12月 06, 2016 20:54 Asia/Tokyo
  • 啓示 

これまでの番組では、人間を導くために神が預言者を遣わした理由についてお話しました。

これまでの番組では、人間が多くの未知の出来事や困難が存在する道を進む上で、人間の思考だけでは十分でないことをお話しました。これに関して人類の法規には不足や欠陥があるとしました。これらの法規は、人間のニーズのすべてを含むことはできず、必要なレベルで働かず、保証もありません。それゆえ、法を制定する最良のよりどころは全知全能の神であり、無限の知識を有する神こそが人間を創造し、人間のすべての可能性を知り、人間のニーズを満たすことができるのです。

 

一方で、無限の知識を持つ神はどのようにして制限のある創造物と関係を確立しているのでしょうか?これに関して神は預言者を遣わし、彼らによって、完全で崇高な教えを人間に伝えています。人々は歴史の様々な段階において、偉大な人物が、人類の思考を超えた導きを持って、人々の元にやって来て、人間を唯一神信仰に呼びかけているのを目にしてきました。彼らは人類の力を超えた奇跡を伴い、目に見えない世界との関係を明らかにします。

 

今回の番組では啓示についてお話します。それでは最後までお楽しみください。

 

啓示の問題は預言者の議論において重要な問題です。知性は人生を運営する上で重要で必要なものですが、幸福に至るために、知性と共に啓示も必要です。言い換えれば、人間の幸福は、知性と啓示の利用にかかっています。啓示は預言者の呼びかけと託宣に基づいています。預言者は人類の真の教師であり、啓示を受け取るのは彼らの特権です。啓示は実際、人間にとって見えない世界に向かう小窓を開くものです。

 

ご存知のように、知性は人間が物事を知るための手段とみなされています。人間は目によって物を見、耳によって音を聞き、感覚によって物事を理解します。人間は五感で物を理解し、人間の思考や理性によって生み出される論証の助けにより、知識を手にします。この他にも、人間には本能、あるいは良心と呼ばれるものを有しており、その範疇はときに物質的、精神的な物を含みます。本能は人間が内から聞く声です。例えばすべての人間が空腹やのどの渇きを感じるように、親孝行はよいことで、約束を破ったり裏切ったりすることを悪いことだと理解しています。

 

こうした理解は、つまり感覚的、理性的、良心や本能的な理解であり、すべての人間に共通するものです。こうした中、ときに一部の人は他の人が届かないような洞察力や理解力を手にすることがあります。彼らは啓示の光により、人間の知識とは異なった価値ある有効な教えを知ります。こうした理解は彼らの思考的、感覚的な努力によるものではなく、本能もそれに影響することはありません。それは神がある人間にもたらす特別な見識であり、彼はそれを確かに見出すのです。

 

このことから、啓示は預言者個人が通常の方法を用いることなく得た確かな知識であり、実際それらには一切の疑いがありません。預言者もまた得た真理を人々に伝え、彼らの導きと啓蒙に努めます。

 

このように啓示は表面的な感覚を覆っている一種の理解力で特別なものであり、自然や物質の分析の枠内にはとどまらず、神の意志によってのみ形成されるものです。それは見えない世界であることから、我々はその真理を理解することはないでしょう。というのも啓示は、我々がその存在を完全に信じているとはいえ、我々が知っている理解や関係を超えたものであるからです。ここで預言者もまたメッセージを神から受け取る役割を果たしています。

 

明らかに、預言者はこうした地位に到達するために、欲望の浄化、内面の清らかさや誠実さとった相応しい性質を有しており、彼らの心は曇りのない鏡のように、天のメッセージを受け取り、人々に反映させます。コーランには次のようにあります。

 

「神と話す人間は作っていない。啓示によって、あるいは幕の裏から、あるいは(天使のような)使者を送る以外は。それゆえ彼の許しにより、啓示を下そうとするなら、まことに彼は高位にあり英知あるお方である」

 

この節は預言者と神がどのようにして関係を持ったかを説明しています。まず初めにこのように述べています。神は神と話す人間を作らない。なぜなら神は肉体的な特徴から免れているからだとしています。そしてその後、3つの啓示を下す道が指摘されています。

 

まず一つ目に啓示は預言者の心に下されます。多くの預言者にこうした方法で啓示が下ります。預言者ヌーフについて、「我々は、我々の御前で、我々の命令に従って船を作れという啓示をヌーフに下した」と言われています。二つ目は、ベールの彼方から神の言葉を聞くという啓示の下され方です。ムーサーはトゥールの山で神と会話をし、答えを聞き、神を目にすることはありませんでした。なぜなら世界の神には目に見える肉体はないからです。三つ目に、啓示は神のメッセージを人間に伝える天使によって下されます。神の天使ジブライールがイスラムの預言者に啓示を下していたように。とはいえ神が人間にメッセージを与え、こうした偉大な生命を創造した神の恩恵を受けているのは人類の名誉の源です。

 

この原則は預言者たちに関してですが、人類の最も崇高な教師であるイスラムの預言者に関して、啓示の他の形も提示されています。例えば、時に神の天使は人間の姿になり、預言者に話しかけていました。またときに預言者の耳に警鐘を鳴らすなどの啓示を下していました。さらに天使ジブライールは神が創造した形で預言者の前に姿を現していました。これは預言者の生涯において2度だけ起こりました。

 

コーラン第26章シュアラー章詩人たち 192節から194節では、啓示の下される場所について指摘されており、その場所とは預言者の清らかな心です。

「本当にこれ(コーラン)は世界の神が下したもの。ジブライールはそれをあなたの心に下し、警告者となるようにした」

 

この節はコーランの偉大さと神の言葉の真実について述べています。コーランは神から下されたもので、人間が聞いたり、考えたりして作ったものではありません。コーランにおいて過去の預言者たちの人生は、正確に偽りの伝説から離れた形で、文盲の人であったイスラムの預言者によって語られました。これ自体この書物が世界の神から下され、奇跡のしるしであることの明らかな証明です。この節に関して重要な点は、啓示を下したのは、生命を創造し、それを運営する神であるということです。言い換えれば神の法規は創造のシステムに調和しているのです。

 

コーランはこのように述べています。

「それを神の天使は持ってきた。このためこのように清らかで輝き、誤りや逸脱からまぬかれているのである」

 

興味深いのはこの節で、神は啓示が下される場所を預言者の心の中だとしていることです。実際啓示は高いところから預言者の心に下され、通常の知る方法はそれに関与することはないということです。続けて、神の天使はコーランを預言者の心に下し、それによって預言者が人々に警告を与えることができるようにした、とされています。啓示が下される目的は、唯一神信仰からの逸脱による危険性を知らせることです。その目的は知性の宝庫を目覚めさせ、人間の中に責任感を生じさせ、彼らを教育し、成長させることなのです。