巧みに並べ、このような深い思想により、訓示的に語っており、それはしばしば奇跡のようだとされています。このため、ナーセル・ホスローの作品の一部は、ペルシャ語詩におけるもっとも有名な作品とされているのです。
ナーセル・ホスローの作品の問題点とは、彼が学問や知性に対する傾向を持っていながら、信仰に根ざしている全ての人のように、その純粋な性質により、思想と言葉に矛盾が存在している、という点です。体制や王に対する肯定的な見方や賞賛は、彼のような自由で開明的な人物に期待されている程度を越えています。彼はファーティマ朝に対する信仰の中で、偏りに陥っており、このため、他の人々に警戒されていました。
ナーセル・ホスローの詩は、威厳があるものの、問題があり、その最も重要なものは、長い繰り返しの内容です。繰り返しは、釘を打つように内容を読者の頭の中に植えつけたい、という意図により行われていますが、文が長いのは、詩の中で論理的な説明を行っているためです。
しかし、内容の点から、ナーセル・ホスローの韻文作品において抒情詩や頌詩は見られず、彼の詩の中にあるものは、表現描写、説教、議論、批判である、というべきでしょう。ナーセル・ホスローは詩の中で、自分が受容した哲学や道徳の結論を、読者の中に浸透させようとしていたのです。ナーセル・ホスローの詩に抒情詩がないのは、彼が宗教的な強い傾向、特にイスマーイール派への傾向があったからです。彼は「ホラーサーンの師」として、自制を自分のスタイルとして確立し、酒や愛する対象といった内容を詠わず、笑うといったことも醜いとしていました。文芸評論家は、彼の詩に頌詩が存在しないことは、彼の創作におけるすばらしい美徳だとしています。彼は頌詩を嫌い、王や総督に飽き飽きしていました。彼の詩の中には、王や総督を批判する句が数多く見られ、このため、彼はおそらく、為政者を糾弾する唯一の詩人といえるでしょう。
この種類の内容は、ナーセル・ホスローの革命志向を示しており、当時のほとんどの詩人にこのような偉大さは備わっていませんでした。しかしナーセル・ホスローの説教の根本は、現代的な進歩的世界観によるものです。そのうちの肯定的なものには、理性や知識に魅了された人を賞賛し、否定的なものには、現世や肉体に対する禁欲的な批判があります。知性や理性を賞賛し、それらを現世での実生活や命、肉体を装飾する手段とする必要がありますが、ナーセル・ホスローは知性と理性を来世における唯一の資本、そして救済の源だとし、現世と身体に関しては禁欲的な見解を繰り返しています。
ナーセル・ホスローの為政者に対する非難、嘘をつくイスラム法学者への批判、学問や知性に対する賞賛、迷信への不信、正義への関心、抑圧への嫌悪、自然の美に対する愛、これらにより文芸評論家は、ナーセル・ホスローの文学作品を、ペルシャ語における人道的、革新的な傑作と評価しています。また、ナーセル・ホスローの世界観は、当時の思想の形式の影響を受けているとされています。この世界観においては理性とは真実を理解し、それに反対する全ての争いを否定する手段となります。イスマーイール派はカリフ制の反対派をひきつけるために、ギリシャ哲学とムウタズィラ派の支持者と自称していました。
イスマーイール派の世界観は、全体的にアラブ人の支配者に対するイランの人々の抵抗精神を反映しており、トルコ人の為政者や、カリフと結びついているイラン人の貴人に反対する、中間階層や下層階級による、特定な形での運動でした。この宗教的なイデオロギーは、実際大規模な抵抗思想の一種であり、イラン高原の人々は、外国の覇権に対する反対を示していました。このため、イスマーイール派はイスラム暦3世紀からイランで大々的に拡大し、ナーセル・ホスローのような開明的な人々をひきつけた秘密は、抵抗と理性に基づいた動きにおける思想的潮流にあるとされたのです。
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