12月 21, 2016 20:27 Asia/Tokyo
  • 鉱物資源と鉱業品
    鉱物資源と鉱業品

今回は、イランの鉱物資源についてお話いたしましょう。

イランは世界の造山帯、つまり山が作られる場所に位置しています。さまざまな現象により、この地域は貴重な鉱物資源が形成されることになりました。

 

専門家は、イランには世界の鉱物資源の7%が埋蔵されているとしています。これらの資源は、イラン全域、特に北西部の東アーザルバイジャーン州から南東部のスィースターン・バルーチェスターン州に広がっています。

 

イランには、豊かな石油・天然ガス資源とともに、銅、鉄、亜鉛、鉛、石炭、ウラニウム、マグネシウム、チタニウム、石灰、塩、その他、金や銀、トルコ石などの鉱物資源が存在します。これまでの調査により、イランは鉄、鉛や亜鉛、銅や金のベルト地帯に位置することが分かっています。世界のほぼすべての鉱物資源が、ケルマーン、ヤズド、イスファハーン、東アーザルバイジャーン、ホラーサーンラザヴィー、マルキャズィーといった州に存在しています。

 

サルチェシュメの銅

 

鉱物資源は、多くの産業に必要な原料を確保するものとして、国家の歳入やGDPの増加、雇用の創出、産業の自給自足の拡大において、決定的な役割を果たしています。人類の生活に根本的な変化をもたらす上で鉱物が果たす役割は、現代に限られません。歴史を通して、鉱物資源は人々の生活に大きな役割を果たしてきました。青銅器時代や鉄器時代など、これらの名前で呼ばれる時代もあるほどです。

 

考古学者は、鉱物資源の発見、採掘、加工が始まったのは古代のことだとしています。一部の研究者は、エジプト、バビロニア、インダス、アムダリヤの古代文明の人々が、初めて、金属を融解するのに成功したと考えていますが、過去から残っている遺物から、最初にそれに成功したのは、イラン人だとする説もあります。

 

古代の溶鉱炉や、イランの西から南に延びるザグロス山脈やイラン北部のアルボルズ山脈のすその、ヤズドやケルマーン、ゴム、カーシャーンなどのイランの砂漠地帯、バルーチェスターンの山々のすそのなどに残る火成岩や金属を含んだ鉱さい、つまり金属を分離させた後の残りかすの存在は、古代のイラン人が、鉱物資源から金属を手に入れる技術を有していたことを示しています。ケルマーンで発見された鉱石のサンプルは、およそ6000年の歴史を有しており、カーシャーンのシアルクで発見された金属を融解した痕跡は、紀元前数千年ごろにイラン人が銅をはじめとする金属を融解する技術を知っていたことを示しています。

 

アメリカの著作家、ウィル・ドゥラントは、文明史に関する著書の中で、イランの文明は、エジプトの文明よりもはるかに進歩していたとし、紀元前3000年期のアーリア人のイランへの移住に触れ、次のように記しています。「アーリア人は、金属に精通していた。そのため、イランにたどり着いた後にそこに定住するようになった。なぜなら彼らが居住地として選んだ山々には、銅や鉄、亜鉛や金銀、大理石などが存在していたからだ」

 

紀元前3000年期の初めから、シュメール人、バビロニア人、エラム人の統治時代の記述には、イラン人の進歩の様子が記されています。紀元前3000年期の前半に、商業や工業の点で多くの繁栄を遂げた地域に、ケルマーン州の古代都市で6000年の歴史を持つ、シャフダードがあります。この地域では、陶器、石の彫刻、金属細工が行われていました。

 

シャフダードは、1967年まで考古学者に注目されていませんでした。なぜなら、ルート砂漠に古代文明が存在していたとは考えられていなかったからです。この年、テヘラン大学の地理研究所の団体が、ルート砂漠とその周辺地域の地理的な状況を調査するためにこの地域に入りました。この調査団は、その調査の中で、いくつかの陶器を発見しました。考古学調査によって、シャフダードが、エラム帝国の自治州のひとつの中心地だったことが明らかになりました。

 

考古学者は、発掘調査の中で、この町の作業場で生産されていたメノウやラピスラズリ、トルコ石など、さまざまな貴重な石を発見しました。世界最古の青銅製の旗は、この地域のもので、現在、イラン考古学博物館に保管されています。この地域では、溶鉱炉が発見され、これはシャフダードが産業都市であったことを示しています。

 

イランの一部の地域の昔の名前は、数千年前にイラン人がこれらの地域における鉱物資源の存在を知り、それらを利用していたことを示しています。例えば、イラン西部コルデスターン州マリーヴァ―ン市のアーサンアーバードという名前は、アーサンが、クルド語で、鉄を意味します。また、セムナーン州のダームガーン市にあるクーヘザルのザルは金を意味し、現在、この地域では金の採掘が進められています。

 

古代イランで鉱物資源がどのように発見されていたかについては、それほど多くの情報がありません。イランの古代の鉱物資源を採掘するためのトンネルや窪みは、かつて、鉱物資源の採掘が、非常に注意深く行われていたことを示しています。

 

イランにおける鉱物資源の採掘は、1939年から科学的な方法によって開始されました。今日、イランには数千種類の鉱物が存在し、産業部門に必要な原料を確保するうえで、世界で最も豊かな地域とされています。イラン南東部のケルマーンに位置するサルチェシュメの銅や、イラン中部ヤズド州のチャードルマル―の鉄は、鉱物の純度の点で、世界的な名声を博しています。イランは非石油製品の60種類以上の鉱物を有しており、その価値は7000億ドルを超えています。

 

 

イランの非石油製品の輸出に鉱業品が占める割合は、直接で30から35%ですが、イラン経済に鉱業が間接的に及ぼす影響は、商業や工業をはるかに超えています。鉱物は、鉄鋼業やセメント業など、利潤の多い産業の原料を確保するものとなっています。

 

さらに、21世紀の最も経済的な金属産業である銅産業は、主に、電気や通信、建築、自動車といった産業に利用されています。

 

鉱物資源の発見と、国家の鉱物産業の向上には2つの目標があります。その中で、関係者は、投資の拡大、インフラの整備、技術の進歩などにより、イランに存在するこの財産を最大限に利用しようとしています。