家庭における誠意ある対応
家庭における誠意ある対応の1つは、夫が妻に敬意を払い、侮辱しないことが挙げられます。
夫は、妻も夫と同様に人間であるということに注目する必要があります。妻にも、人間としての自由や権利、希望や要求があります。夫は、結婚することとは召使を連れてくることではなく、生活を共にする相手を選び、支援者を得ることだと考えるべきです。このため、夫は妻の内面的な要求や希望にも注目すべきなのです。妻も、夫と同じように敬愛され、自分のアイデンティティを維持することを望んでおり、侮辱されたり、貶められたりすることに嫌悪感を感じます。配偶者に敬意を払うことで、家庭と相手を愛するようになります。妻を大切にし、その権利を尊重することは、愛情や誠意を証明します。
さらに、家族の絆を強める、夫の適切な行動のもうひとつとして、誠実さが指摘できます。夫は、妻に対する隠し事や誠実さに欠ける全ての行動を慎むべきです。夫婦は互いに誠実でなければなりません。この場合、生活が喜びあふれるものとなり、幸福をもたらすのです。
夫による適切な振る舞いのもう1つの例として、常に丁寧な言葉で妻に語りかけることが挙げられます。例えば、他人の前で妻に不適切な冗談を言ったりすることは、妻に対する礼儀を欠いた行動とみなされる可能性があり、家族関係や子供に大きな悪影響を及ぼします。家庭内で母親が侮辱されれば、母親は子供の教育に効果的な役割を果たすことはできません。夫は、妻に敬意を払うことで自分も妻から尊敬され、このことにより愛情や親密さが日ごとに強まっていくことを知っておくべきなのです。
シーア派6代目イマーム・サーデグは、自分の父親について次のように述べています。エ;“妻を娶った者は誰でも、妻を敬愛すべきである” さらに、イスラムの預言者ムハンマドも、次のように述べています。 “偉人たちは、妻を大切にしており、卑しい下劣な人々は妻を侮辱する”
夫のもう1つの義務は、妻と子供の経済、生命、名誉の安全を守るようつとめることです。イランの民法では、夫が妻の生命の安全を守らない場合には、妻は夫と暮らす家を退去できるとされています。神は、男性に妻を保護する責務を課しています。もっとも、男性が一家の長であることは、女性の経済的な独立を否定するものではありません。イスラム法では、女性も男性と同様に民法上の全ての権利を有しており、所有権に関して、独立し、自由に行動する権利を有しています。妻はまた、夫の同意なしに、結婚前から所有していた、あるいは結婚後に自分のものになった財産を利用する権利があります。
シーア派の先人たちの伝承においても、妻に対する夫の愛情は大変に賞賛されており、愛情のなさについて、強く非難されています。夫には自分の妻に対する責任があるものの、これは妻の行動を詮索したり、邪推するという意味ではありません。家庭の基盤は、相互の信頼の上に成立しており、配偶者に対する邪推は、相手を苦しめるとともに、家族関係を揺るがすことになります。
時には、相手に対する異常な執着や邪推などにより、妻あるいは夫が相手に対し無闇に神経を尖らせることがあります。その場合、互いに相手を完全に自分のものにしたい、あるいは必要以上に世話を焼きすぎるあまり、相手を疑い、必要以上に厳しく束縛したりするという行為に出ます、このような過剰な管理は、相手が抑制なく反倫理的に行動したい気持ちを生み出すことになります。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは、自分の息子である2代目イマーム・ハサンに対し、次のように述べています。
“異常な執着心を抱かないようにするがよい。なぜなら、そのような過剰な依存は、正しい行動をしている妻を心の病気にかかった人とみなし、清らかな者を邪推するものであるから”