コーラン第20章アル・アンビヤー章預言者(3)
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聖典コーラン
アル・アンビヤー章の第87節と88節は、預言者ユーヌスの人生について語っています。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
前回の番組でもお話したように、この章では、神の預言者16人の名前が、その状態、あるいは姿形のみで挙げられています。
アル・アンビヤー章の第87節と88節は、預言者ユーヌスの人生について語っています。ユーヌスは長年に渡り、人々を唯一神への崇拝にいざないましたが、彼に信仰を寄せたのは、わずかな数の人々のみでした。彼ユーヌスは怒り、自分の民を呪い、彼らのもとを離れます。しかし、神はユーヌスが自分の任務を怠ったため、彼に困難を味わわせました。ユーヌスが船に乗ったとき、その船は大きな鯨に襲われてしまいました。そして船の持ち主は、船に乗っている誰かを海に投げ落とし、その鯨に彼を追わせて、船を助けようとしました。彼らはくじ引きをします。そしてくじを当てたのはユーヌスでした。彼は海に投げ落とされ、鯨に飲み込まれてしまいます。しかし、神の意志により、彼は鯨の腹の中にそのまま留まります。ユーヌスは、狭くて暗い魚の腹の中で、自分が任務の遂行において忍耐強くはなかったことを認め、神に赦しを願います。こうして慈悲深い神はユーヌスを赦し、魚の腹の中から救い出します。
アル・アンビヤー章第105節には次のようにあります。
「まことに我々はユダヤ教の聖典の後、詩篇の中にこう記した。『地上は私のふさわしい僕たちが継ぐ』」
この節は、正義は必ず悪に勝利するという神の最も明らかな約束に触れ、ふさわしい善良な人々が、地上の支配者となると知らせています。これは、コーランの科学的な奇跡の一つであり、未来の予言と見なされます。では、この節で言う「ふさわしい僕たち」とは、一体、どのような人々のことを言うのでしょうか?

コーランでは、善良な人、ふさわしい人とは、独自の特徴を持った人々のことを指しています。彼らは、行動や敬虔さ、知識や見識、社会的な秩序や理解など、様々な点から相応しい人々です。神を信じる僕たちが、努力によってこの特徴を身につけたとき、神は彼らを助けてくださいます。それにより、善良で相応しい人々は、高慢な人々による統治を倒し、地上の後継者となることができるのです。
とはいえ、理不尽で圧制的な為政者に慣れてしまった多くの人は、こうした統治の存在が、創造世界の法則に反したものであること、創造の秩序に調和しているのは、善良な神の僕による統治であることを信じないかもしれません。それを説明するために忘れてはならないのは、創造における一般的な秩序の存在は、創造世界の一体化と結びつきを示すものだということです。例えば、多くの学者が、科学的な道具を利用して、月と地球の動きを注意深く観察し、人間が宇宙を旅できるようにします。少し考えれば、学者がそれをするのが可能なのは、実際、惑星や太陽系に綿密な秩序があるおかげだということが分かります。なぜなら、もしこれらの惑星が、たとえ短い期間でも、その決まった動きから離れてしまえば、全ての科学的な計算は崩れてしまうからです。その場合、宇宙を旅する人々が、どのような結末になるかは明らかではありません。
惑星の世界から、小さな世界へと移動しましょう。ここでは特に、生き物の状況を見る上で、秩序は不思議な意味を見出し、そこにいかなる混乱も見られません。例えば、人間の脳細胞の一部が破壊されたり、その秩序が崩れたりするだけで、人間の生活の秩序は大きく破壊されます。脳や心臓、目や耳、口など、人間の体の複雑な構造を見れば、それら全てが、一定の秩序や法則にしたがっていることが分かるはずです。
世界の全ての部分には、公正で正確な秩序や法則が見られますが、人類社会は、そのような状況の例外でありうるのでしょうか?世界の状況を見たとき、私たちは、人類もまた、創造世界の秩序に対して頭を垂れ、その一定の公正な法則を受け入れ、この壮大な世界と調和すべきだと考えたりはしないのでしょうか?
明らかに、人類社会は、公正で正しい秩序や法則に従わなければなりません。人類は自らの存続を望んでおり、そのために努力していますが、現在の道を続ければ、人類の消滅につながることを忘れてはなりません。知識が高まれば高まるほど、人間は、創造世界の秩序に立ち返り、それに調和することで、自らの崇高な目標を達成する必要があることを悟るでしょう。言い換えれば、創造の秩序やそれを支配する公正な法則は、それ自体が、人類がその道を続ける上で、最終的には、正しく公正な秩序を受け入れることを示しています。そのことは、アル・アンビヤー章の第105節や、世界の終わりの偉大な救世主の出現に関する伝承から、理解することができるでしょう。
アル・アンビヤー章の第107節には次のようにあります。
「[預言者よ、]我々は、世界の人々のための慈悲の源となるように汝を遣わした」
神が、預言者たちへの自らの無限の慈悲について述べた後、この節は、イスラムの預言者ムハンマドの存在に触れ、彼の祝福に満ちた存在は、あらゆる時代の全ての人々への慈悲であるとし、預言者に向かって次のように語っています。「世界の人々は、敬虔な人間から不信心者まで、全てが汝の慈悲に負っている。なぜなら、汝が人類社会に広めた教えは、全ての人を救うものであるからだ」
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