1月 19, 2020 18:46 Asia/Tokyo
  • ナジーリー・ネイシャーブーリーの詩集
    ナジーリー・ネイシャーブーリーの詩集

今回も、前回に続き、16世紀後半から17世紀にかけてのイランの詩人、ナジーリー・ネイシャーブーリーについてお話しすることにしましょう。

ナジーリーは歴史的な詩の形式を創設した人物とされており、当時、あるいは後世の詩に深い影響を与えました。ナジーリーは当時の最も民衆的な詩人として知られ、詩の中で、人々の日常的な話言葉を使っていました。

ナジーリーはイラン北東部、ホラーサーン地方のネイシャーブールで生まれ、そこで初等教育を受け、大変若い頃から、ホラーサーン地方を越えて彼の名声は響いていました。

ナジーリーは大変若い頃、詩の才能を試すためにイラン中部のカーシャーンに赴き、詩の集まりに参加し、そこでも名声を得ました。その後イラクに行き、その地の詩人の中でも有名になり、最終的によりよい安全な生活のために、インドに渡りました。ナジーリーはインド北部のアグラに行き、ムガル朝の総督、アブドルラヒーム・ハーンの関心を得ることに成功しました。

アブドルラヒーム・ハーンはナジーリーを側近として迎え入れました。アブドルラヒーム・ハーンの宮廷で、ナジーリーは莫大な富を手に入れましたが、それらすべてはイラン人の移民、とくに詩人や芸術家のために費やされました。ナジーリーは1612年、インド西部のグジャラートで死去し、そこに埋葬されました。

今夜は前回の続きとして、健全な言葉、生きた話し言葉の活用など、ナジーリーの詩の特徴の一部についてお話しすることにしましょう。

ナジーリーの詩の特徴のひとつに、詩の厳格な枠組みから外れていることにあります。ペルシャ語詩の能力を試す重要なもののひとつは、詩人が厳格な枠から逸脱することにあるといえるでしょう。

このような詩では通常、最初の2,3の対句で、詩人は自身の詩のあらすじを提示しますが、叙情詩の中には、詩のはじめに関係のない句が出ることもあり、その理由はただ、詩人が選んだ韻律の複雑さにあります。ペルシャ語詩において、これは、多くの詩人が直面している問題です。これによって、最初のいくつかの対句は、記憶に残ることになります。

一部の詩人は、この難しさを回避するため、詩を短くしていました。例えば、サファヴィー朝時代、5つの対句による5行詩がはやっていました。しばしば、その詩には難しくなります。つまり、この5行詩において、詩に詳しい読み手が、内容説明のために適切な韻律を見出すことはできないのではと考えるような内容が扱われています。この問題は、インド様式の詩においてよく見られます。この種の詩はたいてい、意図する内容を伝えるために、ペルシャ語の構造を変え、これにより、詩の言葉を崩しています。

ナジーリーは、韻律においても、内容の点においても、詩の枠からはみ出すことにおいての巨匠とみなされています。しばしば、ナジーリーの叙情詩のはじめの句や、彼が使っている韻律を読んだり、聞いたりすると、読者は、短い詩だろうと考えるのですが、ナジーリーは、その完全な技術により、自身の意図するところを数十行にわたり示しています。

ナジーリーの詩集において、響きや言葉、説明において適切でない句はほとんど見かけません。文芸評論家によれば、彼の詩における技術や、言葉の使い方は、ペルシャ語の構造において、修正せざるをえないところはまったくないほど、高いものです。かれは意図する内容を完全に調和する形で韻と絡め、また健全な言葉と適切な表現により、独特の親しみを持たせています。

イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送ラジオ日本語よりお届けしています。今夜は、16世紀後半の詩人、ナジーリー・ネイシャーブーリーの詩の特長についてお話しています。

そのほかのナジーリーの特性には、彼が包括的な詩人であることがあり、その特性は最近のペルシャ語詩ではほとんど見られません。14世紀にハーフェズが現れるまでは、ペルシャ語詩は、包括的な詩人とされる偉大な詩人によるものでした。つまり、ルーダキー、サナーイー、サアディーのような多くの、あるいはすべての詩のジャンルや散文においてもすばらしい作品を残した詩人です。

しかし、ペルシャ語詩の研究者によれば、ハーフェズの出現により、包括的な詩人の時代は終わったということです。叙情詩におけるハーフェズの形式が成功したことで、多くの詩人が、彼以後、ハーフェズの叙情詩における成功を繰り返すために、抒情詩を詠むようになりました。ハーフェズ以後の詩人の意識が叙情詩に向いたことで、この分野で成果がなかっただけでなく、ペルシャ語詩人が包括的な特性を失うことになりました。

ハーフェズ以降の詩人の一人とされるジャーミーは、すべての種類の言葉において才能を発揮した詩人の一人ですが、彼の包括性は、様々なジャンルを確立したことにのみにあります。加えて、ジャーミーは、着手したいずれの分野においても、サナーイーやサアディーのように、完全の域に達することはできませんでした。それ以後も、ペルシャ語詩における真の包括性は影を潜めてしまっています。

一方、ナジーリーは、包括的な詩人としてのありようを示しています。ナジーリーは「叙情詩におけるグリーンターコイズ」と呼ばれていますが、かれはほかの分野においても高いレベルの成功を収めています。彼の有名な複合詩は、サアディーの複合詩についで成功した例だとされています。

ハーフェズを含めた叙情詩の専門家は、たいてい頌詩も詠んでいます。とはいえ、常にこの種の詩人の頌詩を見ると、こういった詩人は抒情詩を詠んでいるものの、頌詩に関してはそれほど期待できないといえます。しかし、ナジーリーは頌詩においても、親しみある、健全な言葉により、抒情詩と同じくらいの成功を収めています。

 

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