鉱物資源・銅
イランは世界の銅のベルト地帯に位置し、世界の埋蔵量の3%以上を占めていることが分かっています。
考古学者は、銅は人間が発見した最初の金属のひとつだとしています。数千年前、人類は銅から道具や硬貨、剣などの武器や装飾品を作る方法を学びました。銅の発見により、人類の歴史において新たな時代が始まったのです。
人類が最初に銅を利用するようになった歴史や場所については正確な情報がありません。しかし、エジプトのピラミッドで配管システムが発見されたことは、古代エジプト人が、紀元前数千年ごろから、銅を知っていたことを物語っています。人類の最初の文明が築かれたチグリス・ユーフラテス川の考古学調査により、この地域の銅の利用は、紀元前1万年にさかのぼることが分かっています。現在のイラクにあたるチグリス・ユーフラテス川の地域では、紀元前8000年以上前の銅のペンダントが発見されました。これは世界で最も古い銅製品のひとつとなっています。
ヨーロッパ人は、紀元前4000年から銅を知っていました。これについては、ヨーロッパの氷河で発見されたアイスマンという男性のミイラを挙げることができます。このミイラは5300年前のものとされており、1991年、イタリアとオーストリアの国境にあるエッツ渓谷の氷河で純度99.7%の銅の斧と共に発見されました。マヤやインカといった文明でも、金や銀と共に、銅が使用されていました。
イランは世界の銅のベルト地帯に位置するため、この地域の銅の使用は古い歴史を有しています。銅器や銅の合金は、銅を溶かしてできた古い壺とともに、古代のイラン人が銅の採掘と熔解の方法を知っていたことを物語っています。テヘランの西にあるガズヴィーンの丘で発見された銅製の壺や器は、この地域で銅の熔解が行われていたことを示しています。これらの品の一部は、紀元前5000年ごろのものとされています。また、イラン中部カーシャーンのシアルクの丘でも銅器が発見され、6000年前のものとされています。この地域の周辺で発見された品人は、この地域の人々が、石を発掘、熔解した後に、それを型に入れたり、ハンマーでたたいたりする技術を学んでいたことを物語っています。今日、イランの古い時代の銅の器や品は、イランや世界の博物館に展示されています。
イランで行われた調査から、世界の銅の埋蔵量の3%以上をイランが占めていることが分かっています。イランの銅は、北西部から南東部の地域に存在します。南東部のケルマーン州は、イランの鉱物資源の中心地で、イランの鉱物の天国と呼ぶことができます。この州はイランで最も面積の広い州で、各地に、銅や鉄石、亜鉛や鉛、金、リン、石灰、大理石、石炭などの豊かな資源が存在します。
ケルマーンは、豊かな銅資源があることで世界的に知られています。ケルマーンのサルチェシュメ銅山は、中東最大の銅山で、ザグロス山脈の中部に位置しています。この銅山には金なども存在します。これまでの調査から、サルチェシュメの銅は、イランの最も古い銅山で、イランの銅の生産量全体の半分近くを占めていることが分かっています。
サルチェシュメのコンビナートは、世界でも最大規模の鉱業コンビナートで、さまざまな施設が併設されています。この他、イランには、東アーザルバイジャーン州のスーングーン銅山があります。この銅山は、国家の重要な財産のひとつです。専門家によれば、この地域は世界最大の銅山で、イランの銅の確認埋蔵量の40%を占めています。
銅は、その特徴により、世界で最も重要な金属のひとつとされています。銅の特徴には、やわらかく加工しやすいこと、さびなどに強いことなどがあります。銅は熱を伝えやすく、他の金属よりも再生しやすくなっています。現在、電子産業や、電気、エネルギーの移送、通信、建築、機械や家庭用品、運輸、軍事産業など、さまざまな産業に銅が利用されています。銅や銅合金の機能性や消費量に注目すると、銅は産業や経済活動に直接関係しているため、世界のさまざまな社会において、生活のレベルを決定したり、経済成長を図る上での指標のひとつとなっています。
銅の経済的な価値と生活レベルの向上における重要性により、イランの銅産業で活動する人々は、さまざまな部門を新しい方法によって広げています。また、イラン各地で、銅資源のポテンシャルを探るための採掘作業が行われています。
イランで生産された銅製品や銅合金は、国内の市場の他、中国、インド、台湾、オマーン、トルコ、アラブ首長国連邦などに輸出されています。